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意味も学びもないエッセイが読みたいから、書く。

とにかく意味のないものを欲している。

くだらない話だらけのラジオ。
好きなものを丁寧に説明しているエッセイ。
たくさん笑った後は内容も覚えてないバラエティ番組。

最近は寝る前にエッセイを読むのだが、これがまたいい。
読んでいるのは、江國香織さんの「とるにたらないものもの」

内容はタイトルどおりだ。
「レモンしぼり器」「スプリンクラー」「カワハギの皮」など
とるにたらないものものについて、著者が感じたり考えたりしたエピソードが展開されている。

意味を求めずに読むから、気張らずにいられてよい。エッセイの心地よい文体を浴びて、眠りにつくのは最高に贅沢だ。

だがここで問題が出てきた。
もう少しでこの本が読み終わってしまうのだ。
この世にエッセイは溢れるほどある。

でも、私は「とるにたらないものもの」が読みたい。「物事とそれらに対する視点」のストーリーを読みたいのだ。

だから、私が書くことにした。
なんでもない、なんにもならない、意味のない話を。

「ものとことのきおく」マガジンでエッセイを書きます。
その名の通り、今までに見てきたものや体験したことを書くマガジン。
更新頻度は、二週間に一回程度。頑張れたらたくさん書きます。

よかったら読んでくださいね。

▼早速書いた1つ目のはなし。




ここから下は、ちょっと前の私の話。

ここ最近、意味はないけど心地よいコンテンツに救われている。
びっくりすることに、どれも今までは必要最低限に抑えていたものだ。

他にやることがたくさんあったし、一日のうち自由に過ごせる時間も限られていたから、意味がないものにかける時間なんてなかった。

小説より、ビジネス書を。
エッセイより、成功者の経験談を。
時間をかけて効果が出すものより、明日から使えるものを。

今まで重視していたのは「いかに効率よく成果を上げるか」ばかりだったのが、とてもよくわかる。

しかし、ここ最近だいぶ生活にゆとりができた。
通勤時間などの移動時間がなくなり、友達と遊ぶ予定もなくなったからだ。

はじめは、見れずにいたオンラインセミナーを受講したり、読めていなかったビジネス書に手を出したりした。
でもしだいに、学ぶことがしんどくなった。
どこか疲れがでてたのだと思う。

それから、ぼーっとするためのコンテンツを漁った。
ラジオ、映画、動画、漫画、バラエティ番組……。
若干の後ろめたさを感じつつも、突然できた空白を埋めてくれるコンテンツはありがたかった。

これから頑張るためだから、と理由をつけて
ぼんやりする時間をどんどん増やしていった。

最終的に私は、エッセイに辿り着いた。
手に取ったのは、「とるにたらないものもの」

購入のきっかけは、夏生さえりさんが
インスタライブでオススメしていたことだった。
エッセイを読みたい気持ちがあったので、迷わず買った。

はじめて読んだ時、衝撃を受けた。
学び要素がほとんどなかったからだ。

今までエッセイを読んだことはあったのだが、物事の捉え方や視点を提案しているように感じるものが多く、素直にそれらを学びとして受け取っていた。
エッセイは生活から意味を見出す行為だと思っていた。

だから、「そんなことを思い出した」で終わる文章があって驚いた。
え、ただの回顧録でおわり? とだいぶ戸惑った。

私は昔、「意味のない文章は悪だ」どこかで教わっていた。
だから主張のない文章を読んで、失礼ながらも「本になっているのは幻か……?」と思ってしまった。

でも、読み進めていくうちにその価値がわかった。
意味を見出してきたとかじゃない。
このエッセイの価値は「心地よさ」にあった。

ビールの美味しさは、味じゃなくて”のどごし”だといわれるのと同じ。
エッセイの良さは、意味じゃなくて”読みごこち”なのだ。

あ~この文体すきだなあ、と思って読み進める心地よさ。
それらを意味も求めず読むのは、なんたる贅沢だろうか。

それから毎晩、「とるにたらないものもの」を読み続けることになった。

「ものとことのきおく」はこちらのマガジンで更新します!


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