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大好きな父親の声が聞きたいのに。現実は残酷。

両親の介護問題の愚痴を週1回訪れるヘルパーさんにするといつも慰められる。

ヘルパーさんは言う。毎日、家を回っているけれど、家族がそこまでかかわっている人はまれであって、良くやっている方だよと。

現在は、家族が両親をみるのではなく、介護サービスに頼ればいいんだよと慰めてくれる。

実際、介護サービスに頼りっぱなしである。

実家の父親のもとを訪ねるのは、月1回の生活費を届ける日だけである。その他、各介護サービスや光熱費の引き落としを、銀行口座で確認する事によって管理しているぐらいである。

今週は、介護認定の更新のための訪問の立会いで、実家に行く事が決まっているが、そういえば、父親の声を聞いていないなという事。

父親からも連絡が無いから、日常で困った事は起こっておらず、問題が無いと言う訳であるのだろうが。

前回、声を聞いた後、自宅で動いたのは、銀行の記帳とお正月用のおせちを注文したぐらいである。

なぜなら、父親の声を聞くと、また、病状が悪化してパニックを起こしそうで怖いからである。

実際、今週、実家を訪れるのも怖い。

父親は何も悪くないのである。

ただ、娘の持病によるキャパを考えないで、要求を重ねるだけなんだけど。

今回の台風も直撃を受けるようだったら、実家に泊まりこまなければいけなかったんだけど、台風がUターンをしてくれたおかげで、介護認定の訪問日まで、実家を訪れなくても良くなった。

持病が悪化してパニックを起こして不安を納める為に、不安薬のお世話になり、そのあと、持病の薬の副作用で悩まされて、座っている事さえままならなかった状態からは、どうにか復帰できたけれど。

父親の声を聞かないだけで、実家で介護サービスの方達の協力のもと、父親の毎日は回っており、自宅の家族の生活も回っており、自分の体調以外は、普遍的な毎日が訪れているのであるが、それでいいのだろうか?

自分も週1回のヘルパーさんに手伝ってもらわないと生活が回らないのに、普通の人の様に、父親の介護が回せるわけがない。

でも、見て見ぬ振りをしているようで、すわり心地が悪い。

今の状況が、自分の精いっぱいの事なのであるが、実に、後ろめたいのである。

たぶん、これ以上頑張っちゃうと、ベットから出られない状況に陥るんじゃないかと思う自分がいる。

以前も父親の要求に答えられなくて、入院と言う形で病院に逃げ込むぐらい体調が最悪の状態になったこともあるから、

薄情な娘でかわいそうと、介護サービスの人達に同情を受け、親切なサービスを受けているのだろうか。

大好きな父親の声が聞きたいのに。現実は残酷。


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