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ドラッグストア昔話 35













みちは、涙を堪えています。










ついさっき、おばあさんが握ってくれた菜っぱ飯のおにぎりを食べながら涙を堪えています。

さっきまで、この部屋に、おばあさんの声が響いていたことが嘘のように、昼下がりの東京の町は、とても静かです。






みちは、今日まで何度も何度も何度も、ずっとひとりで泣いてきました。

両親が泣きながら、みちを売った日。

女郎小屋の寒い物置で眠った日。

友達が、別の小屋に売られた日。

友達が、病気で死んだ日。

女郎の着物を汚してしまい、立てなくなるほど蹴られた日。

初めて客をとらされた日。

みちに優しくしてくれた女郎が死に、ゴミのように寺に放り込まれたのを見た日。

家族のことをふと、思い出してしまった日。

弁天様に、ここから逃がしてくれと初めてお願いした日。

東京にきて、自分がこの時代に、たったひとりだと気づいた日。


そうやって、数えきれないくらい、みちは泣きました。


みちは、9才から、その場所に「馴染む」ためにさまざまな努力をしてきました。女郎小屋には女郎小屋の、吉原には吉原のしきたりがあり、そして、東京にも、この時代の人々の、理やしきたりや常識がありました。みちは、それらすべてに馴染めるように、さまざまな努力をしてきました。

でも、馴染んだところで、孤独が埋められるわけではありません。みちは、売られた日から、昨日までずっと孤独でした。

けれども、押上駅近くで出会ったおばあさんに、みちは心を許しました。東京に来てから初めての、安心できる暖かい、楽しい時間。それは、家族と過ごす時間にとてもよく似た時間でした。

だからこそ、みちは、泣きたくありません。
ここで泣いてしまったら、ほんとうに、ひとりぼっちになってしまうような、そんな気がして、みちは涙を堪え、おにぎりを頬張ります。


けれどそうやって、堪えれば堪えるほど、まぶたの隙間から、涙が溢れてくるのです。たくさんの荷物を持ちすぎて、両手から荷物が溢れて落ちてしまうみたいに。
やがて、みちは、堪えられなくなって、子供のように泣いてしまいました。

静かな、ひとりの東京に、みちの声が響いています。



やがてみちは、ゆっくりと立ち上がり、冷蔵庫のペリエを一口飲み、ゆっくりと歩き、ベッドに倒れ込みます。東京の昼下がり。泣き疲れたみちは、眠りに沈んでゆくのでした。



















夜中。





目覚めました。





とても懐かしい匂いがします。

一体、なんの匂いなんだろう。みちは、ぼんやり考えます。

やわらかく、乾いた、落ち着く匂い。

どうやらそれは、畳の香りのようです。


畳?


ゆっくりと目を開けると、木目の天井が見えました。


木目の天井?


そそて、枕もとには障子。
障子の向こうには月が出ているのでしょう。月明かりが白い障子紙を薄紫色に照らしています。そしてその向こうでは、鈴虫がたくさん鳴いているようです。

障子?

そして、足元には、桜と楓が描かれた襖が見えます。

襖?

みちは眉をひそめます。
みちのマンションにこんな和室はありません。みちは起き上がり、ベッドサイドのシュシュをとって、髪を束ねようとします。

けれども、手を伸ばした先に、ベッドサイドはありません。

みちは、見知らぬ和室のなかを見回して、眠る前のことを、思い出してみました。

キッチンでおばあさんのおにぎりを食べた後、ペリエを飲み、ベッドに倒れ、泣き疲れて眠りました。

甚四郎さまが開いてくれた宴のあと、気持ちよく眠りにつきました。








え?











甚四郎さまって、だれ?









え?










ペリエって、なに?






みちは、障子を開け、庭を眺めます。

深い瑠璃色の空に、白い月が見えます。その月が庭をぼんやり照らし、庭のつくばいの水の中にも、揺れる月が泳いでおります。

みちが、見たことがない景色です。

いや、見慣れた甚四郎さまのお屋敷の中庭です。

いや、こんな景色は見たことがありません。


みちは、つくばいのところへゆっくりと歩いてゆき、その水で顔を洗いました。すると、みちに気づいた鈴虫たちが静かになり、息をひそめます。

とても静かな夜です。ですが竹林に大風が吹くように、みちの心は、ざわついています。

つくばいの水に映った自分は、日本髪を結っています。

日本髪?なんで?誰がいつの間に結ったの?

みちは、門の閂を外し、外へ出ました。

表の通りでは、野良犬が地面をクンクンしながら歩いています。みちを見ると、ふんっと鼻をならし、また地面の匂いを嗅ぎながら、また歩いていきました。アスファルトではなく、砂の道路です。こんな通り、見たことありません。

いえ、懐かしい城下町の通りは、数年前よりも立派になっています。

月明かりが、通りのお店の瓦を照らしています。どこか遠くで赤ん坊の泣き声がして、また別の方からは、夫婦喧嘩のような声が聞こえてきました。それに反応したのか、どこかの野良犬が数匹、遠吠えしています。通りの北側のお城が、月明かりに照らされ、白くぼんやり輝いています。

みちは、そんな月明かりの、真夜中の城下町に立っていて、そして、混乱しています。

おかしい。ここどこ?東京じゃない。

おかしくない。ここは5年ぶりの、ふるさとの城下町。東京ってなに?


