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vol.1「いつか自転車で」自転車人2013年春号

山と渓谷社『自転車人』2013年春号掲載の巻頭コラムです。こちらのコラムについての解説はマガジンページに。

「どこからきたんですか?」
『自転車人』の読者の皆さんなら、自転車で訪れた土地でそう声を掛けられたことが何度もあるだろう(時には、その土地のお国訛りで)。輪行で見知らぬ駅に降り立ち、走り慣れた自転車でその土地を走れば、そんな機会も多くなる。
 10年前にカミさんと一緒にロードバイクに乗り始めてから、僕たち夫婦の旅行は、ほぼすべて輪行旅行になった。海外輪行はまだ未経験だが、国内では飛行機、新幹線、在来線、バス、フェリー… 様々な交通機関に輪行バッグを抱えて乗り込み、あちこちに出かけた。一口に輪行旅行と行っても、我が家の定義では二種類に分かれる。ひとつは自転車を目的地まで持って行き、その場所で自転車に乗る。もうひとつは自転車での移動を旅行の行程の一部(或いは大半)として、その間を輪行でつなぐ。思い出深い旅行になるのは圧倒的に後者だ。

 昨年の夏、かねてから念願だった『しまなみ海道』を走りに行った。三泊四日で、行程はこんな感じだった。新幹線で東京から尾道へ(尾道泊)〜しまなみ海道を走り今治へ〜今治から鈍川温泉へ(鈍川温泉泊)〜鈍川温泉から今治経由で多度津まで(途中から雨のため輪行)〜多度津から琴平へ(琴平泊)〜琴平から多度津へ戻り、多度津港からフェリーで佐柳島へ(往復)〜多度津から在来線で岡山へ〜岡山から新幹線で帰京。尾道から岡山までの行程(佐柳島への海路を除く)は全部で約280キロ。その半分強が自転車での移動だった。
 この旅行でもよく声を掛けられた。尾道の街で立ち寄った店では当然の如く「しまなみ海道に行くの?」と聞かれ、しまなみ海道途中の道の駅では「わざわざこんな暑い盛りに来なくても」と苦笑交じりに言われ、多度津の駅では売店の女性に「私も自転車乗るのよ。気をつけてね」と塩飴を沢山もらった。佐柳島への渡るフェリーでは、ロードバイクと共にサイクリングジャージ姿で、外周僅か6.6kmの島へ渡る僕たちを訝しげな表情で眺めていた乗組員の人が、帰りには「どこから来たんだろうって、皆で話していたんですよ」と人懐っこい笑顔で話しかけてくれた(佐柳島は瀬戸内の『猫の島』として知られている。僕ら夫婦は実は無類の猫好きでもあるのだ)。
 一期一会。多分、声を掛けてくれた人たちは、翌日になれば僕たちのことなど忘れてしまうだろう。でも声を掛けてもらったこちらは、折に触れその出来事を心の引き出しから取り出して、その旅行を懐かしむ。走った道や見た景色の素晴らしさはもちろん思い出として残る。でも、その土地で見知らぬ人たちと交わしたちょっとした会話が、もっと大切な思い出としてずっと心に残る。人の心に一番残る思い出は常に『人との出会い』なのだ。輪行旅行で出会った人たちが、なぜか皆やさしいと感じるのは僕の思い込みだろうか。

 輪行旅行の楽しさでさらに際立つのは、観光地ではない「ごく普通の街」を自転車で走ることにあると個人的には思っている。クルマや列車の旅では車窓から眺めるだけで通り過ぎてしまう街を、自転車の速度で走る。観光地だけでなく、観光地と観光地の間にある普通の街を走ることが輪行旅行の醍醐味ではないかと思うのだ。自転車に乗っていなければ知ることも訪れることもなかったであろう街。観光地ではないからこそ、自転車に乗ってやってきた見かけない顔に、ちょっとびっくりしながらも声を掛けてくれる人たち。そんな土地の人たちとの会話をいくつもの思い出として僕は持っている。
 東京生まれの東京育ちで、ずっと都市生活者として生きてきた僕の、田舎へのある種の憧憬もあるとは思う。「ここは何にもないよ」と土地の人は言うけれど、何もない美しい景色が、その土地に根付いた人が暮らす街並みがある。それは都会でも観光地でもない場所でしか見つけることができないものなのではないだろうか。
 出会う人たちだけではない。自転車に乗るこちらも、自分の身体を動かし時速二十キロの風に吹かれていると、普段の生活で纏っていた鎧が一枚一枚はがれて余計なものがなくなっていく。自転車というノリモノがそうであるように、自分もまた余計な装備を外したただの一人の人間になる。出会った人たちが気軽に声を掛けてくれるのはそんなところにも理由があるのかもしれない。それも自転車の旅だからこそだと思う。
 そして寂しいことだが、都会になり損ねた疲弊した地方都市の現状も目撃してきた。同じような大型チェーン店が立ち並ぶ街道沿いの街。閉まったシャッターが並ぶ商店街。寂れてしまった街並み。正直なところ、かつて訪れた街の寂れ具合に、目を伏せるように通り過ぎてしまったこともある。そんな現実も自転車の旅で実感として知る。このことはまた別の機会に語ろう。

 自転車で遠くへ行くにはいい季節がやってきた。僕たち夫婦もまた輪行バッグを抱えてどこか遠くへ出かけようと思う。まだ九州は走ったことがないので行ってみたい。下関の角島大橋も渡りに行かなければならない。暫く行っていない信州も走ってみたい道がまだ沢山ある。日本海もちょっとご無沙汰だ。
 初めて降り立った駅。その駅前の隅で自転車を組み立てていると心が弾む。ゆっくりと街並みを眺めながら走り出せば、街の空気を感じる。名物の美味しいものの匂いを鼻がかぎつける。そしてまたきっと「どこから来たんですか?」と声をかけてくれる人との出会いがあるだろう。
 自転車で訪れると人は皆やさしい。それはきっと、自転車が「人の一番近くを走る乗り物」だからだと僕は思う。

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PedalFar!こと米津一成です。長い間温めていたイメージを少しずつストーリーにしていきます。まずは春から初夏、そして夏へと続くお話です。こんなふうに何の憂いもなく、皆が笑って走れる日が早く戻ってくるといいですね。その後の「追い風ライダー」の世界です。

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2014年に惜しまれつつ休刊となった山と渓谷社さんの『自転車人』。他誌にはない切り口の特集記事と丁寧な編集で、私の大好きな自転車雑誌でした。 この『自転車人』で2013年より休刊まで書かせていただいた巻頭コラム「いつか自転車で」を山と渓谷社さんの許可を得てnoteに掲載します。7本を順次掲載していきます。

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