ビデオカメラと自分の眼
子どもの成長記録のために、ビデオカメラを何回購入したことでしょう。
ちょうど私が必要とした時期の記録媒体は過渡期でもあったのたもしれませんが、ミニDVテープ、メモリー、HDDなど次々に新しい機種か出てきていた時代でした。
運動会の徒競走のゴール前にビデオカメラを構え、ダンス競技では高台に登って上からの視点で撮影したり、応援合戦の時間になると正面にあたる本部席裏に位置取りをし・・・・、終始ビデオカメラと一緒でした。
スポ少での試合となると、試合中ビデオカメラを三脚に構え、ずっとファインダーを覗いているということをしてきました。
テープが媒体ならば、テープの山ができるほどになってしまい、メモリーやハードディスクであれば、そのデータをDVDやBDのディスクに書き移す作業が伴い、いつの間にか部屋がディスクだらけになっているという状況になってしまいます。
そんなテープやディスクですが、見る機会はどれくらいあるのものでしょうか?
例え録画を見たとしても、ファインダーから見ていたことと違っていたり、そんな場面あったかな?などどいうようなこともあります。
ビデオカメラのファインダーを見ながら、録画しているから大丈夫とか、記録として残ることに安心し過ぎてしまうあまり、実は、見ているようで見ていなかったことがたくさんあったのではないかと愕然としたことがありました。場面によっては、ファインダー越しでしか見ていない自分、つまりせっかく目の前に子どもの成長があるのにもかかわらず、生でというか直接見ていないことに悔が残ることも多々ありました。
それ以来、私が火葬場まで持って行けるのはビデオカメラやテープやディスクではなく、自分の脳裏に焼き付けたものであることを考えると、ビデオカメラは、裸眼で観る際の補助的な役割にしようと思っています。
そんな私の失敗談をあるお子さんの保護者の方に話をしたことがありました。
そのお子さんは劇的に成長している姿がまもなく行われるイベントで観ることができる状況でした。
私もそのイベントの様子を見に行ったところ、たくさんの保護者の方がビデオカメラやスマホを持って子どもたちの姿を追っている中で、たった一人、ビデオカメラもスマホも持たず、ご自分の眼でしっかりとお子さんの姿を追いかける保護者の姿ありました。相談に来られた保護者の方でした。後からお聞きすると、私の話を参考にしてくださったとのことで、きちんと自分の眼で見ておきたいというお気持ちの表れだったように思います。
技術の進歩で、いい時代、便利な時代になっています。
ということは、その便利さがもしかしたら知らず知らずそれまで支えていたものやことを削いでしまい、その代償の上に便利さがあるのかもしれません。
単純に便利であればいいのかもしれませんが、その便利さが何か大切なことの代償の上に成り立ってやしないかということも含めて考え、便利な道具をバランスよく使って、より豊かな子どもたちの支援や生活につなげていきたいものだなあと思います。