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目が悪いから見える世界

2024.04.25
ペギンの日記#25
「目が悪いから見える世界」


中学3年のとき、人生で初めて眼鏡をかけた。

中学に入ってから徐々に遠くのものが見えなくなって、ついに中3で眼鏡を作りに行った。
眼鏡は作ったものの、最初は眼鏡をかけてる自分が何か嫌で全然かけていなかった。
高校に入って、いよいよ黒板が見えなくなってきたので、コンタクトと併用して眼鏡もかけるようになった。
最初は眼鏡が嫌でコンタクトしかつけていなかった。けれど、眼鏡をかけると世界の見え方が変わって、楽しくて。そしてそんなふうに、眼鏡をかけて世界を見ている自分が好きになって。それからは毎日、学校へは眼鏡で行くようになった。

眼鏡をかけると、キラキラして見える。

誰かが言っていた。目が悪くなると、世界が神秘的に見えるって。
それを聞いた当初は、まぁピンボケしてるのを神秘的って表現したんだろうとしか思っていなかった。だが目が悪くなった今ならわかる。
ただのピンボケじゃない。

眼鏡を外すと手元ははっきり見えるけれど、遠くはふわっと見えていて、光るものはファサッと柔らかい光を放つ。ものの輪郭は曖昧で、でもそれらの情報はしっかりと脳が受け取っている。モノのディテールが外れて、すごく抽象的な空間に佇んでいるような気分になる。
例えば街灯が光る夜道を、眼鏡を外して歩くとき。自分の足元に影ができず、ピンボケで見えるので、空中に浮かんで歩いている感覚になる。横を流れていく家々や車の流れも抽象化され、まるでゲームの世界を探索しているような感じ。

あとは小雨の中を眼鏡で歩くとき。眼鏡のレンズに水滴がついて、歪んで見える。もちろんそれが嫌な時だってあるけど、なんか良いなって思うこともある。雨の日の車の窓から見える景色が、妙に美しく見えることがあるのと同じように。水滴のついたレンズのおかげでいつもと違う世界が見える。
そして水滴のついたレンズで一番好きなのが、街灯を見上げたとき。水滴がついたままのレンズで街灯を見ると、眼鏡まで飛んできた街灯の光が水滴の中でテラテラと暴れまわって、私の目に飛び込んでくる。街灯の光が水滴を通してすごく綺麗に煌めく。

そんな美しい景色も含めて、その人は目が悪いことを「神秘的」と表現したのではないだろうか。

目が悪くなるのは良くないこと。目が悪くなることは不便なこと。そう思って視力検査の度に、視力が落ちていないかと怖がっていた昔の私は、今はもういない。

目が悪い私は、目が悪い状態も良い状態も、眼鏡をかけている状態も体験することができる。人生において選択肢が多いって素敵なことじゃない?
ちょっと不便だなって思うところもあるけど、目が悪いおかげで見える世界がこんなにも綺麗なら、まぁそのくらい、いいかって思っちゃう。

コンタクトより眼鏡の方が楽しい。だって眼鏡は外せるし付けれるから。色んな世界を、行ったり来たりできるから。

みんなコンタクトばっかりだけど、眼鏡勢、もっと増えないかな。
絶対そっちの方が楽しいからさ〜。


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