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雪と炎とやかんと私

crepeです。今日は悲しいお知らせが…

大好きな札幌雪祭りが中止になってしましました~(´;ω;`)

毎年絶対見に行っていましたし、何丁目にどの雪像があるのかわかるくらい見て回りましたし、雪像を作らせていただく年もあったので、私にとってとても思い入れ深いイベントなのです。昨今のコロナの情勢でどうなるかと思っておりましたが、案の定中止になってしまいました。わかってはいましたがやはり寂しいです…。

きっとお祭りの実行委員の方々はもっと悔しかったのだろうと思います。年に一度のお祭りに向けてずっと前から準備してきていることは、バイトで実行委員会の方と打ち合わせしているときもひしひしと伝わってきました。このお祭りに命を懸けてやっているんだ!という🔥に満ち溢れた方も中にはいらっしゃいました。月並みな言葉ではありますが雪を溶かしてしまうんじゃないかと思うほど熱いハートの方もいらっしゃいました。

燃えている人。何かに打ち込んでいる人。熱中している人。そのような方々は不思議と人を引き付ける力があるように思います。理論や原則ではないパッションによって周りの人たちを引き付けて同じ目標に向かって協力してもらう力。そんな力を持った方がみなさんの周りにもいるでしょうか。

私の一番尊敬する方もパッションの塊でありながら、理論は完ぺきというもう何年生きたらその方に追いつけるんだと思ってしまうほどの方なのですが、その方のようになりたいと思いつつ、今一歩煮え切らない自分がいるのを最近感じています。

何をするにも一歩引いた立場で取り組む姿勢。俯瞰的ともいえますが、その物事の本当の深みや面白さを分からないという弱点もあります。私はいままで命を懸けて熱中してきたことがあまりありません。中学、高校、大学と全部違うスポーツをやってきましたし、勉強も受験で後悔したくないというモチベーションでやっていたため、受験が終わってからはぱったり勉強の手が止まってしまった典型的な大学生でした。

私は尊敬する方に出会ったことで、批判を・人の目を気にしている自分がいるのだと分かりました。まだ完全には直せていないですが、その時から私はそこに重点を当てるのではなく、自分自身の本質に向き合う勇気をもらいました。そこから少しずつ少しずつ変わってきた実感はありますが、まだ自分は沸騰しきれていないのだときづき苦笑いです。

そんなときふと小学校の頃聞いた、まどみちおさんの「おおきなやかん」の一節を思い出しました。

小さいやかんはすぐに沸く。しかしすぐに冷めてしまうしすぐに使い切ってしまう。大きなやかんは沸くのに時間がかかる。しかしその熱さはすぐには失われず、いろんなところに使うことができる。

確かこんな意味合いのメッセージが込められていた詩だったと思います。なるほど、私はおおきなやかんなんだと妙に納得しました。今はまだ火にかけている状態。人との出会いや日々の生活を通して少しずつ成長の糧を集めている段階。途中であきらめず、100℃になって沸騰するときまで焦らずに、かといって時間を無駄にはせず、花開く未来を待ちわびて毎日を過ごしていこうと思います。


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