自分がハンデを持って思う事がある
にがてなブログがある。
闘病をしている人やハンデのある人の事を取り上げて応援している人のブログである。
自分がハンデを持っているから闘病をしている人やハンデのある人の情報を手に取る事の重圧と共に、応援や同情をする人の言葉を読みたくないからである。
24時間テレビとかも美談のようで嫌いである。
40歳で発病し、途中からハンデをもつ人生になった訳であるが、昔から違うと思っていた。
高校で理系クラスであったから、医療関係に進むクラスメイトが多かったが、人の役に立ちたいからとかの任務めいた感情は持っていなかったし、理系でも生物系ではなく、機械を相手にしたものに興味を持っていたのだ。
子供を保育園に預けてパートで働いていた職場に、介護の仕事をしていた人が入ってきた。
その人が介護の仕事をしたのは、奉仕したいからであるとのたまう。
偽善者。
お金をもらっているのに、相手を同情しているからという気持ちだけで向き合っているのがすごく気持ちが悪かった。
そんな考えを持った中、ヘルパーさんに手伝ってもらわなければ生活がなりたたなくなったのである。
そんな介護者に対する考えを覆す出来事に出会う。
前職、3年間働いた職場は、偶然にもデイサービスであった。
体力が無く引きこもり体質の生活を送っていたので、デイサービスのランチタイムはすごく興味深かった。
色々なところに旅行に行った話やら、自分が体験出来ない話がいろいろ聞けてとても楽しいランチタイムであった。
そのスタッフの言葉がささった。
介護の仕事に対して、プロとしてサービスを提供すると言う言葉である。
うちに週1回来ているヘルパーさんも同じである。プロとしてのサービスを提供し続けてくれている。
現在も毎日思うような生活が出来ている訳じゃない。
そんな毎日を嘆くだけならいくらでも嘆いていられるけど、毎日、生活していると幸せな発見をする瞬間もある。
ハンデを持っている人を美談だけでかたづけないでもらいたいのである。
確かにハンデを持っている人が努力をして挑戦している姿は、勇気づけられる話でもあるかもしれないが。
不幸な立場の人に幸せな時間があってはダメなのか。わがままを言ったら美談が成り立たなくなるのか。
ハンデを持っている人もハンデを持っていない人と同様に毎日生活しているのである。
ハンデを持っている人の一面だけを見て、同情するのはやめて。
ハンデを持ってから、小さな出来事でも幸せを感じるようになったと思う。ハンデを持っていても自分の意見は述べたいし、わがままもいいたい。それが生きていると言う証拠だから。
いただいたサポートで美味しいものを食べて、次のnoteに活かします。