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映画「母性」〜ルミ子の母親は果たして聖母なのか〜

先日、映画「母性」を鑑賞した。
観終わった後、私の心の中に痛烈な違和感が残った。

ルミ子の母親は果たして聖母なのか

劇中、ルミ子と清佳の回想どちらでも
愛に溢れた完璧な聖母のように描かれている
大地真央さん演じるルミ子の母。

実際、第三者目線から見ても
上品で美しく、言葉遣いや行動からも優しさが
滲み出ていて完璧な母親のように感じる。

だからこそ、ルミ子は母を愛しすぎるあまりに
母の圧倒的な母性に心酔してしまい
娘を愛せない母親のようにも感じられてしまう。
ただ、実際はどうなのだろうか。

劇中、一貫してルミ子は
常に相手がどんな回答を求めているのか、
相手から望まれている「正解」の発言を
することにこだわり
「不正解」を出してしまうことを激しく恐れている。

実際にルミ子は劇中でこんなことを言っている。

「私は母の分身なのだから、同じものを見て違う思いを抱くなど、あってはならないことです」

映画「母性」より

自身が「嫌い」だと思った田所の薔薇の絵を賞賛する母を見てのルミ子の心の声である。
実際、ルミ子は「その絵が嫌い」だということを
もちろん母に言い出すことはせず
田所からその薔薇の絵を譲り受けて
母に絵をプレゼントするまでしている。

母に褒められる、喜ばれる、愛される…
それだけがルミ子の行動軸であり
自分自身の考えや思いなどは関係なく
発言や行動等は全て「正解」か「不正解」かで
判断しているように感じる。

だからこそ、清佳が「不正解」を出すことに激昂した。

母が小鳥の刺繍をしてくれた手提げ袋を受け取った際に
清佳が「次はキティちゃんのバッグがほしいな」と
言った際、既製品が欲しいという意味だと勘違いした
ルミ子がお弁当箱を叩き落として
清佳に「小鳥の刺繍にして欲しい」と訂正するよう
強要する場面があった。
分身が自分だけの考えを持つことなんて
許されないと思っているのかのように…

そのようにルミ子が「私は母の分身」であると
自分の考えなど押さえ込み「正解」を出し続けることに
こだわり続けるようにさせたのは一体誰なのだろうか。
「不正解」を出すことにあれだけ怯えさせるように
させたのは一体誰なのだろうか。

映画の最後、清佳の妊娠報告を受けた際、
やはり母から昔、自分が受けた言葉をそのまま清佳に
自分の言葉のように伝えるルミ子を見て
切ない気持ちになった。
彼女はこれからも母の分身として生きていくのだろうと…

正しい母性とは一体どこにあるのだろうか。
私がいつの日か母になった時、
その答えが見つかることを願ってやまない。

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