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◇不確かな約束◇第9章スナヌキ

昼休憩から戻ってくると、部長に呼ばれた。

来年3月に横浜で開催されるボートのイベントがある。うちの会社も小型船を展示するようで、広島本社からは俺が。そして東京支店からもう一人。その二人で展示会を担当してほしい、ということだった。

東京支店の社員は、ほとんどが新規で受注中の京浜工業地帯の観光用クルーズ2隻の応対があり、今回の展示会は、東京支店だけでは対応できないのだという。

「あ、それで、東京からは、佐伯、出すから。やりやすいだろ、あいつだと。」

あ、はい。としか答えられなかった。サエキ。サエキカナ。カナさん。

「来年の3月5日からだから、2月の終わりからは東京に出張に行ってもらうからそのつもりでね。あ、っていうかタケ、お前東京出身か。そうかそうか。じゃあ勝手知ったる横浜か。それなら安心だな。佐伯にはもう言ってあるから、連絡とって、やりあっといて。で、俺には週一で報告な。」

かしこまりました。と言って下がった。

カナさんになんて連絡しよう。久しぶり、でいいのか。お久しぶりです、佐伯さん、でいいのか。わからん。パソコンのメール画面を開いて、ディスプレイを眺めていた。すると、社用携帯が鳴った。電話だ。すぐに電話にでる。

「あ、武本くん?佐伯だけど。」

カナさんだった。

「部長から、もう聞いた?そうか、いまいま聞いたの?あ、そうなんだ。まぁ、来年三月だから、あと数ヵ月あるし、じっくり進めて行こうか。でさぁ、さっそくなんだけど、今夜空いてるなら、zoomで打ち合わせしたいんだけど、いける?おっけ。じゃあ19時でいい?」

それじゃあ、と言ってカナさんの電話は切れた。部長に、佐伯さんと連絡とれました、今夜zoomで打ち合わせをします、と報告した。

電話で、カナさんは元気そうだった。いや、どちらかと言えば、いつもより声も張っていて、ハツラツとしていた。東京に行って、ひと月位になる。彼女の中では、もっとたくさんの時間が進んだのかもしれない。俺と寝た日々も、過ごした日々も、とっくの昔のことなのかもしれない。社用携帯が鳴った。電話だ。すぐに出る。

はい、武本ですっ。はい、土本課長お世話になっております。あ、いえいえいえいえ大丈夫ですよ、はい、今からですか?あぁ、はいっ、かっしこまりました。それでは、今から向かわせて頂きますね。すぐ出るのでいつものお茶菓子は買えないですけど、事務の女性たち怒らないですかね?あははは、怒られたら土本課長ちゃんとかばってくださいよ、いやいやいや、裏切りますもん、土本課長、あはははは、それじゃ今から向かいますっ 失礼いたしますっ。

すぐに電話に出る。それが営業の基本だよ。それを教えてくれたのも、カナさんだった。


その日の夜、無人の会議室。zoom でカナさんと打ち合わせをした。

横浜のボートショー「ジャパンインターナショナルボートショー」の規模や、来場者数、客層、恒例の人気ブースなど、東京支店で知り得る情報を的確に説明してくれた。

「今年はキャンプも流行ってきてるんで、船の上でバーベキューもできますよ、的なディスプレイの仕方ってありですかね?」

「あ、さすがだね。実はもうこっちではそういうクルージングも一般的に組まれてて、なんか、けっこう評判上々らしいよ。来年の3月のキャンプの流行り具合がどうなるかわからないけど、今のところそれも案にいれておこうか。うん。備品いいのがあったら調べておいてね。」

話し方も少し変わったような気がする。広島にいるときよりも、話すテンポが早くなった。俺はできるだけ、佐伯カナさんと話をするようにした。最近どう?とか聞かれたけど、まぁまぁっすね、としか答えなかった。二人で居たときのカナさんやカナと話をすれば、俺の何かが、決壊するような、そんな気がしていた。 仕事の話にはちゃんと受け答えするけれど、それ以外にはあまり深く答えないようにした。それに、カナさんも、いままで何事もなかったかのように仕事の話をしている。彼女も俺とはそういう話はしたくないんだろう。

しばらくすると、打ち合わせすることもなくなってきた。沈黙が多くなってくる。じゃあ、そろそろ、と言おうとすると、カナさんは、

「いま、もう会社誰もないの?」

と、訊いてきた。

いないです、と答えた。

「そっか。」

カナさんは黙る。

「シュウ、話そ?ちょっと、話したい。いい?」

「話してるじゃないですか。」

「いや、仕事の話は終わり。それ、以外のこと、やっぱり、話そ。」

「何かありますかね、話すこととか。」

「うん。私にはあるんよ。」

いつものカナさんの話し方に戻った。その訛りのある話し方を久しぶりに訊いて、少し画面が滲む。それと同時に、胸や頭が一気に熱くなった。この前、一人でバーに行ってとなりのおっさんの奢りでテキーラ飲んだけど、頭がその時みたいになった。

