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一人の「美大生」が形成されるまで

私は現時点で美術大学に籍を置いていますが、 それってとても希少な存在みたいです。(自分で言うのもアレですが)
昨年('21)には美大受験の漫画がアニメ化されたこともあり、美術系の大学に興味を示す方が増えているそうです。(私の親の職場で少し話題になったりしたらしい)
美術系受験を描いたアニメはこちら↓(主人公は油画科志望)

ピープが美大生(建築学科)になるまで

では、私はどんな人生を歩んできたら実際に美大生になることができたのか。
私の人生の中から美大に入るまでに直結したであろう要素や出来事を今からご紹介します。
(少し長いのでチャプター機能をうまく活用してください)


お絵描きが好きだった"幼稚園時代"

自我が芽生えるこの頃から私の人格形成はスタート。これ以前の記憶はあまりありません。
幼稚園に入ると園庭で遊んだり園舎内で遊んだり、ある程度の自由が与えられてその中でそれぞれが好きなことをします。

そんな中で何故かは覚えていませんが、私は自由帳にお絵かきをするのが大好きな子供でした。周りの子よりも自由帳のページを消費するスピードが速く、よく園の事務室で指定の自由帳を親に買ってもらっていた記憶があります。

工作の時間も1人だけ変な事をしていたみたいです。
親に聞いたエピソードですが、「みんなで○○を作りましょう」と先生が先導してみんなで同じものを作らせようとしている時。
私は「先生、オブジェを作りたいのでオブジェを作ってもいいですか?」と言ったそうです。
今考えればきっと、覚えたてのカッコいい言葉をただ使ってみたかっただけなのでしょうが、ものを作ることに対する執念は人一倍強かったことが伺えます。(しかし「オブジェ」なんて言葉、幼稚園生が一体どこで覚えてきたのか…?)


周囲の人に絵を見せる機会が増えた"小学校3,4年生"

この頃の担任の先生は私が絵を好きなのを知ってくれていて、「読書感想文優秀作品集の挿し絵を描いてくれないか」と打診してきました。
こうして周りの大人から好きな事を活かせる活動が回ってきたのは当時小学生ながらとても嬉しかったです。

この頃の担任の先生がクラス通信紙をほぼ毎日更新するくらいマメな方だったのですが、日替わりで子供たちが自分の好きな事を書いてもいいコーナーがA5サイズくらいで存在していました。
絵や文章を書くのが得意な子、そうでない子が色々いて当たり前ですが、その中でも私は提出期限のギリギリまで細々とコーナーの枠の装飾をしたり、絵を描いてたりしてたと思います。
せっかく人に見てもらうのだから出来るだけ目立つものにしよう…としてたのでしょう。
私の小学校は1クラスの人数が比較的多く、1ヶ月に1回ほどこのチャンスが巡ってくるのですが、毎回この日を楽しみにしていたのを覚えています。


自分のやりたいこと、将来を意識し始めた"小学校5,6年生"

高学年になると小学校ではクラブ活動が始まります。運動系、文化系…様々なクラブ活動がありましたが、私はその中で工作クラブに入りました。
漫画・イラスト系のクラブもありましたが、私は平面作品ではなく立体作品を作れる方に興味を持っていたみたいです。

6年生の頃には授業参観の課題で「自分が将来なりたい職業について調べて発表する」という課題が出されました。
この頃の私は「インテリアデザイナー」になりたい。と発表していました。
インテリアとは言っても、このときは家具のような大きなものではなく小さな小物をデザインしてみたかったような…

小学校卒業の時には、卒業アルバムのクラスページをみんなで作る企画がありました。
私のクラスは「なんでもランキング」という企画ページがあり、投票で「絵がうまい人」部門で2位に入れていただきました。
こうしてクラスのみんなにも自分の実力を数値として評価してもらえたのは当時とても自信に繋がりました。


義務教育の先の進路を考え始めた"中学時代"

中学校に入ると、私は美術部に入部しました。
私の通っていた中学には漫画研究会のような組織がなかったため、イラストが好きで入ってきたような子達が多く、他の部に比べたらゆるゆると活動をしていました。
部の内容としては体育祭の横断幕を任されたり、学校行事の冊子イラストを任されたり、学校全体と絡むことも有れば、市の美術部成果展など部活単体で活動できる場もありました。

