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コロナ禍で、学校に行けない子たち

毎晩、旦那が仕事から帰ってくると、テレビは、まず、クイズかお笑い系となり、時間になるとニュース番組へと変わっていく。

昨晩も大阪の感染者が800人越えだったというと、間違いなくニュースへ変わった。

ニュースを見ていたら、特集で、コロナ禍で、学校に行けない子たちの話になった。

大体の子が、コロナに罹ったら命の危険に晒される持病を持って要る子達らしい。

医師に相談したところ、学校には行かないでくださいと言われたそうで、去年の緊急事態宣言解除後以来、学校には通っていないそうだ。

中学生の子は、将来、医師を目指し勉強していたが、今年、自分が学びたい進路の高校を受験できず、通信高校に進学したそうだ。

また、兄が持病を持っているため、菌を家に入れる危険があるからと、健康な妹も自宅待機を余儀なくされていた。

学校からのプリントは全て提出してあるが、成績には反映されず、欠席扱いとなっているため、高校に進学できるのかどうか不安であるそうだ。

はたまた、家族に持病を抱えている子もまた、学校に通わず、自粛生活を送っているそうである。

学校に通わず、学びはどうしているのかというと、学校からのプリントをこなしたり、学校からスタディアプリを勧められて、動画で授業を受けたりしているそうだ。

コロナ禍で学校に通えない子供を持つ家庭では、学校に授業を動画配信してもらいたいと願っているが、個人情報の問題で断られるそうだ。

その理由が、学校の授業の動画を勝手にSNSやブログに載せることを恐れてであると回答があった。

そのため、動画配信をしている地域では、公開しませんと、一筆書かせているという。

国での対応も出てきたが、各地方自治体に、オンラインで授業を受けれるように指導をしているが、実行されていない場合がほとんどだそうだ。

学びとは、なんだろうか?

学校とは、なんだろうか?

学習だけを取り上げるのならば、国が統一した一つの学習動画を作成し、共有すれば済むことではないかと思われるが、学校での学びは学習面だけではない。

学校は、集団の中で生活することによって、子供たちそれぞれが、いろいろ学ぶ場所である。

だから、動画配信だけで満たされるわけでは無いのである。

死ぬか生きるかの究極の選択を迫られている子供たち。

実をいうと、うちの父親についても同じ思いが自分の中にある。

父親の元に、毎日、ヘルパーが入っているし、訪問医療でドクターとナースは訪れるは、訪問入浴がやってくるわ、訪問リハ、訪問看護、宅配弁当屋と大勢が出入りしているので、誰かが、コロナを持ち込んだらアウトであるが、それら全てを断って、自分一人では、父親の介護はできない。

変異ウイルスが猛威を振るいそうな昨今、死ぬか生きるかの選別は、まだまだ続きそうである。


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