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子どもの習い事をなかなかやめられなかった理由を考える

【現状】

5歳の長女の通信教育。始めた当初は、自ら進んで楽しんで取り組んでいたが、最近は自ら取り組むことはまずない。

ごっこ遊びの中に取り入れたりすると、嫌がらずにする。

ただ、やってる最中、1歳次女がやりたがって邪魔してくる。

嫌がらずにさせるために、どうやって遊びの中に取り入れようか考えたり、邪魔をしてくる次女を止めたり、それによって泣く次女をあやしたりするのがストレスになってきたので、通信教育をやめようと思うが、なかなかやめる踏ん切りがつかない。

【その理由を掘り下げてみる】

●やめることでどんなデメリットがあるか?

子どもが将来勉強が出来なくて困るのではないか、将来の選択肢が狭まるのではないかという不安。

要は、何かやりたいことがみつかって、そのための大学や学校を受験する場合、勉強できてる方が、合格する確率が高いってことやけど、もしやりたいことがみつかった時点で学力が足らなくても、そこから勉強すればいいだけじゃない?

●自分が子どものときはどうだったか?

イヤイヤやってた習い事でも、それなりに身にはついてる。

でも、イヤイヤやってた時間、好きなことにあてていたら、今どうなってたかな?とも思う。

●視点を子どもから自分に変えよう

将来、子どもが勉強できなくて困った場合、私はどう思うのか?

<このまま通信教育やらせてた場合>
やらせてたけどできなかったから諦めがつく。納得できる。→「私が悪い訳じゃない」と思える

<通信教育やめた場合>
やっぱりやらせとけばよかったかもと後悔しそう。→「私が悪かったのではないか」と自分を責めてしまいそう

はい、出たー!またこれ、どっから沸いてくるか分からん罪悪感。自分責めるのどんだけ好きなん(笑)

でもこれって、将来子どもが勉強できなくて困った場合、その責任が親である私にあるって思ってるからの発想やんな。

子どもが困らないように先手打つのが親の役目じゃなくて、困ったときに、それを克服することができると子ども自身を信じて見守ったり、必要ならば手助けをするのが親の役目じゃない?

最近、何かの記事で読んだ「人間は自分にメリットのあることしかしない」という言葉を思い出す。

自分を責めるメリットって何?

子どもが困ったときに、それを克服することができると子ども自身を信じて見守ったり、必要ならば手助けをするっていう本来の親の役目より、自分を責めてる方が楽ってこと?

自分責めてたら、もし子どものこと信頼できなかったり、うまく手助けできなかった場合でも、“なんか私やってる感”出せるからか。実際にやってなくても、”なんか頑張ってやってる感”出せるよな。

【結論】
将来の起きるかもしれない問題に対処できなかった場合の免罪符を手に入れるため


うわー。自分で結論出して、ちょっとひいたわ。

将来もし問題が起きた場合、自分は対処できないかもしれないって自分で思ってるってことやんな。もっと自分のこと信じようよ。私ならきっとできるよ。

私って、自分のことナメてたんやな。

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