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父と子のパピコ【甲斐大和→松本 120km vol.05】

「あれ、ここに置いといた『サイクルスポーツ』は?」
週末に読もうと思って昨日買った自転車雑誌が見当たらない。
「さっき健太郎が読んでいたわよ。なんだか熱心に読んでたから部屋に持っていったんじゃない?」
キッチンからカミさんが答えた。

(へえ)

ほんの少しほくそ笑む。ゴールデンウィークの松本行きから戻って、少し意外だったのは、健太郎が以前よりロードバイクに興味を持つようになったことだ。それまでは「いやいや」というほどではないが「父親の趣味に付き合っている」といった風情だったのが、最近、ちょくちょくパーツの名前や走り方などを聞いてくる。

松本では叔父の家に二日間世話になり、一日は健太郎が行ってみたいというので木崎湖まで往復した。ほぼ平坦な片道50kmほど。どうやらアニメ好きのクラスメートから昔の人気アニメの「聖地」だと聞かされたらしい。アニメにも登場したという踏切や小さな桟橋で何枚も写真を撮っていた。この季節の木崎湖は最高に美しい。かつて私も父親と行った場所だ。年齢、性別を問わず、都会暮らしの人間にとって、街を離れて初めて長い距離を自転車で走る体験は鮮烈だ。もし今回の松本行きが健太郎にとってそういう体験だったのだとしたら、父親として、ひとりの自転車好きとしてうれしい。連れて行った甲斐もある。

とはいえ、ここ最近の健太郎の最大の関心事はサッカーだ。毎日、サッカー部の練習に余念がない。平日は随分遅くまで練習して帰ってくるとカミさんが言っていた。もうすぐ試合があるのだ。公式戦ではなく姉妹校との練習試合だが、健太郎がレギュラーになって初めての試合だ。

昼過ぎ、クルマを洗っていると健太郎がランニングウェア姿で出てきた。
「お、ランニングか?」
「うん、今日、練習休みだから少し走ろうと思って」
「じゃあ父さんが自転車で伴走してやるよ。どこまで行く? 多摩サイに出るか?」
「うーん…… じゃあ、城跡の公園までかな」
「えっと、あそこまで5kmあるぞ。往復10kmも大丈夫か?」
そう言うと健太郎は少し考えてから「じゃあ帰りは父さんが走ればいいよ。伴走交代」と言った。
「えー……」
健太郎は笑っている。
「…… わかった。じゃあちょっと待ってろ」
私は家の中に入り、ジーンズとサンダルをランパンとジョギングシューズに履き替え、家族共用のママチャリに乗った。
家の前の路地を健太郎が走って行く。後ろ姿はまだ子どもの体つきだが、華奢で線の細い雰囲気は消えつつある。あと一年もすればぐっと逞しくなるだろう。

会社の同僚に「ゴールデンウィーク、息子と一緒に自転車旅行をした」と話すと「おまえんちは息子と仲がいいなあ」と言われた。そうなのだろうか。他の家のことはわからないし、適当な比較対象がいない。
「ウチなんて息子と話すのは週に一、二回だ。飯食ったらすぐに部屋に籠もっちゃうし。家族旅行なんて絶対行きたがらない」
「そんなもんなのか」
息子と仲がいいとか悪いとか、考えたことがなかった。ここ最近、仏頂面を見せることは増えたが、それは年相応の通過儀礼のようなものだと思っている。

健太郎と同じくらいの頃、私は父とどういう距離感だっただろうか。
私自身にもそれなりに反抗期のようなものはあったし、親を含めた大人全般が疎ましく感じられる時期はあったのだが、そんな私に対して父の距離感はいつもフラットで一定だった。突き放すこともなく、干渉しすぎることもなく、父はいつも同じ場所に立っていた。

私が子どもの頃、父は昭和のサラリーマンらしくよく働いていた。当時の言い方をすれば「モーレツサラリーマン」だったろう。しかし、そうやって働きながらも、家族が本当に父の存在を必要とした時には、躊躇いなく家族と共にいることを父は選んだ。それは一度も揺らぐことがなかった。そして仕事に没頭し、家族も大切にしていた父には、もうひとつ大事なものがあった。自転車だ。

父は自転車が大好きだった。自転車通勤をしていた父は、帰宅時、長い坂道の途中にあった我が家の前を通り過ぎ、一番上にある公園まで一気に駆け上がったあと、ゆっくり下って家に帰ってきた。「一日の終わりのささやかなトレーニング」と父は笑って言っていた。だから帰宅した父は、いつも少し息を切らせて汗を拭いながら家に入ってきた。それは我が家の日常の風景であり、私はその父の姿を見るのが好きだった。

仕事と家族、どちらも大切にしながら、父は「自分が好きなもの」も大事にしていた。好きなことで汗をかき笑顔になる。そんな父の姿を日常的に見ることができたのは、子どもの自分にとって幸福であり幸運だったのだと思う。
それは「父は自分と同じ地平に立っている」という感覚に繋がった。父はある日突然「大人」としてこの世に生まれたわけではなく、この地平をずっと歩いていって今いる場所に立っている人なのだ。その場所は、今、私が居る場所と繋がっている。だから自分も父と同じように歩いて行けば、きっと父と同じ場所に行けるだろう。そんな感覚だ。

自転車で一緒に走るようになってからは、文字通り「父の背中」を見ながらよく走り、いろいろなところへ行った。自転車乗りとしての父は常に安定してクリーンに走り、いつも楽しげに、時に激しく走った。それは人としての父の姿が滲んだ走り方だった。
自分と同じ地平に立っている父の背中。「好き」の根底にあったのは父への「ひとりの人間としての揺るぎない信頼」だったのだ。

城跡の公園について、自販機でミネラルウォーターを二本買い一本を健太郎に渡した。キャップを外すと健太郎は一気に半分ほど呑んで口を拭った。もう5kmのランニング程度ではびくともしない。本当に逞しくなった。
「じゃあ、交代」
そう言って健太郎はママチャリのカゴにミネラルウォーターを入れた。私はジョギングシューズの紐を結び直して軽くストレッチをした。
「大丈夫?」
「なに言ってる。スーパーランドナーの父さんを舐めんなよ」
健太郎は笑っている。私はゆっくりと走り始めた。健太郎がママチャリで後ろを走る。私の背中は健太郎にどう見えているだろうか。

(つづく)

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