「ずるいよ、カナさん、なんだよ、なに?自分で勝手に行ったんだろうがよ。は?自分で決めて自分で行ったんだろうがよ。なに?銀行の友達が泣いて?それで女の出世がどうのこうの言って、行ったんじゃねぇかよ?は?なんだよ、な、何、話すことあるんだよ。ずるいんだよ、カナさんずるいよあんた。」

俺はうつむいた。無言の会議室に、時計の音が響く。

「うん。そう。そうだよ。今ね、こっちで独り暮らししてるん。初めて。そっち離れてから。」

「だからなんだよ、自分でそれ選んだんだろ、俺止めただろ。お願いしただろ。だからなんだよ」

「わたし、なんも、わかってなかったん。親元離れて、友達と離れて、暮らすっていうこと、理解してなかったんよ。」

「は?東京で寂しくなってなに、いまさら人生相談?そんなの東京支店の人間にしろよ。」

カナさんは首を横に振った。

「ちがうんよ。聞いてほしい。こっちにきて、わかったことがあるん。」

俺は顔をあげて、カナさんを見た。怒ったような、悔しそうな、諦めたような、なんとも言えない顔をして、カナさんは泣いている。しゃくりあげもせず、涙をぬぐいもせず、泣いている。俺は、カナさんを、涙を耐えながら、見つめた。睨んだという方が近いかもしれない。

「一人で暮らすって、辛いことなんやね。大学も会社も、親元から、地元から行っとるわたしにはわからんかった。シュウのことも、わかってなかった。後輩だから、いろいろ気にかけとったけど、本当の意味ではシュウの辛さみたいなんは、理解できとらんかったと思うん。わたしは親元じゃけ、地元じゃけ、仕事終わって帰ったら、親がおって、冷蔵庫に何か手料理があって、なんかあったら友達とお酒飲んでってふつうやったけえ。わたしは、なんもわかっとらんかった。シュウのことも、わかっとらんかった。わかったようなふりして、後輩に先輩ヅラしとっただけやったん。わたし、恋愛続かんって言ったけど、そりゃそうだわ、シュウがいがるのもそうだわ。なんも相手のこと考えてなかったん。理解しとるふり。いちがいに理解しとるふり。こんなんじゃそりゃ続かんよ。誰とも恋愛なんて続かんよ。」

なに、俺のことじゃん、それ。俺だよそれ。違うよ、カナさんじゃないよ、俺じゃん。

「東京に来て、今までの仕事のやり方通用せんのもわかったん。今まで、地元の知り合いとかおったけ、やってこれたのもあった、ってわかった。全然通用せん。自分は仕事が出来るって思ってたんよ。でも、、でもこっちじゃ、通用せん。いままで広島でなにしとったんかな。何年この仕事してたんかな。こっちきて、正直、恥ずかしい。半分、お荷物みたいになってるん。期待されてたん。わたし。でも、、通用せん。自信、ないんよ。全部。シュウの言う通り、勝手。ずるい。でも、シュウにしか話せん。ごめん。」

画面の向こうのカナさんの顔が一気に崩れた。駅で別れた時のカナさんとは別人。ベットで交わっていたカナさんとも別人。部長と話してた時のカナさんとも別人。取引先のお客さんと冗談交えて話してた時の明るい笑顔のカナさんとも別人。乱暴に抱いた時の冷たいカナさんとも別人。三分間だけ抱き合おうかと言った時の綺麗なカナさんとも、一緒に遊園地に行ったり、喧嘩したり、キッチンに立ったり映画見たり、一緒にシャワーを浴びたり、入社すぐの俺を叱ったり、なぐさめたりしてくれたカナさんとも、別人だった。俺の中で何かが大きく音をたてて弾けた。

「ふざけんなよ。自分で決めて行ったんだろうがよ。通用せんとか知らねぇよ。自分で決めたんだろ。」

涙が溢れてきて、キーボードに落ちる。いろいろないまぜになった気持ちが、胃の辺りで渦巻いている。俺は今、怒ってるんだろうか、悲しんでるんだろうか、わからない。好きとか嫌いとか尊敬とか悔しいとか格好いいとかカッコ悪いとかごめんとかありがとうとか悔しいとか好きとか。よくわからないまま、カナさんを睨んだまま俺はしゃべった。

