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自祝生活徒然*田んぼで想うこと 6.24

今朝は、自転車で15分ほど行ったところにある、有機農家さんの田んぼのお手伝い。もはや住宅地に囲まれているものの東京とは思えないのどかさにいつも癒される。

今年はコロナさんのお陰様で時間もあり、千葉にある自分たちの田んぼだけでなく、いつもコミュニティ農園の活動でお世話になる農家さんの田んぼも、お手伝いさせていただいている。

今朝は田植えをして2週間後の草取り。有志の方々も集まり5人で一反弱の田んぼの草取りとお掃除。

私は虫取り網で、田んぼ一面に広がる藻を取り除く作業をした。

一言、草取りと言っても考え方はいろいろある。

私たちの先生は、苗を大きく育て(五葉の苗)てから田植えをし、以後はできるだけ田んぼに入らず(入るとそこに眠っている種を浮かび上がらせてしまうから。)深水で管理しながら先生が開発した有機肥料を田んぼに撒いて二酸化炭素過多にすることで雑草の発芽を止めるという方法を編み出した。さらに、藻や水草を利用して水面をカバーすることで、草達の光合成を遮るという合わせ技を重ねる。

私たちも、昨年は、それに習ってみるものの、田んぼの高低差があったり、やはりまめに水管理ができなかったために、水の深さは一定に保てず、浅いところは完全に草の方が良い成長具合となった。(深いところはとてもうまくいっていた。)

今年は、EMを取り入れつつ、草取りはいつものように、竹ぼうきで稲の周りを書き出して草の芽を浮かばせて流していくようにした。田んぼに入らずというわけにはいかず、この後もしばし草取りに精を出すことになると予想中。草取り瞑想はでも、いい時間となる。

こちらの田んぼでは、苗が少しばかり小さめで、藻に負けて倒れてしまうので、日除けよりも回収することを選択することなった。藻に絡まって倒れている稲達を起こしながら丁寧に、丁寧に。

畑でも言えることだけど、田んぼは一枚一枚が唯一無二。

土の質や、水の温度、その場所の気候条件や作り手の関わり方、そして、稲そのものの種類やその特性…などなど、全ての関わり合いで、その田んぼの生態系が成り立っている。

だから、正解はない。

先人達の試みから見出した最大公約数を試しながら、その田んぼにとっての正解を見つけていく作業。プラス、私みたいに好奇心であれこれ試したり。

また、目的によっても違う。
農家となれば、収穫量が大きな焦点になるし、私たちのように自分達の喜びのために作ってる場合はその過程と『やること』に意義が出てくる。

自分が何をそこでしようとしているのか、その意図が道標となって出来上がっていくもの。

答えがあるとしたら、作り手の想いであり、その目線の先にしかない。

そう想うと、やっぱり田作りは私たちが生きていくこととぴったり重なっていくなぁと改めて確信する。私たち一人一人の人生の正解は、それぞれの歩みの先にのみ立ち現れてくるもの。

田んぼはあらゆる意味で人生の学びの場なんだって想う。もちろん、そう、私が意図しているからかもしれないけど。

稲のあらまし、田んぼにまつわる生き物達との関係、土、水、太陽(火)、風と微生物というエレメントとの共同作業。そして、そこにある人間のコミュニティとの関わり合い。

また、水管理では土木の知恵、耕作においては道具を作り出す知恵、田んぼから派生する技術やイノベーションはキリがない。

初めて他の方が作る田んぼに関わり、その一つ一つのユニークさに気づき、知らないことの多さに圧倒される。そして、それがとても気持ちがいい。

謙虚になれることが、まだまだ私自身を広げていける可能性を与えてくれる。大人になってこんなにも新鮮な気持ちになれるとは、始めたときにはわからなかった。私が私であるために、もう欠かせない場になってきたと感じる。

コロナ禍の一つのピークを超え、改めて人間としての基本を取り戻すことがここからの「正解のない」世界を生きていく道筋だと感じ続けたこの2ヶ月。大地にたち、太陽を浴び、風を感じて土を耕すこと。私たちの肉体が何によって出来上がっているのかを再確認する。もう一度、この身体を有機的なネットワークの中においてあげること。

梅雨の小雨混じりの中、静かに田んぼと向き合う時間。それは尊きもの。

今日のギフトは摂りたて胡瓜。トゲトゲが痛いヤツ。
パリッと食べたくなる。美味しいぬか漬けにしよっと。

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