誰も知らないでいて、お願い

美女作家が巻き込まれる不穏な事態とは?

はじめはわくわく感でいっぱいだった。ふとしたことがきっかけで書いた小説を友人に見せると「おもしろい!」という感想をもらい、他の知人にも読ませるようになった。SNSで短編小説風の文章をアップすれば、少なくとも4~50件は「いいね!」をもらうことができた。それが「お付き合い」の範囲であることはわかっていても、嬉しいことは確かだった。調子に乗って詩をアップしたら、友人の友人のミュージシャンが曲をつけてプレゼントしてくれた。あとでライブに来てくれと散々誘われ、曲をつけてくれた歌も、実際のライブで公開するつもりもないことに現実を知ってがっかりした。ただ、その人は私を彼女にしたかっただけ。もっと直接的な言い方をすれば、その類の目的で適当に曲をつけて私に送ったにすぎなかった。はじめはそれに気付かず、やや単調でぱっとしない旋律だと思ったことは、自分の中でも伏せていたが、あとで聞きなおすとそれはひどいものだった。音楽がよくわからない自分でもこんな曲、10分程度でコードを重ねて作ったに決まっている。「やさしいギターコード入門」なんていうたぐいの本の始めのほうに「1時間で覚えられる基本パターン1」とかなんとかいったタイトルで紹介されていそうな旋律には及ばないただの和音だった。そんなことがあって冷静になってきたけれど、私の「書きたい」という意欲に一度火が付いた以上、それが萎んでしまうことはなかった。中には本心で、「描写がきれい。」「主人公が素敵。」などの感想をくれる人もいたのだから。
「とにかく、何か賞に応募してみなよ!」
友人たちの励ましに促され、私は、出版社の主催する小説賞に応募してみた。母も進んで締め切り前に賞を、使い慣れないインターネットを駆使して探してくれた。まずは多くの友人に「おもしろい」と感想をもらった「薔薇色の恋」という小説を最大手出版社の新人賞に出すことにした。
賞に応募するというのは何かと準備が大変で、作品以外にも、あらすじや作者プロフィールを規格通りに添付しなくてはならないところもある。プリンターの不具合には本当にイライラさせられる。締め切りの1日前、私は最終的な校正に追われ、気持ちはピーンとはりつめていた。
「あ~もうまただ。」
12月も半ばをすぎ、外は午後4時半だというのにすでに薄暗かった。ラジオからはクリスマスソングが聞こえている。落ち着きを取り戻すため、深く呼吸をしてから、「サンタが街にやってくる」に耳を傾ける。ひょっとして、クリスマスが過ぎて来年には、サンタが大金を運んでくるかも…。大賞の賞金は30万円だった。本屋でアルバイトをしている私からすれば大金中の大金だった。ひんやりとした廊下を行き来して、原稿を印刷し、確認し、ようやくA4サイズの封筒におさめることができた。
 それで終わりではない。これから八重洲の中央郵便局まで足を運ぶ。前日でも都内であれば翌日配達が可能なのは、この日本郵船の入ったビルの1階にある郵便局だけなのだ。華やかにライトアップされた東京駅の外観を背に私は郵便窓口へ急いだ。

それから1カ月が過ぎた。私の結果は「落選」。それも、発表日に連絡がないことが落選の知らせの代わりだった。応募総数数百件に及ぶ小説賞で見いだされるのはわずかに2,3件だ。1度目の応募で受賞できるわけがなかったことはわかっていても、応募作品にかけた時間や労力を考えると、拍子抜けする想いだった。せめて、何がだめだったのかぐらい言ってほしい。
「まだまだ別の賞もあるから…。」
母は励ましてくれる。私も無職というわけではないのだから、気楽に応募していこう、そんな気持ちになった。
 しかし本屋で働くというのは労働だった。書籍を倉庫から持ち出し、背の届かない棚には脚立で並べる。時々、知人に偶然会うこともあったが、どうも店で働いているところを見られるのは気まずかった。オフィスで働いている人たちは一段階上にいるような気がする。もともと、わりと名の通った私立大を卒業後、編集の仕事がしたくて、出版社に絞った就活に失敗し、今の書店で付け焼刃に働いたのがきっかけだった。30歳になる前に、職場環境を変えたい。その気持ちは28歳の誕生日を迎えた今日、一層強くなった。
 だから、応募した作品に可能性があるなら、なるべく早く通ってほしい、というのは切なる願いだった。それに友人たちに話している都合上、賞を取った報告は、もちろん早くしたい。時間を作っては書き、書いては応募するを繰り返すうち、季節は、若葉も色濃く薫る初夏を迎えていた。
