見出し画像

Marikoコラム

「やりたいことをやる」ということは、大人にとってとても難しいと思います。

人はみんな何者かになりたいと思っている。
そしてだんだん「何者かになるためには、何をしたらいいんだろう?」と
考える……。すると、目的を達成するためのことしかしなくなる。

「やりたい」が何なのかもわかっていない。
長い間、「正解」「不正解」で判断してきたので、改めて「何がやりたい?」と
自分に問うてみると「???」となる。

そこに「やりたい」という気持ちがなくなると、どんどん苦しくなります。それが、歳を重ねて自分を見つめ始めると「迷い」や「惑い」を生むのかもしれません。

今って、本当に情報過多で、これが正しい、あれが正しいと、いろいろな情報が入ってきてしまう。
そういうものを一旦シャットアウトしなきゃと思うのですが、それもなかなか難しいこと。

先日、仲の良い友人と話していた時、彼女の顔が「子ども・お母さんの為」の話をした時に、必ずキラキラと輝くことに気づいた。
「好き」を語る人の温度が目の前で上がっていく感じは何とも心地よい。
ものすごく大きなパワーがあるのに、それが「正解」「不正解」などのちょっとしたことで脇に追いやられてしまうものなんだな。
「好き」ってなんだか不思議な存在です。

しかも、本人はそんな風にキラキラしていることに気づいていない。
当たり前すぎて気づいてないのだ。

気をつけたいことは、結果から推測してものごとを行わない。
これをしたらこんな評価を得るとか、この人と仲良くしていたらこんな未来になるとか、そんな計算で動くより、自分の楽しさを優先していきたいと。

なので、気を許しあっている友達同士でそれぞれが「話している時に何のことで相手がキラつくか」を言い合うのは自分を知るために、とても良い事なんじゃないかと思います。
その逆があっても良いかも(笑)
そして、その意見は素直に受け入れてみる。その目線で自分を観察してみる。

実は自分のことは自分が一番わかっていない(笑)

「目的」とか「目標」よりも「好きなのかもしれない」の感情を優先して、大切にしてみる。


自分の「好き」を大事にできるのは自分だけだもんな。

ともかくPejoの商品は大好き!

https://pejo.base.shop




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?