みちは、ふらふらと屋敷へと戻り、庭のつくばいの水でまた顔を洗い、水の中の乱れた自分を見つめて考えます。


自分のなかに、二つの記憶があります。

9才で両親に売られ、別れる時、彼らは何度もみちに謝りながら泣いていました。

でももうひとつは、12才で薬売り見習いになった時、泣き笑いの顔でみちを見送っている両親の記憶です。

ふたりの、みちの記憶が、みちの中にあります。ふたりのみちが混乱しています。




「どうした?旅のしすぎで、草枕でないと眠れぬか?」

背後から声が聞こえました。みちは振り向きます。すると、縁側に寝巻き姿の甚四郎が立っていました。

「あ、甚四郎さま、起こしてしまいましたか?」

みちはとっさに返事をします。

「いや、宴が楽しすぎたのか、寝付けんでの。月でも見て、ひとり、また宴を開こうかと、思っておっただけじゃ」

そう説明する甚四郎の手元には、徳利と盃があります。

みちの口からでた“甚四郎さま”という名前。この人を知らないはずなのに、みちはなぜだか彼の名前を知っています。不思議な感覚です。

甚四郎は縁側にあぐらをかき、手酌で酒を注ぎ、月を見上げます。

「どうじゃ、久しぶりの、ふるさとの月は」


東京から戻ってきたみちは、江戸のみちの記憶を思い出せますし、江戸のみちは、東京のみちの記憶を思い出せます。

東京のみちにとっては、初めて出会う甚四郎でしたが、記憶の中では、子供の頃から何度も助けてもらっています。

ですので、甚四郎が頼るべき人間であることは東京のみちにも“分かり”ました。

「…あの、ここはやっぱり、わたしの、ふるさとなんでしょうか」

甚四郎は、みちの質問に、少し笑います。

「旅をすると、ふるさとの記憶も曖昧になるのかの。そういえば、船で荷を運ぶ商人が言っておった。船旅に馴れすぎると、陸に上がった時に陸酔いするとな。みちも、たぶん、そんな塩梅なのではないか?」

みちは、少し考えこんで、月を見上げました。どうやって説明しようかと言葉を選んでいるようです。

「…わたし、あの、なんていうか、いま、ふたりなんです。いま、ふたりのわたしなんです」

「ん?…禅問答か?どうした?」

「…はい。えっと、その、わたしも意味がわかりません。えっと、わたしは今日、城下に到着し、そして、このお屋敷で、みなさんに宴を開いて頂きました。でも、そして、このお屋敷でさっき…さっき、目覚めたら、わたしは東京から、この城下町に来ていたんです…」

文章としてまったく意味がわかりませんね。みなさんも、甚四郎もそうですし、まず話しているみち自身、一番意味がわかりません。

甚四郎は首をかしげてその話を聴いていましたが、最後の “東京” という言葉に反応しました。

100年前、庄屋に行李を預けにきた老婆から、高祖父の甚八が聞いた話の中にでてきた町、東京。


「みち、お主は東京に行ったのか?」

「行ったというか…というより、ついさっきまで、わたしは東京にいました」

「さっきの宴では、そのようなことは、一言も言わなかったが、なにゆえだ?」

「いえ、その、眠る前は、えっと、その、そのままだったんです、薬売りの私、なんです。でも、目覚めたら、こうなってたっていうか、なんだろ、その、わたしはその、薬売りのみちとしての記憶もあるし、なんというか、その、なんて説明していいやらわからないのですが、私のなかに今、ふたり分の記憶があって、そして、いま東京のわたしと、薬売りのわたし、両方で話している感覚なんです。なんていうんだろう、2杯の湯呑みの水が、茶碗に注がれて混ざって、なんていうか、切り離せないと申しますか…」

甚四郎は、みちの顔を見ながら真面目な顔で訊きました。

「みち、幼い頃、お主が受け取った行李のことを、覚えておるか?」

「はい、もちろんです」

「では、その行李を預けた老婆が、東京で“みち”という女に助けられたという話は覚えておるか?」

東京のみちは、行李の話など、知る由もありません。覚えているとすればこの時代のみちなんですが、この時代のみちも子供の頃の話なので、なぜ行李が自分の手に渡ったのかまでは、あまり覚えていません。

「あんまり、覚えてないです」

「そうか。では、改めて話そう。100年以上前。わたしの祖父の祖父、甚八に、いなべ村の老婆が行李を預けにきた。
彼女は、100年後にみざの村に生まれているであろう“みち”という娘にこの行李を渡してくれ、と甚八に頼んだそうだ。甚八が、なぜだと問うと、老婆は答えた。未来の江戸にある、東京という町で、“みち”という女に助けられた。だから、恩返しをしたい、とな」

みちは、両手で口を押さえました。
東京のドラッグストアの前で、おじいさんのために野菜を売り、スタバでほうじ茶ラテを飲み、菜っぱ飯のおにぎりを握ってくれた、あの、おばあさん。あのおばあさんが、みちのために城下町までやって来て、行李を託したというのです。

「東京で、老婆を助けたのは、今の、みちなのか?」

甚四郎が訊ねると、みちは、はい、と頷きました。甚四郎が少し驚いた顔をしました。

「…その、行李の、中身は、なんだったんでしょうか」

みちは、甚四郎の傍に座り、前のめりになって訊ねました。

江戸のみちの記憶を探れば思い出せるような気もしましたが、今のみちの心の状態では、冷静に思い出すことは難しそうだったからです。

「行李の中身は、かな文字を学ぶための書物と、漢字を集めた書物。そして、将棋の書物が入っておった。その他には、確か、9両ほどの金と、あとは、文が入っておったと記憶しておる」

確かにみちは、東京のマンションの寝室で、ひらがな練習帳と漢字辞典と、将棋の本と、あとは確か歴史の本を、おばあさんの野菜籠にいれました。

みちは、6才の頃の、行李を開く時の思い出をよびおこしてみます。

みちの家の囲炉裏のそば、自分と行李を囲むようにして、たくさんの大人たちが、行李を開く手元を興味津々で見守っていました。行李を開くと、山椒と唐辛子が入っていて、みんながっかりしたような雰囲気になります。けれど、中から黒い箱が出てきて、それを開くと、本とお金と、手紙が出てきました。


