年賀状が途絶えなかったのは、父親のおかげ
40歳の時に、発病してから、長らくの間、年賀状は、父親に作ってもらっていました。
年末になると、年賀状を持って、実家に泊まりに行ったものです。
父親は、筆まめを使わせたらピカイチで、年賀状といえば、父親の代名詞だったのです。
子供頃の年賀状は、もちろん手書きでしたが、
父親が合板にゴム板を接着剤で貼り付けて、図案をゴム板に移して、カッターで切り抜いて、父親がハンコ作りをしていました。
アジフライの小学生の時に取得したお習字5段の腕前の文字に、父親作のゴム板を押すのが毎年の慣わしでした。
本当に、父親は、器用で、毎年、素敵なゴム板を製作しました。
その後、プリントごっこの登場です。
プリントごっこでは、手書きのイラストと文字の構成のオリジナル年賀状をよく作った物です。
プリントごっことか、ホント、懐かしいですよね。
初代、プリントごっこは、結婚した後も、子供が産まれた後も、長い期間、我が家では、活躍しました。
父親はと言うと、ワープロを購入し、ワープロで年賀状を作るようになったのです。
そして、父親は、ワープロからPCへと移行していきます。
本当に父親は、機械ものが大好きなんですね。
PCは、何台買い替えたんですかね。
我が家に、初めてPCがやってきたのは、父親のお古でした。
そんな中、アジフライが発病します。
症状のひどい闘病生活の中、父親が代わりに年賀状を出し続けてくれた事によって、旧友との縁が切れずに済んだのです。
父親に年賀状を作ってもらっていたのは、7、8年ぐらいでしたかね。
真っ白な年賀状だけを持って、実家で父親に年賀状を作ってもらっていました。
もちろん、インク代なども父親から請求されませんでしたが、今思うと、インク代とか、結構、高かったので、本当に、おんぶに抱っこ状態でした。
年賀状のイラスト本も父親が購入したものを使用していたんですから、
ひどい娘ですよね。
でも、そういう心遣いも出来ないぐらい、アジフライには、余裕がありませんでした。
現在も、筆まめを使用しますけど、詳しい使用方法は、父親の方が、詳しんじゃないかと思われます。
さて、父親なのですが、去年から、年賀状を出すのをやめました。
年賀状を出す先方の方々も高齢で、お亡くなりになった方も多く、父親も、年賀状を出すことが、億劫になったのかもしれません。
アジフライの中での年賀状の思い出は、父親と切り離せない。
年賀状だけではありません、
父親は、いつも一歩先を歩いています。
超えたいのに、超えられない、
父親はそんな存在です。
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