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オッサンや私の、アイデンティティ崩壊は"あるある"だ

今の社労士事務所に転職して、1年が経った。
夫は、

「ねぇ、どんな気持ちで働いているの?」という
(私の状況をわかっていれば)まぁまぁ辛辣な質問を投げかけてくる。

キャリコンの勉強を通して、得たものの1つとして
自分の気持ちの解像度が上がったことが挙げられる。

そうだね、私は社労士試験に合格して今の職場に入ったけれど
まだ登録もせず、すなわち社労士とは名乗れない状態で働いているからね。

1年経つけど、まだ社労士と名乗れる力量じゃないのは
時短勤務故の、経験不足なのかもしれない。
でも、時短勤務ではなくても、自分にその力量がついていなかったのかもしれないね。

そう思うと、時短勤務は逃げ道とも言えるね。
それを隠れ蓑にしていると、既に周囲にバレているかもという不安もあるね。

だからさ、ジェットコースターみたいな気持ちで働いているよ。

時短勤務だから仕方ない。
子供のために仕方ない。と思って割り切って働ける日もあれば
ふがいない、恥ずかしい、消えてしまいたいと思う日もあるよ。


そんな言葉がスラスラ出てくるのだ。
キャリコン養成講座は、
人のキャリアを診断するみたいな
相手をどうにかしてやろう、という手段を学ぶのではなく

自分の過去について
どう心や、経験が繋がってそれを作ってきたのか
振り返り、見つめることが多くを占めていたように私は感じる。

そう言った意味では、
私は転職して半年経つかどうかの頃からキャリコン養成講座を受講しはじめたのだが
転職後のおおいに乱れた心に、伴走する役割を大きく果たしてくれたと思う。
キャリコン講座は、何よりセルフケアに役に立ったのだ。

私は、前職を10年勤めての転職だった。
転職後に、たまに聞くような
「前の会社では、こういうやり方をしていました!!」的な奴には絶対ならないと思っていた。
むしろ、
「前の職場で赤色に塗っていたリンゴも、ここで青色に塗れと言われたら私は喜んで青く塗りましょう」という意気込みだった。

しかし、そういうことではなく
「これは何色にみえますか?」と聞かれ、
私には赤色に見えます、というものでも
「違います、これは朱色です」
ということで、混乱することが多かったように思える。

まだ、このようにハッキリとしか会話の中で
「これは朱色なんだ」と思えたらまだいい方で、
非言語的な"文化"を、認識すること自体が難しく。

今まで、赤色に見えていたものを朱色と認識することは
単純に赤に塗っていたものを青に塗ることよりも難しいことだった。

赤色と思ってしまう私が悪いんだ。
と自分を責める日もあった。

でも、自分が今まで大切にしてきた
働くことへの思い。
仕事とは、組織とは、
こうあるべきだと思っていたことと
求められることとのズレを感じていくことは

それは間違いなくアイデンティティの崩壊だし
終わりのはじまりだと知った。

知ることで、キャリコン講座を通じて冷静に客観視でき、
モヤモヤが自分の中で言語化できた。

そのことで自分の精神を平静に保つことができたんだと思う。

キャリコンを学ぶと、
色々キャリアに迷うケースを知る。


役職定年を迎えて、自分の存在意義を見失うオッサンとか
転職後も継続してキャリコンのフォローをうけるオッサンとか

みんな、めっちゃアイデンティティが崩壊する。
60年生きたオッサンも、予定された転機を目の前にしてもアイデンティティが崩壊するなら
めまぐるしく環境がかわった私だってアイデンティティが崩壊するのも当然だ。


あるあるなんだ!!!
ほんなら大丈夫!!!


モヤモヤや不安について、言語化できるスキルはついたと思う。
ロープレでも、相談者のモヤモヤ不安、つまり主訴を把握するまでは、
と言ったところだろうか。

さて、意味の出現はどうだろう?
私は、転職という経験を経て、モヤモヤや葛藤という感情から
「私って今まで仕事をしてきた中でこういうことを大事にしていたんだな」
ということがわかって、、、

というところまでは、いけるのですが
そこから先には進まないなぁという実感です。

経験代謝からの、意味の出現を体感してみたいというのが
国キャリ試験を終えて 今、1番の興味かもしれない。



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