「そういえば、あの、あのとき、たしか、お殿様が、なにか、本を製本して、とか、なにか申しておられたような…」

「そうじゃ。江戸城へ参る際の、将軍さまへの御献上の品として、殿は行李の中の将棋の書物を選ばれた。見たこともない駒の布陣が数多にあり、価値があると見込まれたようだ。そしてその書の対価として、お主の両親に20両の年貢の免除の沙汰があった」

まさか、おじいさんの療養中の暇潰しのために入れた将棋の本が、徳川様に渡り、そして20両に変わるとは思っていなかったみちは、とても驚きました。

「そういえば、行李を届けた時、お主の村のむらおさが長年、村の者たちの年貢をくすねておったことがわかった。のちに、お主の家にむらおさの家から、米を返させた」

みちが女郎小屋に行くことになった理由のひとつとして、むらおさの搾取があったのだろうと思いました。辛くて寂しかった子供時代の発端が、不作ではなく、むらおさにあったのです。

けれども、おばあさんが本や薬代をみちに返そうとして、庄屋に行李を預けたことにより、それが明るみに出て、みちは、女郎小屋に売られることなく成長し、独学で文字を覚え、人々と出会い、そして薬売りになりました。

みちは、両手で口を押さえ、呆然としています。


「甚八は、老婆から、行李を預かり、われらはそれを代々受け継ぎ、わたしが、6才のお主に託した」

そう呟いて、甚四郎は月をみながら盃の酒を飲み、改めてみちの方を向いて言いました。

「けれども、いったい東京で何があったのかまでは、代々、誰も知らなかった。みち、よければ、東京での出来事を、聞かせてはくれないか」

みちは、ゆっくりと頷きました。
そして縁側に座り、月を見上げ、9才で売られてから、今日までのことを、甚四郎に話します。

甚四郎は盃を置き、みちの方を向いて何度も頷きながらしっかりと話を聞きました。みちは庭を見ながらさまざまなことを思い出し、涙ぐんでいます。

話が終わり、ふたりの間にしばし、静かな時間が流れました。



やがて甚四郎が口を開きます。

「わたしは、お主を小さい頃から知っておる。賢く、人や、学ぶのが好きで、そして鳥のような自由な娘であった。その娘が、親兄弟を失い、閉じ込められ、仲間を失い、ひとりで暮らすのは、さぞ、苦しかったのではないかと思う。
みち、大変であったな。
おそらく、行李を我が先祖へ託したその老婆は、そんなお主に、なんとかして恩返しをしたいと思ったのだろう。なんとなく、わたしも分かったような気がする」

そして、甚四郎は、思い出したように言いました。

「そうか、いまのみちならば、あの文に書かれておることが分かるのやも知れぬな」

みちは、おばあさんが書いた文の内容を思い出してみました。でも、その記憶が、まったくありません。あの時、文字が読めないみちや両親に代わって、甚四郎が音読してくれましたが、知らない単語が多すぎて、当時のみち達には意味がわかりませんでした。だから記憶に残らなかったのです。



「甚四郎さま、わたし、みざの村へ帰ります」

みちがそう言いました。
瑠璃色の星空の山際が、白くなりはじめています。








みちは、甚四郎に見送られ、庄屋の門を出ました。

城下町では、川に漁に出る人々や、魚市場でその魚を売る人々、野菜の市の準備の人々が、朝もやに包まれ、仕事を始めています。そうやってやがて人々が目覚め始め、通りで挨拶や世間話が始まり、やがて鳥たちが飛び、小鳥の鳴き声が聞こえてきます。


「お、みっちゃんじゃねえか、帰ってきてたのかい?」

「あらぁ、みちちゃん、さらにべっぴんさんになったねぇ」

「おっ!みち!ひさびさだの、また暇があるときによ、ちょっとうちに寄ってくれよ、おっかぁが歯が痛え痛えってうるせぇんだよっ」

「あ!みちねえ!おっかあ!みちねえが帰ってきとるど!」


城下町をみちが歩くと、たくさんの人たちが声をかけてきました。みちは、皆に笑顔でお辞儀したり、笑いかけたり、両手をあげてくるくる回って挨拶したりしながら、城下町を歩いてゆきました。

知らないはずの、見知った顔ぶれ。とても不思議な感覚です。





城下町からみざの村へは3時間。
薬売りのみちにとっては、3時間歩くなんて、文字通り朝飯前の話です。

けれども、江戸では吉原に閉じ込められ、そして東京では電車やタクシーに慣れた東京のみちにとっては、3時間歩くという経験は、ありません。

でも、3時間歩くことを、東京のみちは遠いとは思いませんでした。

だって、東京のみちは、両親や兄弟に会いたいと何度願ったとしても、彼らに会うことは、絶対にできなかったから。
両親も兄弟も、何百年も前に死んでいて、日本のどこまで歩こうとも、絶対に誰にも会えないのです。

けれど、今はその 
“会いに行くことができない人々” 
に、3時間歩けば会うことができます。

みちは一歩一歩踏みしめて歩いています。




歩きながら、ふたりのみちは、互いの記憶を思い出します。

薬売りのみちの記憶。
旅に出ないと出会えなかったであろう、たくさんの人々と出会い、たくさん笑い、さまざまなものを食べました。さっき挨拶した城下町の人々とも、薬売りにならなければ、言葉を交わすこともなかったかもしれません。そんな旅の記憶を辿っていると、みちは、暖かい気持ちになってゆきました。

