墓じまいと思い出
本日、東北地方に住むいとこの家から連絡をもらった。
墓じまいをするという報告であった。
自宅近くに、母方の実家があった。
夏休みになると、良く母方の実家に送りつけられていたのである。
叔母も日中働いていたので、祖母とお留守番をしていた。
小学生となると、祖母もいたのであろうが、あまり祖母との記憶が気薄である。
自分でお昼ご飯なども作れるわけが無いのであるから、きっと祖母のお世話になっていたのであろう。
叔父は、いつも仕事で忙しい。長期出張も多くて、あまりあった事がなかった。きっと、叔父の長期出張の間、預けられていたのかしれない。
正月になると、家族三人で、泊まりがけで、母方の実家を訪れた。
叔母が料理上手で、腕を振るう。
叔母のエビフライが美味しかった。熱々の揚げたて。
大人になって知ったんだけど、揚げると海老って小さくなるじゃないですか。プリプリ肉厚の食べ応えの海老を再現するのは難しかった。今思うと、大ご馳走だったんだな。
お正月には、祖母、叔父、叔母といとことうちの家族と、母親の妹夫妻が集まって、大賑わいである。お餅つき機を買った時には、大盛り上がりをした記憶だ。
いとことは、10歳違いなので、一緒に遊んだ記憶はない。
幼稚園の持ち物に書くマークのイラストをいとこが描いてくれた。幼稚園の持ち物には、いとこが描いたヘリコプターが描いてあった。
あと、いとこがチョコボールの金と銀を集めてもらうエンゼル缶を送ってくれた事がある。
そんな訳で、母方の親戚は、とても近いしい間柄であった。
そのお墓が、海の見える土地にある。
タクシーでしか行けない、共同墓地である。
その墓地は、実家から50分ぐらいの土地にあるのであるが、なかなか簡単には、お墓参りはできない。
40歳で持病を発症してから、自分の事で精一杯で、ずっと不義理をしている。
まめに墓参りをしていた両親が亡き今、天気と相談して、墓参りでもと考えていた矢先である。
仕事の関係で、東北地方に移り住んだいとこが、遠方のお墓の管理は難しいと考え、このたび、墓じまいをし、永代供養とする事にしたという話だ。
その話で、電話をもらったのだ。
いとこの家には、娘しかいない。
うちも息子福山が生まれなければ、同じ道を歩んでいたかもしれない。
しかし、東北地方までは、遠すぎて、もう、墓参りはできない。
あんなにお世話になったというのに。
思い立った時に、行動していれば。
ただ、ただ、思い出だけが、残る。
いただいたサポートで美味しいものを食べて、次のnoteに活かします。