それまで大きなものから小さなものまで35件の賞に応募した。以前に書いたものを送ったり、インターネットで簡単に応募できるものにも挑戦した。佳作以外に審査員の作家の先生が見込みのある作品をチョイスして、感想を応募サイト上で公開するものもあったが私の作品はそこには入っていなかった。
 「なにが悪いんだろう。」
最近は、カラオケ3人娘としてよく遊んだ友人も、結婚してしまい、愚痴を言う相手はケントさんだけだ。ケントさんは税理士で、同じ大学の2つ上の先輩だ。人の好さそうな笑顔とラグビーで鍛えた肉体は、何かのヒーロー漫画に出てきそうな雰囲気だ。でも、おそらく中心のヒーローではない。
「僕は良いと思うけどな、せっちゃんの作品。」
「でも30件以上も落ちたんだよ。」
「審査員の好みがあるからね。僕は、知っての通り、小説には全く詳しくないけれど、せっちゃんの作品はすごく繊細できらきらしてる。そういうの、僕はすごく好きだけど、いわゆる大御所と呼ばれる作家さんたちの中には…」
詳しくないと言いながら、ケントさんは話し続けた。なるほど、親しくて、私のことをよくわかってくれているからかもしれないけど、この人の言うことは1理も2理もある。赤坂のホテルのダイニングは私のお給料ではとても行くことのできない高級感あふれるおしゃれな場所だった。間接照明のオレンジが私たちを優しく包んでいる。ケントさんの後ろに私の大好きなイロトリドリの薔薇が匂いたつように生けられている。ちょうど、「ラビアンローズ」が生演奏で奏でられ、ケントさんのコメントをよそに、私はピアノに聞き入った。薔薇のような恋…。ケントさん、もう少し右に寄って…満開の薔薇が見たいの…と思わず心で呟く。私ったら、いけない!こんなところでご馳走してくれて愚痴まで聞いてくれる。落選者を慰労してくれる救いの戦士に失礼だわ…。
 軽く身震いして、ケントさんの話に再び集中した。
「だからね、いま活躍している作家もトレンドが追えなくなって、いつかは売れなくなる。そうして新しいテイストが好まれるようになれば、連続受賞だって夢じゃない、要は相性の問題だと思う。だから、せっちゃんとテイストが合う審査員はじきで出てくるよ。そのときまで気長に応募するためには、例えば、人生設計のひとつとして結婚とか…」
話が思わぬ方向に進んでいることに気づき、私は、目を見開いた。
「結婚て私彼氏もいないんだよ!」
思わず返すと、
「僕だって彼女はいないけど、結婚したいなって思うことはあるよ。」
とケントさんが答えた。ん?これはどういう意味なのだろう。まさか、私のことを…?
「好きな女性が振り向いてくれれば、ね。」
このあと、すぐに「ケントさん好きな人いるんですか~。」と何故聞けなかったのだろう。まさかの万が一、私、なんて言われたら、すごく困るから…?いや、ないない。ケントさんのオフィスはすごく大きいし、そこに女性も沢山いる。大学の同期の女性ともごはん食べるって聞いたことあるし。だったら、何故聞けなかったのだろう。それは、ケントさんの好きな人が自分でないことで受ける軽い失念よりも、「私」であったときの二人の間におきる変化が怖かったからに違いない。私はケントさんをちょっと利用している。この居心地のよい関係は恋愛の存在を意識することでたちまち破壊されてしまうのだ。
 それから半年くらいたったある日のことだった。震える手で母が自宅の受話器を私に差し出す。「春秋文庫の編集局の方からよ。」私は言われるままに受話器を耳に当てた。
「もしもし。」
「高山節子さんですね。おめでとうございます。あなたの作品が短編小説大賞に選ばれました。編集部にお越しいただきたいのですが…。もちろん、日程は調整致します。」
相手の男性はとても感じよく丁寧だった。
「今から…。今からでも大丈夫ですか?」
私は素っ頓狂な声をあげた。
「もちろん構いませんが、高山さんはご都合よろしいのですか。」
「はい!」
 真っ白な壁と上品な琥珀色の調度品を備えた応接室へ案内され、私は自分が何かとてつもなく重要な人間になったように感じていた。ウエッジウッドの茶器で紅茶が運ばれてきた。出版社のオフィスというともっと煩雑なイメージを抱いていたが、あたりは驚くほど静かだった。
 ノックの音がした。私は立ち上がり、背筋を伸ばした。これから自分の運命を託す相手が現れるのかと思うと、知らないうちに心臓が大きな音をたてている。
「はじめまして。編集者の河野といいます。」
河野さんは見た目30代の俳優の佐藤浩市をだいぶ若くしたイメージだった。若くても貫禄があって、なんだか出版社にいそう!
