エンパス の困り事 ①

★ 罪悪感を感じやすい

誰しも、人から頼まれごとをしたとき、無理!と思ったら、断ることがあると思う。
つい安請け合いしてしまって、なかなか断れない、っていう人もいると思うが…

私の場合、以前ほど安請け合いせず、かなり上手く断れるようになっている。
成長したなと思うが(笑)、断ったあとの余韻というべきか、自分の中に残された感情が今でも結構きつい。

これもエンパス ゆえの影響か、と最近思い始めた。

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エンパス である私が、頼まれたことをお断りするのは、大抵余程のときだ。
余程だから、お断りすることで抱えないで済んだものがあれば、とにかくほっとするはず。それが、エンパス となると、断られた相手が感じた気持ちが入ってくるものだから、自分がほっとしたかしないうちに、真逆の気持ちも味わうことになる。

頼まれたことを断られたほうが感じる感情として多いのは…がっかりとか、困った焦りとか、時に苛立ちとか。

そんな感情をも味わうことになるから、それはそれは大変なことになる。ひとつのガムで何度か美味しいみたいなのがあったけど、何しろ味わいたくないし、順序よく出てくるわけではないし、お口の中が大混乱!になる(感情の話だったはず…汗)。そして最後のシメで味わうのが、しっかりとした、罪悪感という味(この流れでもういいや)。

結局、自分としてはずいぶん思い切って、自分を大切にするべく、ほっとしたいからこそ、一生懸命自分を出して断って…挙げ句の果てに味わうのが、◯△⭐︎※と罪悪感。

そうなると、自分を出そう!というハードルはさらに上がることになる。
我慢のほうが気が楽、と。

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と…ここまでは普通に、あるある、なのかも。

さて、エンパス の厄介なのは、そうして我慢して周りの頼み事を引き受けたとき。
引き受けたから、相手はハッピーになる、喜ぶ。
なんと!自分を出さずに我慢した方が、ハッピーや喜びを味わえる、というねじれ現象が起こるのだ。

自分を大切に。まずは自分。

巷ではそういう。 ずいぶん簡単そう…

でも、エンパス が本当の意味でハッピーな気持ちを味わおうとするなら、このねじれに気づき、ねじれをほどくことをしなくてはならない。


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