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絵が描けなくなった話

服飾の専門学校在学中に、大好きな絵が描けなくなった。

どんなに絵が好きだったかと言うと、紙とみると絵を描いていた子供時代であった。

小学校のテストなんて、問題の書いていない裏紙は、漫画でいっぱいになった。もちろんテストの残り時間を使って、創造力を膨らませて、漫画を描き綴って行ったものである。

そういえば、テストの裏に漫画を描き散らしていたが、一度も先生に注意を受けた事がないと今さらながら、不思議な出来事である。

小学生の時は、月刊マーガレットを買ってもらっていた。

それと同時に、印刷会社に勤めていた叔父が、紙を裁断する時に出る上質な紙の束をくれたので、創作活動を行う紙には苦労はしなかった。

小学5年生の頃であろうか?クラスで友達同士で単行本の貸し借りが流行ったが、アジフライは一冊も持っておらず、親に一冊だけ単行本を買ってもらって、その一冊で、友達から単行本を借りていた物である。

小学校の図工の時間や中学校の美術の時間に、写実的な絵を描くのも大好きであった。しかしながら、鉛筆で描いているうちはいいのであるが、絵の具で色をつけていくと、壊滅的な仕上がりとなるのである。

共働きの両親からは、日頃お留守番をしっかりやっている事と、鍵っ子である事がかわいそうであること?で、お小遣いは同級生達より多くもらっていたと思う。

高校時代のそのお小遣いは、漫画の単行本へと変身して行った。高校時代は音楽クラスを2年と理系クラスを1年過ごしているので、美術の授業を受ける機会がなかったが、高校時代にはまった耽美主義の少年画を家で描いたスケッチブックが実家に残っている。

高校後の進路の時にはすごく迷った。

一番は、子供の頃からの夢だった歌手。高校時代には、アニメ歌手になろうと、堀江美都子様を崇拝していたぐらいであるが、その次に夢がデザイナーであった。

親から2年間だけ時間をあげると言われていたので、3年通わなければいけないデザイナー科は除外され、もっと商業ベースのファッションを学ぶ科に進学した。

専門学校では、デザインの授業もあり、デザイン画も事とあるごとに描かされて、それはそれで楽しかった。クラスメイトからどうしてそんなに絵が旨いのかと問われた事もあった。

或る日、廊下を歩いていると、デザイン科のデザイン画が壁に貼ってあり、そのデザイン画の一つの作風をまねて、デザイン画を描き始めたのである。作風をまねて書き始めてから、自分の絵の方向性を見失っていくのである。

文化祭の時のファッションショーのパンフレットにデザイン画を描く依頼を受けたが、もうその時点では、絵が描けなくなっていた。

その後、子供が生まれ、ポケモンを見ながら描いたりしたが、それ以来、もうオリジナルの絵を描くことが出来ない。



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