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ラブリー服トラップと、今の私
今月末の引越しに向けて、黙々と身辺整理を行っている。
とは言うものの、私個人の持ち物なんて洋服と本くらいのものなので、そんなに手間取らない…かと思いきや。耳が痛いならぬ目が痛い、購入時がピークで一度も着用されることのなかった洋服の墓場を掘り起こしてしまった。
私の場合、“購入時がピークで一度も着用されない”洋服には、共通点がある。それは、ラブリーだということ。キーワードはフェミニン、甘め、ピンク、パステル、女子アナ、美人百花、水彩花柄…といったところだろうか。私は時々、そういう系統の装いが無性にしたくなってしまうタチなのだ。だって、可愛いんだもん…。ラブリーな服を身に纏って、グロス塗って髪を巻いてキュルン♩キャピっとプリッと♡したい日があるのだよ。
しかしいざ鏡の前に立つと、ああいう服って、身も蓋もないけど、“可愛い子が着るから可愛い”服なのだと思い知る。なお、ここでいう可愛いとは、髪の毛はふんわりセミロング以上、ダークトーンのブラウン、肌が綺麗で白くてメイクもしっかりめ、スタイルも細め、の状態を指す。
ご存知の通り私はメイクといえば眉毛を描いて唇に色をつけるくらいのことしかやらないし、染め直すのが面倒で髪も地毛のまま。肌断食にチャレンジするくらいなので、当然陶器のような肌なんて夢のまた夢だ。そもそもお化粧もヘアスタイリングもばっちり♡な女よりは、無造作で少女っぽい装飾の少ない女に憧れるタチだし。
肌質といい体型といい、リアル感たっぷりの私が、幻想世界のラブリー服を着用した時のホラー感はすごい。まるで自分のことを客観視できてない様というのは、第三者にとってはもはや恐怖なのだ。未知の物を見る感覚というか。
そんな違和感たっぷりの服を、当然人前で着れるわけがないわけで。着ては鏡を見て脱ぎ、着ては鏡を見て脱ぎ、そして一度も活躍することなく墓場行きとなるってわけ。
さて、こんな無駄遣いをした当時の自分のことがトホトホ嫌になるが、処分するとするか。
なんでったってそんな使えないラブリー服を買っちゃうのか?私がラブリー服を買い込むときは、たいてい自分に自信がなくなって、別の誰かになりたい時だ。人から可愛がられたい、チヤホヤされたい、そんな気分の時だ。つまり私にとって、ラブリー服は“人から可愛がられ愛され、チヤホヤされること”の象徴になっているのだろう。現実は違うのにね。(現実世界で、女子アナみたいなラブリー服がドンピシャでハマってる人って、すごく珍しくないか?)
この文章は去年の夏に書いたものだけど、割と気に入っているのでこのタイミングで公開してしまうことにする。
これを書いた時からまだ一年も経ってないが、既に「あぁ、昔の自分ってこうだったなあ」という気分だ。自分に自信がなくて、誰かになりたい。私の10代、20代はずっとそれが根底にあった気がする。30代が近付いてきてようやっと、別の誰かになることは絶対的に無理なんだと、骨身に染みて分かってきた。文字通り、私は私、ってやつである。自信がなくなるも何も、これが私であり、これ以上でもこれ以下でもない。自分の人生でこんなに心が凪ぐ瞬間が訪れるとは、思ってもみなかった。やっぱり歳をとるって、素晴らしい。
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