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「フォークソングのアメリカ〜ゆで玉子を産むニワトリ〜」読書レポート③

ウェルズ恵子さん著「フォークソングのアメリカ〜ゆで玉子を産むニワトリ〜」アウトプット、3回目です。

今回は、カウボーイ・ソングについて。

現在では、かっこいいイメージのカウボーイの世界。

ところがその実態は、常に死と隣り合わせの、大変危険なものでした。
大平原を、砂嵐などの自然災害や毒蛇の脅威に耐えながら、移動する長旅。
夜になれば、牛泥棒にも目を光らせながら、草原の上で泥にまみれて眠ります。

そうしてようやく市場へと辿り着き、そこで収入を得ると、彼らはそのお金で身なりを整え、街へ繰り出します。
新しいブーツにハット、ポケットには銀貨がたんまり。
酒場に、賭博場、売春宿など、ハメを外して遊びまくります。
中には、一晩で稼ぎをすってしまうものもいたとか。

そんな彼らの暮らしは、たくさんのフォークソングの中で歌われました。

本の中で、「カウボーイの死」という項目があります。

カウボーイたちの中には、不運な事故によって命を落としたものも少なくありませんでした。
落馬したり、牛や馬に踏み潰されたりという事故は痛ましいもので、悲惨な死に様になります。そんな死という現実の悲しみをせめて美しいものにするため、脚色された歌が作られました。

1曲紹介します。

Oh bury me not on the lone prairie.

さみしい大草原に僕を埋めないで
コヨーテが吠えて、風が吹き付けるあの大草原に、僕を埋めないで

と哀愁たっぷりに歌われる曲です。

亡くなったカウボーイと近しい人は、この曲を聴いて悲しみに浸ったことでしょう。

この曲、オチでは

「そんな願いも虚しく、彼は寂しい草原に葬られた」

と終わります。

「いや、埋めんなや!」と思わず突っ込んでしまいました。

亡くなったのは確かに気の毒だった、でもそこ(草原に埋める)は防げたんでは!?

と思いましたが、それも叶わぬような事情があったんでしょうね。

本で紹介されたのとは少し歌詞が違いますが、フォークソングは伝承されていく中で歌詞が変わることがよくあります。おそらく派生形がいくつかあるのでしょう。

いずれにしても、そこに表現されているのは人間の命への敬意という、普遍的な思い。だからこそ、現代を生きる私たちの心にも深く響くのでしょう。


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