女ってつまらない?
今日は、遺品整理をしました。
とりあえず、父親以外のものをと掘り下げていったら、ほぼ、母親の長年の生活の記録でした。
ふと見ると、一冊のノートが出てきました。
そのノートには、母親が3食食べた記録と、一行の感想を書き綴っていました。
そのノートの中では、まだ、うちの家族との交流が頻繁だった頃のようでした。
遊びに来ていた孫が帰宅した時の感想。
「寂しい。でもホッとした。」
アジフライが一人っ子で、早い時期から働いていたし、結婚するまで自分の進路は自分で決めていたアジフライは、母親を困らすことなくやってきたので、孫は嬉しいけれど、大変と感じたのでしょう。
うちの自宅に来た時の感想。
「息子福山の泣き虫。」
この一言には、笑いました。
そんなに、泣き虫だったかな?
息子福山が泣き虫だった記憶は、そんなにありません。
そして、「女って、つまらない。」の一言でどきり。
母親がそんな事を感じていたなんて、晴天の霹靂でした。
そのノートの後、写真がいっぱい出てきたのですが、仲間との宴会写真や旅行写真や体操教室の様子の写真や、楽しそうな様子がうじゃうじゃ。
なんと、充実しているのでしょうか?
さっきの「女って、つまらない。」は、何だったのかと。
母親は、アジフライが幼稚園の頃からパートを始め、アジフライが小学生の頃には、スーパーの社員として勤務し、土日も家を空ける状態でした。
土日働いているのだから、平日にお休みしていたはずなのに、アジフライは、それに気がつかなかったぐらい、家にはいませんでした。
旅行にも、父親の食事を頼むと、さっさと行っちゃうし、飲み会にも行っちゃうし、親に相談などという機会もありませんでした。
だから、進路も自分で決めて、
アジフライは、大人になってから旅行の記憶なんて数えるほどです。
40歳で持病を発症してから長い闘病生活が始まり、やっとパートをはじめたかと思ったら、両親の介護が始まって。
それに比べたら、母親の人生の充実ぶりったらない。と遺品整理をしながら、ぷんぷん怒っていました。
とりあえず、遺品整理は、このまま、長年手付かずの納戸へと突入しようと思います。
午後からは、シュレッダーをしました。
シュレッダーは、買い換えたばかりで、電動なので、サクサク行きます。
ほぼ、母親の残した書類関係です。
母親の部屋も大変でしたが、こんなところにも母親のものが溢れているなんて、2階を整理して2回目ですが、やっと3歩ぐらい進んだぐらいです。
明日は、粗大ゴミに電話をしてみようと思っています。
果たして、住人を失った家にも粗大ゴミの回収に来てくれるのか。
こんなこと、私の体力だったら、パートをしながらだったらできなかったな。と。
いただいたサポートで美味しいものを食べて、次のnoteに活かします。