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猫は見つからなかった 2024/03/04
猫を探す夢を見た。どうやら小さい子猫を飼ったようで、すごく溺愛していたのに、急に居なくなってしまって見つからないまま朝を迎えた。猫は見つからなかった。夢だとわかっていながら、だいすきなものが消えてしまったことで、ぼーっと朝をやり過ごした。
正しさがどんどんわからなくなる。
正しさには二種類ある。
社会的な正しさと、自分が思う自分のための正しさ。
社会的に正しい振る舞いをすると、苦しくなる。自分が思う正しさを貫き通すこと、それには沢山の障害物を乗り越えていかなくてはいけない。ずっとその間でごろごろ転がっている感じ。正しさが怖くて、でも正しさを無視することができない。おろおろ。
公開当時、渋谷で観た カモンカモンをもう一度Netflixでぼーっと観ることにした。
ぼーっと映画を観る、ただ流す。
当時、記した感想を掘り起こす。
未来に対する漠然とした不安を抱える。 未来は過去の蓄積で地続き であると思うほどに、 今をどうにかしないとと焦燥感に駆られる。 でもジョニーが未来は思いがけないことが起こる、 想像通りではな い。 だから前に進むしかないと言った。 子供も大人も不安なのは同じで、みんなひとりで寂しいから声をかけあって、 言葉でも、体で も、表せない何かをどうにかして伝えようとしている。 君には僕が 居るし、僕には君が居る。 その瞬間を積み重ねていくことが、他者 と共に自分の未来を少しでも光のあるものに見せてくれるのだと、 この2人を見て思った。子供も大人も人同士なんだ。 君をわかりたい、という声が聞こえるような目の演技がとても印象的だった。忘 れたくない時間があるというのはうれしいことであり、同時にこわくもなった。 見えるものが増えていくこと、 だからこそ見えないも のに意識的に思いを馳せていなくては、 とジョニーから感じた。 す ごく好きな映画。 対立ではなく、対話の導くものの先を見せてもら ったような気がする。
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正しさはわからない。
けれど、クールだと思える方向へ耳も足も向けよう。
それしか今はわからない。
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