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使命感だけで生きていたのをやめたが

小さい頃から使命感だけで生きてきて、どつぼにはまり発病する。

現在は、使命感という強迫観念をほぐすようになったが、もともとの素質は変わらない。

今日は、週1のヘルパーさんの訪問でした。

もう、12月ということで、早めに終わった調理の後、大掃除とまではいかないが、換気扇フードの油汚れとかを掃除した。

掃除しながら、ヘルパーさんに愚痴を聞いてもらったのである。

現在、財布は旦那が持っているのであるが、仕事帰りに、献立を考えながら買い物をするのが苦痛だという話。

病気になる前は、アジフライだって、仕事帰りに買い物をずっとしてきたのに、そんな弱音を旦那が吐いて、勝った!!って、思ったんだと言う話。

だいたい、子育てしながらパートに出た時だって、パートに出たいのはアジフライの都合であって、旦那自身が頼んで働いてもらった訳ではない前提で話がまとまっていたが、パート代は、家計に入っている。

それなのに、旦那から、感謝の「か」の字も無かった。

持病を発症後、自分でリハビリを重ねパートで復帰した時も、旦那は、「お前のパート代は、あてにしていない。好きなように使えば。」と言われたけど、結局、食費や雑費で、ほぼ無くなっていた。

もともと、子供の頃から使命感でずっと生きてきているのである。

鍵っ子で寂しいのを我慢して、一人でお留守番をするのが自分の使命。

学校帰りに、スーパーで働いている母親のもとを訪ね、晩御飯の材料を受け取り、晩御飯を作り、家族の帰りを待つのも自分の使命だと思っていた。

そんな話をヘルパーさんにしたところ、ヘルパーさんはのたまう。

一人っ子がずっと羨ましかったんですって。

一人っ子って、なんでも恵まれてて幸せそうに映ってたから、でも、そんな一人っ子もいるのね。と。

結婚してからも、使命感という立ち位置は変わらず、家族の為に働いてきて、結局、使命感という大きな壁に押しつぶされて、自分が壊れる事になったんだけど、

使命感を解放する長い時間を神様が病気と言う形で、アジフライに与えてくださった。

その部分に、気付けるように必要だった闘病生活だったようである。

両親は、アジフライの事を強い子だと思っていたのだから。

出来る事が増えた現在は、再び、使命感が芽生え、家族の為、父親の為に動いてしまっている自分に気が付いた。

ヘルパーさんは、帰り際、アジフライさんは、責任感が強いのね。って。

お父様は、そんな娘がいてくれて、幸せなんじゃない?と。

一人っ子と使命感。

同じ思いを持っている人、コメントください。


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