ゾンビ映画の制限と自由
最近、久しぶりにゾンビ映画を見た。
Amazonプライムで配信されている「ゾンビ・サファリパーク」だ。
※以降、ネタバレっぽいのあります。
結果から言うと、会社の同期から勧められてみたのだけれど、すごく良かった。
でも正直、見るかすごく迷った。
だって、知っている出演者が誰もいなかったし、
サムネイルもB級感だだ漏れだったから。
でも、想像以上にしっかりした映画だった。 ハラハラありで、ゾンビわっさわさだった。
あと私が好きな、仲間のいい奴がゾンビになってしまうあるある展開もあった。
この映画のゾンビには、面白い設定がある。
あらすじから紹介する。
ゾンビが大量発生し、20億人も亡くなり、世界がめちゃくちゃになった「ゾンビ世界大戦」から7年後の世界。
生存者のセラピーとしてゾンビ狩り療法が効果的とされていた。父をゾンビ世界大戦でなくし、悲しみが癒えないでいた主人公は、彼氏とゾンビ狩りができる「ゾンビ・サファリパーク」に行くことになっていた。
そのサファリパークでは、ゾンビになってから10年以上たった、動きの遅いゾンビをゾンビ狩りに使用し、安全性を保っていた。
この「10年物のゾンビは動きが遅い」設定が、他にはないと思った。
ゾンビ映画の魅力は、ゾンビ映画ごとにゾンビの世界観があることだと思う。
頭を撃つと絶命するだとか、言葉が喋れないだとか、似たような設定はある。
しかし、映画ごとにゾンビのオリジナリティがある。
ゾンビの基本的な生態という制限の中で、その他は自由にゾンビを描き、ストーリーにしていく。
これが、ゾンビ映画の面白いところだなと感じた。
だから、コメディにも振れるし、シリアスもいけるのかな。
そしてめちゃくちゃ、製作者の力量が問われるジャンルなのかも。
ウォーキングデットの1話目でいつも挫折してしまうけれど、見てみようかな。
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