その中でとある絵画のコンクールがあり、私は入賞することができました。
そのコンクールは工業高校のインテリアを学べるコースが主催していた絵画のコンクールなのですが、授賞式で初めて高校を訪れた際、インテリアの勉強を毎日できる環境が羨ましく思い、その工業高校に行きたいと思うようになりました。

そして迎えた中学3年生、高校受験
先程志望校に挙げていた工業高校ですが、結論として親に反対されて行きませんでした。
理由としては、「もう少し学力があるんだから、もう少しいい高校に行きなさい。」と。
その後、先生に三者面談で勧められた高校の文化祭へ行きました。
その高校は、単位制ということもあり美術系や音楽系進路を希望する人に対してもサポートが手厚いことを知りました。
また、先述の市の美術部成果展と同時開催の展示で東京藝術大学卒の方がいらっしゃいました。その方の話を聞いていると、例の単位制高校出身とのことでした。
私は結局、この美術系に強い単位制高校を志望し無事合格することが出来ました。


ギリギリまで進路で揉めた波乱の"高校時代"

高校に入ったとき、私は美術系大学のデザイン系学科(インテリア系)に進みたいと考えていました。
そのため授業では美術をバリバリ頑張って、部活はその他のことにチャレンジしてみようと思い、美術部ではない部活に一瞬入ってみました。
しかし部活の雰囲気や体系について行けず、最終的にまた美術部に落ちつきました。

その美術部では基本的に油絵を描く活動をしていて、毎日放課後に行っては慣れない油絵を少しずつ描いていました。
その中で、顧問の先生が当校出身で藝大に進んだ先生を週1で呼んで下さって高校で放課後デッサン教室が開催されていました。
今思えば、これがとてもいい経験だったと思います。
週に1回3時間程度、静物、石膏像、自画像…色々描きながら少しずつデッサンの基礎に触れて行きました。

高校2年生になると、単位履修(文理選択のようなもの)があり、私が美術系進路にしようとしたところ、就職のことなどを引き合いにされ親から猛反対されました。
「理系の方がモノも作れるし就職も強い」と。

ここまでの将来の夢は
インテリア(小物)を作りたい→家具や空間を作ってみたい
こんな感じでどんどん作りたいもののスケールが大きくなっていった時期だったので、大は小を兼ねる理論で建築学科に入ればなんでも作れる人になれるのでは?と思い、少しズレた思考で理系の建築学科を目指すことになります。

その後、理系の建築系オープンキャンパスを回ってみたのですがあまりピンとくる大学がなく、周りの美術部員達が美大受験に向けて美術予備校で頑張っている話をとても羨ましく思っていました。

そんな中、3年生の5月。
毎年高校で行われていた美術系の進路説明会
私は美術系進路の夢を密かに捨てきれず毎年参加していたのですが、
「建築学科志望の方も来てください。保護者の参加も大歓迎。」
とポスターに書いてあるのを見つけ、最後のチャンスだと思い親をその説明会に連れ出しました。
結局その説明会に親子で参加したことで、美術系大学の就職体系などにやっと理解を示してくれました。
美術予備校の学院長さんと直接三者面談をし、今までデッサンの経験もあることから2ヶ月後、つまり美術部を引退した3年生の7月から美術予備校に通うことになりました。

基礎科(※専門科目に分かれる前に学ぶ共通コース)に通うことなく夏期講習から建築科コースに所属し、色々大変ではありましたが、無事現役で私立美大の建築学科に入学することができました


最後に…こんな経験をしてなくても努力次第で結果は出せます。

ここまで"私の人生"を読んでいただきありがとうございました。
この記事を読んで下さっている人の中には実際に美術系大学志望の人がいるかもしれません。
これを読んで、「こんな経験してない…」と焦ってしまう人がいるかもしれません。
そんな人も、今からしっかり対策すればきっと夢は実現できるはずです。
美大受験のデッサンなどは練習すればどんどん上手くなれます。生まれた頃の才能とかは関係なくなります。
まずは予備校の夏期講習など、目の前にある小さな目標からチャレンジを始めてみて欲しいと思います。

知り合いでオンライン指導をしている方もいますので、近くに美術予備校がない方もコメント等で教えてください。ご紹介することもできます。

それでは、今回もありがとうございました!
またお会いしましょう!
質問等コメントもお気軽に書いて下さいね〜

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