「今回は、、、ありがとうございます。」
小説家のスタートライン立って言葉を選びすぎて何も言えなかった。
「緊張なさらないでください。我々は仕事のパートナーです。どうぞ。」
そう言って彼は座るように勧めた。
「あなたの、人情短編小説賞における「祖母の恋」は実に素晴らしかった。筆遣いはもちろん、今の時代に合った「介護」をテーマにした作品を若い人も共感できるように生き生きと明るく描いている。」
河野さんが話し終わる前に私は体が急速に冷えるのを感じた。温度で感じる寒さではなく、心霊現象を目の当たりにしたようなすーっと寒くなる感覚が私の体の中心をたちまち支配した。書いてないのだ。河野さんの口にした「ソボノコイ」は私が応募した作品ではない。しかも、よく考えると私は、人情という言葉がなんとなく歯がゆくて、この賞には応募していない。ほぼ同時に開催した恋愛短編小説賞に応募したのだ。なのになぜ…。誰かの応募作品と間違えた…ありえるかもしれない。私は氷りついたように河野さんを見返した。
「そんな不安そうにしないでください。もちろん、時世を反映しているだけが、受賞理由ではないですよ。多少校正を加えましたが、なかなか優秀な作品です。なにより僕が感動したのはですね、主人公のトメ子さんが介護に反発して暴れるシーンのボランティアの青年の台詞がよかった。そういった現場に立ったことがおありなのですか。」
「いえ、ただ数年前に弟が亡くなって、障害を持っておりましたので、その様子は参考にしたと思います。」
思わず、口をついて出た台詞だった。弟のことは事実でも、これでは、そのトメ子とかいう女性が主人公の小説を自分が書いたことを認めたようなものだ。
「あの台詞ねぇ。繰り返し使うと効果的だと思うんです。最後に…」
私はここで彼の言葉を遮った。
「すみません、今日、あまりに驚いて原稿を持参するのを忘れてしまって…。応募原稿を見ながら話したいのですが…。」
河野さんは一瞬真顔で私を見返した。
「原稿をお持ちでないとなると、あなたが作者ご本人か疑わしくなりますな。」
私は首から微小な汗のしずくが落ちるのを感じた。もはやこれまでか…
「冗談です!」
河野さんが歯を見せて笑った。
「本当に緊張感が抜けないようなので、揶揄っちゃいました。失礼、失礼。いま原稿をお持ちしますね。」そう言って立ち上がった。
河野さんが部屋を出ると、ふたたび応接室は音を失った。私はハンカチで汗を拭きとり、目を閉じた。そしてまた目を開ける。四角いサッシの向こう側は公園になっていて、樹木の小さな森が風に音もなくゆれていた。冷めた紅茶に口をつけると上品なダージリンの苦みが口に残った。なんだかすべてが調度品で、上品な感じがする。私のふだんいる世界とは大違いだ。たまにケントさんが連れていってくれるホテルのダイニングのような風景に私が1歩近づこうとしているのだ。
 それから1年後、初夏の夕暮れの東京の郊外で、私は帽子を深くかぶり、西日を避けて大勢の撮影スタッフが集う中にぽつんと立っていた。河野さんが到着した。この夕暮れどきは古くから黄昏と呼ばれているが、沈む太陽の和らいだ光が人影のみを残し、はっきりと顔をみせない、「誰そ彼」に由来するものだと言われている。
「高山さん。遅くなりました。今回「祖母の恋」でボランティアの学生を演じる晴夏さんです。」そのうっすらとした長身の影はみるみる輪郭をはっきりとさせ、黒髪の目の大きな美しい男性として私のまえにあらわれた。
「原作は出版されたときから読んでいました。よろしくお願いします。」
そんなこの世のものとも思えない煌びやかな男性にお辞儀をされ、はたしてこんなきれいなひとが介護スタッフの役などできるのかとちいさな疑問のささやきが頭をよぎり、私は「よろしくお願いします」と答えるのが精いっぱいだった。

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