「なんでできないの?」が、人を苦しめる


社会に出てから、自分が「こういう状況で自分は追いつめられる」と決定的に感じたことがあるので、共有させてください。


「なんでできないの?」


パワハラを受けた上司はもちろん、私は社会に出てから、自分以外の立場でもこの言葉を何度も聞いてきました。

私は、大した役職に就いたこともないので、指導者の立場として申し上げられることは何もありませんので、指導を受ける側としての意見となりますが、少しお話させてください。

私は今までの就職先で、経験ゼロから上司に時間を割いてもらいながら、頑張って仕事をこなすうえで、ある程度目に見える成績も残すことができるようになったり、やりがいというものは感じられる環境にいました。

しかし、真面目で真に受けやすい、従順な性格なもんで、自分を追い詰めてやり詰めることもよくありました。


そんな自分と合わなかった指導方法が、

「なんでできないの?」

という言葉です。



具体的な状況はこんな感じだった


確かに、信頼関係がしっかり築けているうえでしたら、

「なんでできないんだろうねぇ、頑張っているんだけど。」

「そうですよね、申し訳ありません、、、○○とかも試してみたのですが、上手くいかなくて。○○さんは、どうやって乗り越えられたんですか?」

なんて会話ができるんだろうなとか思ったりします。(ひよっこ社会人なので、こういうやり取りが失礼に当たるときもあるのでしょうが、そこは一度お見逃しください。)


だが、苦しむケースは、こんな感じ。


「なんでできないの?普通の人だったら~」

「○○ちゃんは、ここがだめだわ。他の人はもっとすぐにやってのける人はやるからね。なんでできないと思う?」

「なんでできないのかな・・・」


こういわれる場合、多くの場合、指導者の中に「正解」があって、それがワンパターンで、それを当てに行くことが「解決策」としての正解だったりするんです。


(※これが仕事のことでも苦しいですが、お酒の席とかで「なんで○○ちゃんは気が利くのに、△△ちゃんはできないのぉ~?」とかいうのはまじで論外です。よくあるけど。なぜか。)


確かに、指導者の考える解決策は正解の一つであるはずです。だって、先人がそれで成功してきたんだもの。

ただ、このやり取りが過剰になってしまうケースが、私が今まで経験してきた中では多かったように思います。

こうしたいです、こう工夫してみます。と言っても、それが指導者の正解でなければ、考え直す。

その「解決策」を言い当てるまでに、2時間とか、3時間使ったりするし、指導者から「なんでこんなに時間使うの?普通なら~」


と言われ、じゃあこの2時間、3時間は。。。と、悲しくなったりします。

そこまで時間を費やすのが自分だけだったら自分がわるい・・・。

しかし、私が経験してきたのが、ほかの同期や後輩が指導されているときも、同じように何時間も使っているのでした。


一番ひどかったときは、

「休憩(という名のミーティング、指導)に出てくる」

と、指導者とほかの従業員が出て行ってから、5時間かかった時もありました。


「なんでできないの?」を、こう考えすぎてしまう


「なんでできないの?」

と言われた場合、多くの場合、当事者はその解決策を知らないことが多くて、その結果失敗につながっている可能性があると考えてます。

そこで、何も考えずすぐアドバイスを求めるのも、成長にならないなと思いますが、考えた結果の再挑戦なのであれば、


①「またできなかった。なんで?」

→これでもできなかった・・・。

→じゃあなんで自分はできないんだろう?やり方を変えてみよう。

→このやりかたのここ悪かったと思うので、こう変えてみようと思います。

→「それでやるんだね?違うと思うけど。どう?」

→・・・・・・・・。

→(やり方の練り直しで、正解が見つかるまで時間消費)


もしくは、


②「またできなかった。なんで?」

→これでもできなかった・・・。

→じゃあなんで自分はできないんだろう?やり方を変えてみよう。

→このやりかたのここ悪かったと思うので、こう変えてみようと思います。

→「ならそれでやってみて」

→またできない・・・。

→「結局またできてないね?なんで?」「なんで?」「なんで?」・・

→いつも治らない。私はほかの人より能力が低いんだ・・・・・。

→悪循環


結局、足踏みでその場に留まっているのです。



完全に主観でいうと、「この状況がなんで???」


ここからは完全に主観での意見になるので賛否両論あると思いますが、

私からしたら「この状況がなんで???」

なんです。


もしかしたら、私が指導者や役職者の立場だったら、同じように指導法で迷っているかもしれませんが、

結局何も成長を生み出していないどころか、

一つも達成できない状況、肯定されない状況のもとで、

逆に自分が否定されている、「なんで」という言葉が、「お前がお荷物」に聞こえてくるんです。


ここには、世代間で考え方が違うとか、そういう問題も含んでいると思いますが、

それ以前に、働くのなら、できれば、自分を高められたり、成長を実感できる環境に身を置きたい、自分の存在がほかのメリットになる、認めてもらえる環境にいたいと思うんです。



雑に聞こえてしまうかもしれないですが、

私は、肯定して貰えない環境で苦しんでいた人たちの努力を肯定したいですし、

「なんで自分はできないんだろう?」

じゃなくて、

「どうやったらもっとよくなるかな。わくわく。」

と考えられる世界になったらいいなと、言葉足らずですが、願っています。


いろいろなケースがあるかと思いますが、これってあまえなんですかね。難しい。


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