「今日言われたよ、土本課長に。佐伯ちゃんと最初に来たときはこの子すぐやめるかなって思ったけど、タケちゃん男らしくなってきたね、って。佐伯ちゃんに感謝しなよ、ああいう先輩なかなかいないよ、タケちゃんが来てないときでも、タケちゃんのしょうもない失敗談とか話してくれて、それで事務さんたちもタケちゃんのこと覚えて、応援する雰囲気になったんだからって。なんだよ、影で、誰が頼んだよそんなこと。俺が電話すぐに出るようになったの誰が教えてくれたかしってんのかよ、カナさんだよ。アンタだよ。営業は売ることだけじゃないけぇ、売ったあとが大事じゃけぇって何度もお客のとこに足運ぶの教えたのだれだよ、カナさんだよ、言っとくけど、おれ、ここで営業成績一番だから。カナさんが教えてくれた全部やってるから。わかってるんだよ、間違ってるのは俺なんだよ。全部、カナさんに助けてもらってたんだよ。ホテルで乱暴にやったのも、後悔してるよ、子供なんだよ、中学生なんだよかっこ悪いって知ってるよ。知ってるよ。最低だよ。消したいよあの日をやり直したいし、謝りたいよ最低だよ。カナさんごめん、本当は、わかってるんだよ。俺が子供なんだよ。カナさんは悪くないよやめろよ、支えてもらってたんだよ甘えてたんだよ。カナさん自分で選んだんだろ。わかってるんだよ。頑張れよカナさんだろお得意さんたちも、佐伯ちゃん佐伯ちゃん言ってくるんだよ担当俺なのに、いまだに言ってくるんだよ。それがなんだよたかだか東京に行ったくらいで自信なくして。あんたなら、できるだろ。地元の知り合いのお陰じゃねぇんだよ、バカかよ佐伯カナだからできたんだろ。カッコ悪いこと言うなよ。格好いい先輩だろうがよ、今でも格好いい先輩なんだよ、ああいうことあっても、俺は佐伯さんを尊敬してるんだよ、カッコ悪いこと言うなよ俺みたいじゃねぇか、、ふざけんな。」


シュウ、そのアサリ砂抜きしといてな。

あ、オッケーです。水につけといたらいいんすよね?

一般的にはそうやねんけどな、実はちゃうねん。

え、違うんすか?

あさりはな、海と同じ塩分濃度やないと、砂吐かへんねん。水道水つけとっても、砂抜けへんのや。知らんかったやろ。

へぇ、ほんますか。

せやで、アサリ本人に聞いたから。その、500のペットボトルあるやん。そのキャップにな、塩入れんねん。そのキャップ2杯分な。それをペットボトルに入れてやな、そのペットボトルに水満タン入れてな、振るねん。そしたら、海水と同じ濃度の水が出来んねん。

へぇ、すご。堀さんあれですね、なんか、イタリアンの料理人みたいすね。

うん、そうそうそう趣味でイタリアンやってますっいや天満でイタリアン経営しとるわばかたれが。ほいで、アサリ全部その塩水につけといたって。

はい、あ、ほんとや、砂吐いてますね。

結局な、砂吐くのも、環境が大事やねん。砂吐かせよう思っても無理やねん。アサリの気持ち考えてあげんと、無理やねん。アサリにとって、ホッと出来る場所って海やろ?海作ったらなあかんねん。せやから料理は食材の気持ちを理解して、おい、おいおいおい、いい話&バイト中にお前なにパズドラしてんねん。それはさすがに怒るで、俺。シュウ、それはあかんわ。で、最高スコアどれくらいなん?


自分の涙がしょっぱくて、大阪時代の、アサリの砂抜きのエピソードを思い出した。なんだか、ものすごく長い時間、画面に向かって一人でしゃべっていたような気がする。我にかえってzoomの画面の先を見ると、カナさんが声をあげて泣いていた。カナさんのこんな顔、初めて見る。3歳の女の子みたいに泣いている。

「シュウ、ありがとう。明日から、がんばるね。ありがとう。」

しばらくすると、カナなのか、カナさんなのか、佐伯さんなのか、佐伯カナさんなのか、誰なのかわからない、zoomの先の笑顔のカナさんが、涙をぬぐってそう言った。こんなカナさんの顔は、初めて見る。

俺は、今自分がどういう気持ちなのかわからなくて、ただ「はい」と言った。


カナさんも俺も、砂抜きできたんだろうか。

わからんけど、なんだか、胸の奥はすっきりしてる。

会議室の窓を開けると、金木犀の香りがした。



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