自己肯定感が低いと性に執着しやすいらしい
そのときだけは必要とされているということに満足感を得るからだろう。
ただ、その時間が終わると次に待っているのは虚無だ。
行為に愛を感じれば感じるほど、その後の虚しさは大きくなる。
本来は愛が土台にある上で行われるものだから、愛がないところで行われると、リアルタイムで感情がぐちゃぐちゃに崩れていくのが分かる。
終わった後は相手の清々しい顔とは裏腹に、私はどんよりと曇った顔をしているだろう。
「求められているもの」は何か、分かっているけど気付いてないふりをしている。
目を覚ませと言われても、覚ましたところで待っているのは暗黒な景色なので、それなら目を閉じているほうが楽だ。
体を許したことに後悔があると、もともと低い自己肯定感がさらに低くなる。
そして自己肯定感が低くなると、さらに性に執着しやすくなってしまうというとんでもない悪循環が完成する。
私は後悔がないと言えば嘘になるが、全てが後悔の塊ということでもないというのが救いだ。
不純な中にも、小さくキラキラ輝く思い出がある。
それが眩しすぎて、たまに泣いてしまう。
幼少期からちゃんと親に愛されて、自分は愛されるべき存在だと信じて疑わずに恋愛のできる人間には、この気持ちは分からないだろう。
分からないであろうということにイライラするが、同時に、そんなやつに分かられてたまるかとも思う。
同情とかいう、人が上から目線で気持ちよくなるためだけに生まれる感情を受け取ってあげるほど、私は優しくない。
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