けれど、旅をしていると、寂しくなるような光景や、辛い経験もたくさんあります。

みちは、薬箱に結ばれている薄緑色の布を触りました。

盲目のおばあさんが染めてくれた、あの日のもぢずりの布です。その布をみると、なんとも言えない気持ちになります。

東京のみちは、薬売りのみちに、

“たくさんの暖かい記憶をありがとう。今まで大変だったね、頑張ったね”

と、声に出して言いました。






一方、江戸のみちは、東京のみちの記憶をみています。

両親が泣きながら自分を人買いに売る光景は、胸を深く抉るような、そんな辛い思い出でした。

そして、女郎小屋の環境は悪く、先輩の女郎や友達が、病気で死ぬのを何度も見ました。

友達が出来ても、すぐに売られ、離れ離れになりました。そして一日中小屋の中で働かされ、外に出ることは許されません。

吉原へ行くと、少しはましでした。
でもやはり、“吉原”の塀の外へ出ることは許されません。みちは、なんとか抜け出したい一心で、格子女郎にまでなりました。

でも、毎日毎日、吉原の弁天さまには、ここから逃してくれ、とお願いもしました。

東京では、盗みをして捕まり、保護されました。
本当のことを話しても誰も信じてくれません。病院に入り、記憶喪失の患者として扱われ、数年をそこで過ごしました。その後、戸籍というものを手にしました。
芸事に精通しているみちに対し医師は、花柳会で働くことを勧めました。みちは、東京の花柳界で芸姑として働いたのち、クラブで働くようになりました。

江戸のみちは、全く自分とは違う境遇の東京のみちに対して、言葉がありません。

でも、これらの思い出はすべて、他の誰でもなく、自分のなかにあります。だから、江戸のみち自身も、自分が経験した事として、感じています。

江戸のみちは、東京のみちに言いました。

“今まで、大変だったね、辛かったね、頑張ったね”




歩きながら、みちは、泣いています。
ふたりが経験した
辛かったこと
嬉しかったこと
楽しかったこと
寂しかったこと
悔しかったこと
腹がたったこと
すべてに涙を流しています。

やがて、ふたりのみちは、合わさってゆきました。ふたつの小川が、ひとつになって、ゆったりと流れてゆくみたいに。












やがて、ふるさとの川が見えてきました。
みちは山椒の実を潰して川に流し、魚を捕っていましたね。そしてこの場所で、初めて甚四郎たちに出会いました。

旅人を質問攻めにした辻。
ここで善右衛門と出会いました。

両親が耕した田畑。
幼いみちも、草を抜いたり、種を撒いたり、早苗をより分けたりしました。蛙の首に藁を結びつけて、散歩をさせて遊んだりもしました。

そして、生まれ育った粗末な家。

懐かしいその景色。
みちは思わず立ち止まります。もう二度と、見られないと思っていた景色です。懐かしい、ふるさとの景色と、風の香り。


畑に、両親が、いるのが、見えました。
ふたりの話し声も少しだけみちのところへ届きました。


思わず、みちは大声で叫びます。

「……ぉおっっかああああ!……ぉおおおっとおおおお!」

そして、みちは、走り出し、背中に背負った薬箱がガタゴトと音をたて、みちに気づいた両親は、大きく手を振り、笑顔で言いました。

「おおう!みちぃ!ひっさしぶりじゃの!」

「みちぃ!無事で戻ってきたかぁ!」


両親たちにとっては5年ぶり。でも、東京のみちにとっては、もう二度と会えないと思っていた両親との再会。

みちは両親に抱きついて、おっとぉ、おっかぁ、と言いながら泣き、両親は、驚きながらも嬉しそうな顔をしています。

みちは大声で言いました。

「……おっとぉ、おっかぁ、わっちはな、ちっとも恨んどらんぞ、おっとうもおっかあも、わかっちゅうでの、わっちはな、ちっとも恨んどらん、だいじょうぶやでの、のぅ、おっとぉお、おっかぁあ、会いたかったどぉ」

両親は、首をかしげています。
みちは、自分を売ったことを恨んでいない、と両親に伝えていますが、この両親は、みちを売るという経験をしていないので、なんのことか分かりません。

もちろん、みちはそれを知っています。でも、みちは両親に、どうしても、それを言葉で伝えたかったのです。


「なあに言っとるだ?みち、頭ぶったか?」

「なあんね?どうしたんね?」

両親が怪訝そうな顔で、みちの体を撫でながら訊くと、みちは首を振って笑顔で言いました。

「いや、大丈夫だ、なんでもねぇ」

みちは涙をぬぐいます。
両親は訳がわからないまま、でも、みちが戻ってきたことを大変喜んでいます。

「そうかそうか、よかった、元気そうじゃの、みち、よう戻った」

「こんな朝はやく、みち、おめぇ飯食ったけ?なんか食べれ?のぉ?」

みちは、頷きます。

そして18年ぶり。
ふるさとの家で、母の作った漬け物と味噌汁と握り飯を食べました。

もう会えないと思っていた人と会えたこと。
もう食べられないと思っていたものを食べられたこと。心も、お腹もいっぱいです。


みちは、茶を飲み、一息つき、懐かしい家を眺めます。

隙間だらけの壁。
踏むと音のする床。
空が所々見える屋根。
囲炉裏の煙でいぶされた梁。


その梁の上に、行李が見えました。


みちは、立ち上がり、天井の梁の上に隠してある行李をおろします。

なぜここに隠してあるのかというと、幼いみちが高価な文庫箱を表へ持ち出しておもちゃにするので、昔、みちの手の届かない梁の上へ、父が置いたのです。
けれど、いまではその行李に手が届きます。


