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戦場となった土地に生きる人たちから何を今私たちは受け取るのか。


『国境の夜想曲』を観た。

このタイミングで観てよかった。

監督はイタリアの名匠ジャンフランコ・ロージ。イタリア人かと思いきや、アフリカ最後の独立国エリトリアの出身で独立紛争の時に13歳でエリトリアからイタリアに渡った人だと後から知った。

だからこそ、この映画をつくることができたのだと思う。

中東の紛争地域の国境地帯を3年以上かけて記録。最初の一年はカメラを一切回さず、ただただ、そこに生きる人と出会い、関わりを深めていったという。

ナレーション、インタビューといった手法は一切使わず、監督ともう一人のスタッフとで時間をかけてそこに生きる人たちと
関わり、信頼を深めながら淡々と、そこにいる人々を映し出していく。

言葉は彼らがそこで語りだすことのみ。詩のように、余白がたくさんあり、こちら側の心の動きを感じさせてくれるスペースをたくさん与えてくれる。

これまで、戦争の映画や映像は
いろいろ観てきたけれど
自分が生きている時代の映像であり
戦争とは何かを一番感じた映画になった。

遠くで銃弾の破裂音が鳴り響き
炎で赤く染まる空を背景に
静かに小さな船を浮かべてその日の
糧を得でいこうとする人の姿と
水の音。

子供達が描く絵を見せながら、
彼らの言葉でどんなことが
目の前で起きたのかが語られる。

戦争の是非だって語られない。
ただ、そこに生きる人たちの呟きと嘆きと叫び、そして沈黙が語られるのみ。

それだけで充分だった。

わたしは昭和42年生まれ。
祖父は戦地に行き、両親は空襲の中を逃げて、眠れない夜を幾夜も過ごし、そして戦後を生き抜いてきた。戦争は過去のこととして、彼らから聞かされてきた中で、どこかで戦争はもう終わって二度と起きないんだと思い込んでいたと思う。

しかし、このパンデミックの背景に見え隠れする世界的な支配の動きに根ざして、まるで関連性がないように表出する、きな臭い芽は、それをもしかしたら終わってなかったのかもと思わせる。というか、終わっていない。

こうやって戦争が起こされるのだというのを、今回のロシアとウクライナの状況を追っていく中で目の当たりにし、それが再び日本に起きることも全くないとも言えなくなってきたように感じる。

やっぱり、今正念場だと思う。人類がまた愚かな過ちを繰り返すか、もしくはこれまでの物語を変えていく力を発揮するのか。

わたしは、戦争を正義とし支配された人々を解放するなどという理屈は全く信じられない。戦争はただ、不要な破壊があるだけ。

こうしてスクラップアンドビルドを繰り返し、戦争で利益を得られるのは戦場となる土地に生きる人たちと全く関係のないところにいて、その土地の人々の痛みなど微塵も感じないだろう。

それでも、そこに生きる人たちは、明日を迎えるために糧を獲なければと生きていく。無常感と痛みを抱えながら。そんなこと、本来その土地の人にとって不要なことだ。足るを知り、素朴に日々の幸せを感じて生きていた人たちの日常は壊されたままとなる。

きな臭いことが、世界に起き始めている中、是非ともこの映画は多くの人に観て欲しいと思った。

各地で上映中。
『国境の夜想曲』

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