シフォンケーキはいかがですか?(馬のおじさんの話)
いまもあの馬のおじさんがどこから来ていたのかわからない。一年に一度、そのおじさんはどこからともなく馬に荷車をひかせてやってくる。その荷台の上には山盛りに衣服が積まれていて、その上に青いシートがかぶせてある。おじさんはその上に座って、馬の手綱を握っていた。「あした、馬のおじさんが来るよ。」と母が言った日の夜は胸がワクワクしてよく寝られなかった。馬のおじさんがくることは同じ地区の農家さんたちにも知らせされ、その日は4−5人のおばちゃんたちが家の居間でおじさんがくるのを待つと言うのが恒例だった。おじさんがうちに着くとまず、馬の手綱をうちの前の庭の柵にくくりつけた。そして、私の最初の仕事はその馬に干し草をあげること。小さい頃からうちには馬がいたが、トラクターが導入されて農作業に馬が使われなくなったため、小学校に上がる前にうちにいた馬は売られてしまった。それから大好きな馬を見る機会はあまりなかったので、馬のおじさんがくるたびに、しばし乾草を食べる馬の姿をみるのが私の楽しみだった。でもそう長くは見ていられない。なにせうちの居間ではいまとっても’ワクワクすること’が起こっているのだから。
「じゃあね。もっと見ていたいんだけどわたしもう行かなくちゃいけないから。」と馬に言ってうちに駆け込むと、すでに居間一面に新しい服が広げられていた。それは子供服であったり、婦人服であったり、紳士服であったり、とにかくいろんな年の層の男女の服が分別もされず広げられている。私が気になっているのはもちろん女の子の服。私には2歳上の兄がいたため、よく兄のお下がりを着せられた。可愛くもなんともない、男の子の服ばかり。ときどき母に文句を言うと、兄の膝に穴の開いたジャージにてんとう虫のアップリケをされて、「ほら、可愛くなった!」でごまかされることもあった。そんなわけでで私は馬のおじさんがくるたびに、今度こそかわいい女の子の服が買ってもらえるかもしれないという期待でいつもいっぱいだった。「花柄、ピンク、フリル、可愛い動物柄、、、」そんなことを心で呟きながら目を皿のようにして母が品定めしているところをそばでみていた。「あら、これ可愛いんでない?」と母が子供服を見つけてくれると、「うん、うん!可愛い!」「そしたら、着てみ。」試着室は居間の横の台所。居間とは戸棚で仕切られていたのでみんな気に入ったものがあったときは台所で試着してみる。「あれ、ちょうどいいんでしょ。サイズもぴったり。」そんなときに買ってもらった服はもちろん特別の日のためにだけきるのである。それは学芸会であったり、始業式であったり、家族写真の撮影であったり。袋に入ってまだタグもついている新品の服。洗剤の匂いではなく新しい服の匂いがする。私は買ってもらった服を袋から出すこともなく、部屋にかけておき毎日見てるのが好きだった。今のようにデパートで好きな時にいつでも好きなものを買える時代ではなかったから、そんなふうにたまに買ってもらえる新しい服には特別な愛着があって、今でもいくつかの服をよく覚えている。豊かな暮らしとは言えない生活だったけど、ものを大切にする気持ちはきっとそんな経験から育ったんだろうなあと思う。
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