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訪問診療日記#2 ~生活が見える医療~
訪問診療をはじめてからは日が浅いのですが、急性期医療との大きな違いの一つがタイトルに挙げた生活に関することです。
画像は昼休みに食べるランチです。辛いラーメンでした。
問診
医療の世界には、問診というものがあります。
基本的に僕たちお医者さんがすることは、「診療行為」になり、
触れば「触診」、視れば「視診」、聴けば「聴診」です。
医師免許は、人体に干渉・介入することを許している数少ない免許なので、格好がつくように一応それっぽい名前がつくのです。
上記にならって、話を聞けば「問診」になります。
他流試合
医者は、基本何を聞いても失礼にならない(!?)ことになってます。(言い過ぎ)
初対面の女性に妊娠しているか確認しても、「問診」だからいいのです。(これは本当)
これは曲者です。
ご存じない方も多いかもしれませんが、医者の問診は、
病気の症状だけ聞けばよいのではないのです。
仕事、趣味、家族関係、交友関係、好きな食べ物、先週末何してたか。
合コンじゃねーんだぞ!?と思うようなことが、とても重要な意味を持つことがあります。
かといって、そんなこと聞いてどうすんの?と思われたら雰囲気が悪くなります。
外来診療は、患者さんにとってはアウェーの試合であり、医師にとってはホームの試合です。
患者さんはそれなりの(心の)準備をしてくるし、それはある種の「警戒心」、「心の壁」としてたち現れます。
こちらが診療に際して欲しい情報は、簡単に引き出せるものではありません。
本当にやろうと思うと、時間がかかります。
結果、病気のことだけ聞いて終了〜になっていることが多いと思います。
立場逆転
一方の訪問診療はというと、先程のアウェーとホームが真逆。
というか、まさにホームにお邪魔するわけで、こちらが常に他流試合になります。これまで、「元気?薬出しておくね」で終わっていた会話が、
「うわーこの人のお家綺麗だなー」とか、「猫いるんだ」とか、「あの置物どこで買ったんだ?」とか。
んなことを考えている間に、コーヒーやおやつを出してくれたりします。
完全にお客さんです。
他人にあえて聞こうとも思わないような生活事情が否応なく見えます。
こちらとしても、どんな仕事していたのか、気になります。
趣味は何なのか、気になります。
自然な会話の中で、重要な情報が聞き出せるのです。
一目瞭然
今思えば、診察室にはそれがなかった。
誰も彼も一緒なのです。病気と年齢と性別と。。。
ごく簡単なパラメータで区切ることが、仕事を回すためには必要でした。
極力待たせないためには、簡略化した関係が必須でした。
今、患者さんと一緒に、その背景にある生活が、人生が見えます。
彼らがアウェー(病院)では言えなかった本心。
ホームでは自然に読み取ることができます。
裕福なのか、生活自体が苦しいのか。
いわゆる幸せな家庭なのか、複雑な事情があるのか。
孤独なのか、家族や仲間がいるのか。
この生活の中で、患者さんが果たすべき役割は何か、病気があることでその役割がどのくらい邪魔されているのか。
どうやったら、もとの生活に戻せるのか、役割を取り戻せるのか。
実際に、彼らの生活環境の中に身を置くことで、彼らの目標が理解できます。
それになぞらえてアドバイスもできます。
きっと、患者さんも「わかってくれている」安心感が違うと思います。
診察室で、時間をかけて聴取すれば同じことができるか?
難しいと思います。
言葉を上手に使える方ならいざ知らず、
多くの方は、「口べた」です。
言語コミュニケーションは絶対に「何か」が抜け落ちます。
だから、病気以外の問診では、
生活が直接見えること以上の説明はありえないのです。
百聞は一見に如かず
問診において、このことわざを、これほど実感したことはありません。
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