みちは、座り、居住まいを正し、行李を開き、中に入っている文庫箱を取り出しました。そしてゆっくりと文庫箱を開けると、古い紙の匂いが立ち上ります。

ぼろぼろの漢字辞典。
ぼろぼろのひらがな練習帳。
古びた将棋の本。

これらは、約200年後に、東京でみちが買うものです。けれど、100年以上前から、保管されていました。なんだかとても不思議です。

漢字辞典と、ひらがな練習帳は、何度も何度も開いたあとがあり、手垢がついています。そして、東京のみちと、おばあさんと、幼いみち、3人の練習の筆跡がありました。みちは、3人の筆跡を、指でゆっくりとなぞりました。

そして、文庫箱の一番底にあった文を手にとります。
すると、はらりと一枚がこぼれ落ち、自然に開きました。

開いたのは、稲荷さまの場所の記された地図。

幼い自分が、お殿様やお侍さんたちと一緒に、稲荷さまの森にいる姿が、おぼろげに浮かんできます。



「こりゃ、胡桃だど!こん葉っぱは芋じゃの!のう!持って帰ってもええかの?」

しゃがみこんで、手拭いに芋や木の実を包む、幼いみち。



思い出しながら、みちは懐かしい顔つきで、地図を眺めます。そして、文を懐に仕舞い、両親に出掛けることを告げました。

「なあんで、もう少しゆっくりしていけばええとにっ」
「そじゃ、疲れとるだら?休んでけっ、の?」

みちは笑顔で首を横に振って言います。

「大丈夫だから。また今夜帰ってくる」

「今夜帰るって、おめぇどこいくだ?」









みちは、いなべ村へと向かいました。
そして昼過ぎには、村に着き、やがて地図で示す山が見えて来ます。

みちは立ち止まり、その山をじっと眺め、薬箱を背負い上げて登り始めました。

道の途中、廃墟を見つけます。

小さい頃にも、同じ場所で立ち止まり、この家を眺めたような気がします。記憶の中の廃墟よりも、さらに家は朽ちていて、草木や竹が生い茂り、屋根を破り、土壁は剥がれ落ちています。

けれど、草鞋やまな板、茶碗や土鍋は、まだ朽ちずに土間に転がり、野菜籠もありました。見覚えのある野菜籠です。もしかしたらここは、おばあちゃんの家だったのかもしれない、とみちは思いました。

みちは、おばあちゃん、と呟いてみます。もちろん、返事はありません。返事の代わりに朽ちた家の中で、鈴虫が鳴きました。

みちは、薬箱を背負いあげて、また歩き始めます。







森の中に竹林が見えてきました。

竹林の入り口は、互いに倒れかかった竹が屋根のようになっていて、参道は薄暗くなっています。そのうす暗い竹の洞の向こうに、明るい森が見えました。

みちは、薬箱を手に提げ、屈んで森へと入ります。幾重にも竹が重なり、その竹の隙間をきらきらと陽の光がすりぬけてきます。クモの巣も張っていて、どんどん参道は狭くなってゆきます。

そんな竹の洞をやっと抜け、みちは背伸びをして、空を見あげました。

薄い藍色の空を、雲がゆっくりと滑ってゆきます。深呼吸をすると、不思議と落ち着きます。森は、背の低い木々ばかりで日当たりがよく、たくさんの小鳥や小動物たちの住み処になっています。ウサギの親子が穴から顔を出し、木から木へとリスが渡り、樹上の鳥が、てててつぃーつぃー、と鳴きました。

「ちょっと、お邪魔するねー」

みちは、動物たちにそう言って、森の中心の稲荷さまの石の祠へとゆっくり歩いてゆき、祠の前で膝をつき、手を合わせました。





そして、そばにあった胡桃の木に背中を預けて座ります。

10月の涼しい風が、枝葉を優しく揺らして、木漏れ日が柔らかくゆらいでいます。みちの前に胡桃の実がぽとりと落ちてきて、リスがそれを咥え、どこかへ持ってゆきました。


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みちは、懐からおばあさんの文を出し、開きました。

けっして上手いとは言えないカタカナで、文字が綴られています。




ミチチヤン
オメサンハワシノコト
シラネダロケレドモ
ワシハミチチヤンニ
タイソウオタスケイタダイタデ


文字は読めず書けず、自分の生きている時代の年号を知らず、物々交換ばかりでお金の計算が出来なかったおばあさんが、一生懸命書いたこの手紙。みちは思わず、涙ぐみました。

文字を目で追うと、おばあさんの声が聞こえてくるようでした。



「わしはみちちゃんに、たいそうお助け頂いたで、これを書くでの。

東京からの、ここに戻ってきてからの、18年経ったど。この18年でな、色々な事があったけんどもや、ぜえんぶ、みちちゃんと出会わなんだら、起こらんかったことじゃで、わしはの、みちちゃんに出会えたんがの、稲荷さまからの贈り物じゃと思うちょるがよ。

まずの、薬を皆が買いに来てくれての、いろんな人たちにの、お礼を言われたんじゃで。

わっちら百姓はの、どれだけ働いても働いても、お礼を言われることはなかけんども、怪我しとる人たちをお助けしたらばの、みいんな喜んでの、たっくさんの人んらのの、安堵した顔やの、嬉しそうな顔ば見れての、わっちは嬉しかったど。

そしての、町におじいさんと竹細工売りに行くようになっての。そこでな、薬で手に入れたお金での、鰻ば食べさせてもろうたど。ありがとの。おじいさんとな、ふたりで食べたど。まっこと、うまかったの。いい思い出がの、みちちゃんのおかげでの、でけたど、ありがとの。

