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人間的欠陥

私は自分のダメなところとかうまくいかないことの原因をほとんど全部「アダルトチルドレンだから」ということに結びつけている。

実際カウンセリングを受けるとか本を読むとかして、アダルトチルドレンから抜け出す行動はそれなりにしている。

だけどもしこれがうまくいって克服できたとき、それでもまだ自分の人間性や社会的にみたときの自分というものがだめだと、そうなったらどうしようとふと思う。

もちろん他人と比較する必要がない部分もあるだろうし、アダルトチルドレン克服そのものにはもちろん意味があって無駄にはならないのだろう。それに克服できたらそもそも他人と比較する癖も少しはマシになるかもしれない。

でもやっぱり自分なりの幸せを手に入れればいいじゃん、人生!って思ってもそれは完全に社会一般の幸せと切り離すことはできないのではないかと思う。一般的な普通の幸せを無視して独立した幸せを築くことは、人間が他者と関わりながら生きていく生き物だという事実がある以上難しいのではないか。

そう考えると他人と人生を比較することがゼロになるのは多分なくて、それが時々、自分の社会の中での立ち位置をつきつけてくることになるだろう。

この立ち位置が今は正直めっちゃ終わってて、生活は親頼りのフリーター(一応芸人)、恋人もいない、友達は少しいるけどなんかうまくいかないことが続く、みたいな感じ。

でその原因を「アダルトチルドレン」っていうところに想定しているっていうのがここまでの話!(生活が親頼りのくせにアダルトチルドレンなわけないだろ、という話は深く説明が必要なので一旦省きます。)

話がぐるぐるしてて進まなくてすみません。

もし原因がアダルトチルドレンのせいじゃなくて、もっと違うところにあって、でもそれに気がつくのがあと数年経ってからとかになるとやばい。

何がやばいかというと、年齢。年齢はただの数字とか、24歳なんてまだまだ若い!とか言われることや見聞きすることはある。実際そういう面もあるのだと思う。でも社会の中では年齢はかなり重要な指標のひとつだ。

もういやになって、本当に人生やり直させてください泣、という気持ちになるのだがそうはいかない。

みんなが当たり前にできて、というかできるとかできないとか以前にそうなっている、というか通る道(歩む人生)を私はなぜ通れていないのか。

この答えが「アダルトチルドレンだから」つまり「幼少期や成長過程で様々な問題があったから」ではなかった場合。ってかこれが問題の答えだったとしても。

考えてばかりで、自分を知ろうとするばかりで外からみたら何も変わってない現実。人と同じように生きてるつもりで、自分には自分だけが気づいていない大きな欠陥でもあるのか。それがなんなのか。

時間はどんどん進む。今が一番若いってわかりつつももう遅い、って人生を諦めたくなる気持ち。

どうしてこんな生きづらいのかなと考える。普通なんてやだ!と思いながら、でもその普通にすらなれていない現実。あえて普通じゃない道を選んでいるようで、実際は普通になれないから、こうするしかないからここにいるのではないか。

たとえ成長過程の問題が及ぼしている影響が、今の(今までの)自分の苦しみの原因だとしても克服できるのかもわからない。できたとしてでもなんか全然まだ苦しい、ああそうか自分が怠惰なのを逃げていただけだったのか、ってなったらもういよいよ終わる気がする。

まあ実際はそのときがこなければわからない、全て未来の話なのだけど、焦ってもどうしようもないのだけど、焦るし不安。苦しい。

この話を終わらせるにはきっとポジティブな解決策とか方針とか書くのがいいんだろうけど、とてもそんな風な気持ちにはなれなくて、嘘を書きたくもないから、終われない。でも不安はまだまだ終わりそうにないから延々とネガティブな言葉を続けることになるからもう今日は(今日も)答えのないまま、強制終了ということで。すみません。

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