日に日に弱っていくのは
今日はとうとう、最寄り駅から家までの途中で、地べたに座り込んで動けなくなった。
日に日に弱っていくのは、父親ではなく、私の方である。
本日は、持病の通院という事で、自宅を出発したが、病院までの交通機関が、オリンピックの影響で複雑化していた。
朝、台風の影響か、小雨がパラパラしていた。
病院もより駅から徒歩で向かっている途中、帰りは誰かにお迎えに来てもらわないと、帰れなさそうだった。そのくらい体が疲弊していた。
病院は空いていた。
すぐに、名前を呼ばれ、先週の月曜日の夜に話を聞いてもらった御礼をのべ、父親が実は、脳梗塞から来る血管性認知症だった話をした。
父親の介護は一人で、家族が病院についてきてくれるとかなどもなく、自宅に帰ったからと言って労いの言葉もなく、孤独である事を吐露した。
誰かにお迎えに来てもらわないと、帰れないというと、先生は、ゆっくり時間をかけて帰りなさい。と。
主要乗り換え駅まで交通機関で向かっている途中、携帯に父親の病院からの着信があった事を知り、途中下車する。
なんのことはない。転院の打ち合わせで、病院を訪ねてほしいという連絡であった。
明日は、自分のヘルパーさんと家の中をどうにかしなければいけないので、木曜日に病院を尋ねることとなった。
帰りに、軽くスーパーで食料を買った。
また、買いすぎると一人では帰れなくなるので、ほんの気持ち程度。
と、ふとみると、コージコーナー発見。
無印ができた影響で場所が移ったことは知っていたが、こんなところにあるなんて、でも、今日は、予算がないので、シュークリームは見送った。
自宅最寄り駅前のコンビニで、フラッペが美味しそうであるが、家族分簡単に持ち帰れそうにないので諦めて帰宅する。
夕方の5時。ふたたび、父親の病院から携帯がなった。
おもらしをしてしまって、着替えがないから持ってきてほしいと。
じゃあ、今からと家に干しておいた父親の下着をカバンに押し込み、赤い電車に揺られた。
もう、一杯一杯だった。赤い電車の中で、不安薬を服用する。
実家に行くには、坂を登らなくてはいけない。着替えを取りに行く元気がなかったので、父親の下着を2組新たに購入し、合計3組を届ける。
赤い電車に揺られて乗り継ぎ自宅最寄り駅に着いた。
フラッペ買おうと思ったが、頭がややこしくなり、重い足取りで、自宅に向かったが、もう一歩も歩けない。と地べたに座り込む。
携帯で迎えにきてと電話をし、息子福山を呼び出す。
何十分座り込んでいただろう。
フラつきながら、一歩一歩ふみしめ自宅にたどり着いた。
点滴してもらいたい。と言ったら、病院は点滴をしてくれるのだろうか?
父親より先に、ぽっくりいきそうな予感を感じる今日この頃。
そんな中、父親の下着を洗濯する。
今、やっと起き上がり、シャワーを浴びる。
やっぱり、もう、限界かもしれない。
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