そうじゃ、みちちゃんの作ってくれた、みとぼると、すたばあの、桃の菓子の、うまかったことよの。

みちちゃんはの、わしにうまいもん食わせてくれたでの、みちちゃんはの、食べるのが好きなんじゃと、わっちはの、そう思うとるど。みちちゃんがな、ひもじい思いをせんでもええようにの、おじいさんと二人で、森を作ったでの。腹が減ったら、ここに来て、芋やら胡桃やら林檎ば食べてくんろ。の、腹いっぱい食べてくんろ。の。」




みちは、涙ごしに森を見渡しました。

森を眺めていると、苗木を植えるおばあさんが見えるような気がします。一生懸命に木を掘り返すおばあさんや、雑草を抜いたり、土を耕したりするおばあさん。たくさんの長い時間をかけて、森を作ってゆくおばあさんが見えました。


みちが目元を手首で拭うと、みちは後ろに倒れました。みちが、背を預けていたその胡桃の木が、突然消えたのです。

みちは、不思議に思いながら起き上がり、後ろを振り返りました。そこにはやはり、胡桃の木はなく、小さな胡桃の苗木があるだけでした。

苗木?

みちが不思議に思っていると、座っている目の前に、誰かがいました。その人は、泥だらけの手で、額の汗を拭い、芋の苗を植えています。みちが、その人の顔を覗き込み、息をのみます。

目の前のこの人は、東京で出会った、あのおばあさんでした。

東京で会った時よりも、小さく黒くなり、腰は曲がっています。でも、たしかにあのおばあちゃんです。そして、泥だらけの手を動かしながら、目の前のおばあさんは、何か独り言を言っていました。みちが耳を澄ますと、はっきりと、おばあさんの声が聞こえてきました。

「みちちゃん、腹いっぱいの、食べえよ」

声が聞こえた瞬間、これは幻じゃない、と、みちは咄嗟に思って、
“おばあちゃんっ”と慌てて呟きました。







目の前の、おばあさんが、ゆっくりと顔をあげます。

おばあさんは腰を抜かし、尻餅をつきました。ふたりは、同じ姿勢です。


「……みちちゃん…なんかの…?」

みちが、何度も頷きます。

「……ほうわああ、こんりゃあまあ、また」

おばあさんは、嬉しそうにぽろぽろと泣き始めました。 

みちも、おばあさんも、言葉が出てきません。


その代わり、みちは涙を何度も拭いながら、おばあさんに精一杯笑いかけました。

おばあさんは、ぽろぽろ泣きながら同じように笑って、何度も頷きました。

みちが、頑張って口を開こうとしても、涙がどんどん溢れてきて、ありがとう、としか言えませんでした。


おばあさんは、そんなみちに、皺だらけの顔でにっこりと笑いかけ、ほうかほうか、と言うように、何度も頷きました。










ふと気づくと、みちはまた、胡桃の木に背を預け、座っていました。目の前に、おばあさんは、いません。ほんの一瞬だけ、微睡んでいたのかもしれない、と、みちは、思いました。ゆっくり、文に目を戻します。



「 明日、庄屋さまに行っての、この行李を御預けしてくるでの。みちちゃんが無事に受け取って、この文を読んでくれたら、わっちはどえれえ嬉しいど。このために文字を覚えたでの。

そうじゃ、今日、芋を植えとったらの、胡桃の苗木のそばで、みちちゃんに会えた気がしたど。みちちゃんはの、幸せそうにわらっとった。なんぞ、薬箱携えとったけんどものの、幻でもなんでもの、会いたい人に会えるんは、うれしいの。

それじゃあの。
また、どこかで、会いたいの。
また、会おうの、みちちゃん。

キヨ 」



みちは、前屈みになり、手紙を抱き締めました。

栗が落ち、胡桃が落ち、林檎が香り、鳥が鳴き、暖かい陽射しが、みちを包んでいます。




























そして、みちはそれからも、元気に薬売りを続け、幸せに暮らしましたとさ、めでたしめでたし。







って、本来なら言うのでしょうが、幸せって人それぞれですからね、主観的な感想は差し控えたいと思います。

あの、急にお引き留めして、すみませんでした。そして、長いお時間耳を傾けていただき、誠にありがとうございました。
さて、それで、いかがでしたでしょうか?


「いかがでしょうか?って、いきなり言われましても…えっと、まあ、おおよそは、はい、わかりました。なんか、すごい、としか言えません」

お仕事終わりに、突然驚かれたでしょう。すみませんね、夜分に。それよりも、まず、わたくし、この通り、狐の姿ですし。驚かれましたよね。

「はい、いや、その、この神社で若い女性の声で、呼ぶから、なんだろ、と思って、そしたら、その、」

はい、すみません。狐はびっくりしますよね。

「いや、はい、まあ、かなり。びっくりはしましたけど、いや、なんかでも、よかったですよ、まじで。その、お話が聞けて」

いえ、よかったのは、我が主の方です。主から、あなたにきちんと礼を言うようにと仰せつかっております。

「礼?というと?」

はい。あなたがあのとき、おばあさんに絵を描いてあげなければ、おばあさんはあの場所で野菜を売らなかったでしょう。

そして、あの場所で野菜を売らなければ、みちとおばあさんは出会っていません。

あなたはおばあさんを邪険に扱い、追い払うことだってできたのです。けれども手間暇かけて、あのおばあさんに絵を描きました。絵を描いても、あなたには一銭の得にもならなかったはず。でもあなたは描きました。その手間暇が、みちとおばあさんを出会わせるその時間のズレを生みました。あなたが居なければ、みちとおばあさんは、出会うことはなく、あの飢饉で、やはり史実と同じことが起こっていたはずなのです。感謝いたします。

我が主は、故に、あなたに、この話を聞かせるように、わたしに命じたのでありましょう。

「は、はぁ。我が主、というと、その、」

はい。おばあさんが“稲荷さま”と呼んでいた祠の主です。

「あ、はぁ、なるほど。はい、その、かみさまってことですか?えっと、いなりさまって言ってたから、お稲荷さん?」

さま、ですね。

「あ、はい、すみません。お稲荷さま。なるほど。なんというか、映画くらいの長さのお話でしたね。それよりあの、ちょっといいですか?…あの…なんか、あの、途中のですね、あのチャンバラのくだりの、実況って必要でした?」

な、ななななな!!何をおっしゃいますやら!!!!あの大立回りはわたくしもちゃんと傍で見ておりましたが、本当にすごい大立回りだったのですよ!あれをお伝えしないと!なあんにも始まりません!なんならあそこだけでももう一度お話したいくらいです!!

