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エンパス/HSPと八方美人


これまでエンパス としていたが、タイトルだけ「エンパス/HSP」という表現に変えてみることにした。
エンパスの中にも自分はHSPだと理解している人が多くいること、HSPは心理学の研究対象、エンパス はスピリチュアル系のもの、と分けていることも多いようだから。
HSPの判断には自己報告式尺度があって、それによっても私はHSPではあるけど、高すぎる共感能力以外はかなりコントロールしてきている。この尺度を見ると、共感能力の部分を測る尺度が十分でないように思えて、今のところ、エンパス という表現を優先的に使い続けたいと思っている。


多様性とか世界が広くなった、とエンパスであることで自分が手にしたギフトを書き出していくうちに、ふとひとつの言葉が浮かんだ。

八方美人
「だれからもよく思われようと、要領よくふるまう人 」
(旺文社 国語辞典より)

エンパスと わかるまでもやもやしていた言葉だ。

周りから好かれたいため、認められたいため、あっちにもこっちにもいい顔をする。普通良い意味では使われない。

共感能力が高すぎるとき、周囲からは八方美人に見られたり表現されることが結構あるかもしれない。

私は、と言えば、実際、過去の私はかなりの八方美人だったように思うし、いまもその名残?みたいなものはある。

以前の私は、あちこちで、そうそう、と頷いたり、もらい泣きしたりするので(実際はあまり涙は流さず、目に涙をいっぱいため込んでこらえてることが多いけど)、自分は八方美人っていうやつか、いやだな、と思っていた。

同時に、八方美人という言葉の意味を改めて調べても、「よく思われたい」ということにはイマイチピンとこなかった。

この八方美人も、エンパス の視点から眺めてみたら、もやもやが晴れてきた。

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エンパスだと、人の心の奥底、腹の底がかなりわかると思う。
だから、話している目の前の人がそう感じていればそういう言葉になるよね、わかる、わかる、となるのだ。

しかも、わかる、わかる、となっているとき、それとは別の感覚を持っているはずの自分というものは登場しないので、まさに他人のことを鵜呑みした状態になっている。

そりゃあ、わかる、わかる。
だって、他人の気持ちを自分の中にそのまま受け止めて感じているのだから。

当然、側からみれば、八方美人だ。

エンパス が八方美人になりやすいポイントはもう一つ、いや二つあると思う。

ひとつは自信のなさ。
他人軸を感じてそれを基点に過ごしている時間が長いから、つまり、じぶん時間が不足しているから、自分の感覚や感情に確信を持ちづらい。
この自信のなさから、まず周囲のことを把握しようとして、アンテナ感度をますます上げて、共感能力がさらに発揮されるという悪循環に陥る。

結果、「要領よくふるまう」人に見える。

さらにもうひとつ。
ことを荒立てたくない、というのもあるかもしれない。

いくら、目の前の人に、そうそう、とやっていても、その人の表に出た言葉と内面が違うときは、困ったことになる。
つまり、建前と本音があったり、嘘をついているときだ。

こんなときは、ようやく自分の感覚が顔をだしたりする。
混乱したり、見てはいけないものを見てしまった、と思ったり。

結局エンパスが、そうそう、とうなずけず、自分の違和感を表明出来るのは、
その人が嘘をついていたり、建前で言ってるとき、が多くなる。

荒立てることにつながりそうなことは、エンパスにとってかなりのリスクだ。
その後たくさんの他人の感情の荒波をモロに受けるのは自分なのだから。

だからやっぱり、わかる、わかる、とうなずくことになる。

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こうしてみると、エンパス の場合、要領よくふるまう、というより、相手と合ってしまう、という感じだ。

かつて私は共感力を使って両親に合わせなくてはならなかったから(当時そんな意識もなかった)、状況により、自分を守るために確かに自ら合わせにいっているときもあるかもしれない。

それでも、世間一般で言われている、よく思われようとして、という積極的な意図はないように思う。

そうすることでせいぜい自分を守る、という消極的な行動。
むしろ、調整出来ないのだからなかなか不器用で、要領よくふるまう、からは、ずいぶん離れている。

八方美人さんって、実は色々なタイプがあるらしい(笑)

だから、世間一般で言われる八方美人やそのイメージ、さらには八方美人な自分との向き合い方みたいなものは、きっとエンパス の人にはしっくりこないと思う。

もっと言えば、八方美人に限らず、世の中で使われる言葉や表現は、大多数の人に見られる現象や事柄を言い表したものだ。

長く使われているとすればイメージやパワーもある。
だからと言って、ひとつの言葉や表現が全ての人に当てはまることはない。

特に、エンパス は、人との関係性における能力だから、八方美人のように、関係性を表している言葉を深く理解するときは、エンパス眼鏡をかけてみたほうがいい。当事者の内側からしか湧いてこない感覚や表現があると思う。

八方美人はそこまでではないけれど、世の中はパワーある言葉で溢れている。
その言葉をパワーある人が操る。

そんな力で自分の大切な部分が覆われてしまって見えなくならないよう、いつも自分の感覚や感情にこそ敏感でいて、まだ世で語られていないものは言葉にしていく作業が大切なのだ。

そう思うと、私がこの苦手な書くという作業を何とか続けていることにも多少の意味がある。

そう信じてこの先も綴ってみたい。

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