「…あ、はい、なるほど。そうなんですね。いや、でも一回で充分なのでどうも…ありがとうございます。でもあの、気になることがあるんですけど」

はい、なんでしょうか。

「なぜ、東京のみちは、突然あちらに帰ることになったんですか?」

え?だって、歴史が変わったじゃないですか。

「はい。だから、歴史が変わったなら、東京のみちさんは存在しなかったことになりますよね?」

そうですよ。

「そうですよ。って…いや、そうですよね?」

そうです。けれども東京のみちがあの地点まで存在していないと、歴史も変わりませんよね。

「はい、まあ、そうなりますけど…。え?ちょっと意味がわからなくなってきたんですけど」

歴史が変わったから、江戸のみちは東京に行かなくて済みましたが、みちが東京にいないと歴史は変わらないのです。だからいてもらう必要がありました。そして東京のみちにはその直後に戻ってきてもらいました。

「あ、なるほど…いや、ほんとは全然意味わかんないんですけど。まあ、はい。で、その、それで、そのあと、みちさんは江戸時代で、どうなったんですか?」

え?知りたいですか?

「え?聞いちゃだめなんですか?え?」

え?知りたいんですか?本当ですか?

「そりゃ知りたいでしょう、そんなの」

そうですか!それなら仕方ないですね!お教えしましょう!特別ですよ!

「…あ、はい。お、お願いします」

みちは、その後も薬売りを続け、日本中を歩きまわりました。
吉原や、各地の女郎小屋を巡って、女たちに安い値段で薬を分けたり、無料で提供などもしていたようです。
あの日、善右衛門が言ったように、良いことをしたいなら自分で力をつけてからやれ、ということを、ちゃんと実行したようですね。

そして、みちは文政になると、ふるさとの城下町へ戻り、薬屋を始めます。
あ、えっと、文政って、1820年頃のことです。あ、大泥棒の鼠小僧次郎吉が活躍していた時代です。

そして薬屋を開いたその翌年、みちは薬屋のその隣に料理屋を開いたんです。そのお店はですね、さまざまな国の名物の食べ物が食べられる料理屋でした。

「なるほど、みちさんらしいっすね」

当時はみんな徒歩で旅行をするので、遠くの国の郷土料理なんて食べたことがない人がほとんどです。だからこの料理屋は、みちの国のちょっとした名物になって、旅の人々がたくさんやって来たようですよ。あ、ちなみに、みちの師匠の善右衛門も、同じように料理屋を開きました。どうやら妹のユキが働ける場所として実家で店を始めたようです。みちも師匠も、やっぱり食べるのが好きだったんですね。奇遇です。

「なるほどぉ、善右衛門さんもねぇ。なんかしみじみしますね」

あ、それでですね、みちの店は大盛況で、えっと、たしか、当時の旅の話を集めた江戸の滑稽本でも、みちの経営する店の名前が出たこともあったようです。

「へー!え、じゃあ、さっき話の中で出てた、“からいもねったぼ”とか“出雲蕎麦”とかも出してたんですか?」

そうです。ほら、善右衛門の妹のユキが作ろうとしていた“べろべろ”とか、おばあさんの菜っぱ飯とか、いろんな種類の食事を食べることができました。

そしてね、漬け物もたくさんの種類をつくっておったんですよ。
おみ漬け、すんき漬け、かりもり粕漬け、高菜漬け、なまぐさこうこ、すこ、らっきょう。漬け物の多さも、当時の人々には受けたようです。お土産にもできましたしね。

だから店は大盛況。ひとりではまわらないので、みちは貧しい農家の娘たちを雇い、やがて料理屋を任せました。

「商才があったんですね」

そうです。なんてたってわたくしも傍についておりますからね。
そしてですね、料理屋のその2階で、次はなんと、寺子屋を開きました。

「え、寺子屋ですか?」

そうです。百姓だろうが、商人だろうが、侍だろうが、男だろうが女だろうが、さまざまな子供たちが、さまざまなことを学べる寺子屋でした。

「へぇ、なんか、みちさんが教える寺子屋って、面白そうっすね」

はい。とっても面白かっただろうと思いますよ。だってみちは、当時の日本のすみずみも、そしてこの東京も知っているわけですからね。当時のどの寺子屋よりも、不思議な話や、面白い話が聞けたでしょう。ほら、小さい頃にみちが川で山椒を流して魚をとったりしていたじゃないですか?

「はい、そうでしたね、たしか」

ああやって、外に行って子供たちと一緒に遊びながらその原理や理由なんかを教えたり、台所で料理を教えたり、表の通りで絵を描かせたりしていました。なんかもう、見てると楽しそうで、一緒に参加したくて、わたくしはむずむず致しました。

「なるほどぉ、それはみちさんも、楽しかったでしょうね」

はい、楽しそうでした。とっても。

「なるほど。あ、いまは、みちさんのお店とかって、どうなってるんですか?」

現代、みちの店があった場所は、JRの大きな駅のロータリーになっています。ちなみに、みちの生まれたみざの村には、イオンタウンがあります。

「もうないんですねぇ。そりゃそうですよね。200年前だもんな。でも、イオンタウンとか知ってるんすね。すごいですね」

わたくしは観測するモノとして、極力覚えようと努めております。

「へぇ、なんか尊敬です。あ、じゃあ、おばあさんの、いなべ村は?」

はい。ありません。

「ありません?」

はい。ありません。

いなべ村は、昭和40年のダムの建造で地図からも消えました。今はダムの深い深い水の底です。おばあさんの家もわたくしの祠も、あの森も。

「え…森も祠も…そうなんですか。なんか、悲しいっていうか、寂しいですね」

いえ、わたくしもこんにちまで、よき物語のお供ができて光栄にございました。

「時間が経つってそういうことなんですね」

はい。そうなんです。それでは…最後に、あなたに、決めて頂かないといけません。そしてお返事を頂かないといけません。

「決める?返事?な、なにをですか?」

この物語の題名を決めて欲しいのです。

「題名ですか?」

はい。

「はぁ、なるほど。それで、お返事というのは?」

あなたに、この物語を文字に記していただきたいのです。そのお返事です。




「…ん?というと、僕が、本にするってことですか?」


いえ、書籍でなくても、人の目に触れるものであれば、形は問いません。



「じゃあ、インターネットとかで、すこしづつ書くとかっていうのでもよければ。いいですけど。でも、なんでですか?」



長年わたくしも彼女たちを、そしてあなたを観測して参りました。だから、彼女たちの歴史が、このまま誰も知らない話になるのは、寂しいのです。ただそれだけです。




「まあ確かに、誰も知らないお話にするにはもったいないですよね。うん、わかりました。書いてみます。思い出しながら。すこしづつ」




大変感謝致します。それでは、題名を決めていただきたいです。



「…題名かぁ、どうしよう…」



なにか、ぱっと思い浮かぶもので構いませんよ。




「えー…むずかしいっすねぇ…」






そうですよね。突然ですものね。




「どうしよっかなぁ…あ」




あ、それです。
ほら、いま、ほら、ぱっと、
今思い浮かんだっ、それですよ。




「え?………ドラッグストア昔話?…で、いいんですか?」































ドラッグストア昔話






(ゆっくりスクロールしてくんろ!)






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出演






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喜助
(庄屋の使い みざの村担当)






杢次郎もくじろう
(庄屋の使い いなべ村担当)






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花石甚四郎
(庄屋)






花石ヨ子よね
(甚四郎の妻)





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イシ
(みちを風呂にいれた女中)






花石甚兵衛
(庄屋 夜泣きの赤子)






花石甚八
(庄屋 行李の預かり手)







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小笠原龍則
(お殿様)






吉田治三郎
(筆頭家老)






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仲村長太郎
(賊に怒鳴った武士)






ロク
(みちの替え玉の娘)






用松
(賊の頭領)






田邊太七郎
(芋侍と呼ばれた武士)


 





松島惣右衛門
(腹を切ろうとした武士)






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藤太郎
(みちの父)






イネ
(みちの母)






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平次郎
(みちの兄 長男)






與太郎よたろう
(みちの兄 次男)





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ツウ
(もぢずりのおばあさん)






石野善右衛門
(薬売り みちの師匠)






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石野 カメ
(善右衛門の母)






石野 ユキ
(善右衛門の妹)






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秀吉ひできち
(おじいさん)






キヨ
(おばあさん)






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みち
(薬売り)







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御座野みざの 美知みち
(元東京都民)






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(いなべ稲荷さまの眷属 語り手)






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拝啓あんこぼーろ
(ドラッグストア店員及び書記)






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みちと善右衛門が歩いた石畳の中仙道










































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「お師匠、なーに、黄昏れてるんですか?」

「んだよ、黄昏れてねえっ…………って!……っおめえ!みみみちじゃねえかっ!」

「おっ!いい反応っ!さすがお師匠ですねぇ。むふふふ、お久しぶりですお師匠。あ、今は、商売仇でしたかね?」

「なななんで!ここにいんだよっ!」

「むふふふふふふ。この時期は商売仇が中仙道上って、黄昏れてる頃かと思いまして。そしたら、やっぱり、案の定、黄昏れてましたね」

「だから、黄昏れてねえっつってんだろうがよ」

「あ、そうなんですね。宿場町の坂の上で夕日見ながらボーッとしてるのは、黄昏れてないんですね。なるほどなるほど。ま、でも、あれですよね、数年前にここで可愛い可愛いお弟子を独り立ちさせましたからね。そりゃ思い出して、黄昏れたくもなりますよね。わかりますよ」

「…ったくよ」

「さて、行きますよ」

「は?どこいくんだよ」

「決まってるじゃないですか、居酒屋です。さ、とっとと行きますよ、積もる話がたくさんありますから。さ、行きますよっ」

「痛えぇっ!痛え痛ぇ!みち!肉掴んでる肉!それ肉だってっ!それ皮膚!ひふっ!みみ、みちっ、みちっっ!」

「さ、100年後にはいなくなる者同士、お酒を酌み交わしますよっ。さっ。いつものこの店にしましょうかね」

「らっしゃいっ」

「おやじさん!ふたり!窓際のお座敷座るよっ!」

「お!みちちゃんじゃねえか!いつものでいいかい?」

「うん!おやっさん、いつものおねがい!え?ちょちょ!ちょっと!お師匠早い!泣くの早いよ!」



























おわり










































もしサポートして頂けた暁には、 幸せな酒を買ってあなたの幸せを願って幸せに酒を飲みます。