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◇不確かな約束◇第5章 上

「えっと、じゃあ、プチトマト、レンコン、ゴボウと、ししとう。で、あとは、シイタケもお願いします。」

「ちょちょちょちょ、待てや、お前ニホンカモシカか、なんで野菜だけやねん。串カツ食いに来てなんで肉一本も頼まへんねん。なんのこだわりやねん、それやったらなんや、有機野菜レストランなんちゃら、みたいな店でええやん。串カツ食いに来てんのに。なぁ、おねちゃんなんか言うたってや。」

「え?あ、まぁ、いろんなお客さんいてはるんでね、私もレンコンが一番好きですし。お兄さんたち、大阪の方ですか?」

「せやで、二人とも大阪に住んでんねんけど、こいつは東京からこの春こっちに来てん。」

「あ、ほんまですか?めっちゃ都会やないですか。あ、それなら紅生姜
も注文されます?大阪以外おいてへんところ多いみたいやし。あとまぁ、せっかくなんで、串カツも二本くらいいかれますか?」

「そやな、あと、どて煮ね。七味ぶりぶり掛けてもってきて。どて煮の茶色いところが見えんくなるくらいね。ネギ多めね。」

かしこまりましたぁ、と、黒いシャツと黒いバンダナを巻いた店員が、厨房に大声で注文を伝えながら戻っていく。他の席も満席でジョッキや食器やいろんなものがふれあう音ががちゃがちゃ響いている。

「じゃあ乾杯すんで。」

堀さんがいう。あ、はい、と言ってジョッキを持つ。友達と缶ビールを飲むことはあったけれど、こんなに堂々とジョッキでビールを飲むことはなかったから緊張する。堀さんはやけに豪快にごちんとジョッキをぶつけてきた。そして7口くらい豪快に飲んで、ジョッキをおいた。僕はそれを眺めながら3口ほど飲んだ。

「慣れた?」

堀さんは唐突に訊いてきた。いろんな意味にとれると思う。学校には慣れたかとか、バイトには慣れたかとか、大阪に慣れたかとか。でもまぁ、学校にも大阪にも、バイトにも最初ほどの不安はないから、そういう意味ではもう慣れたのかもしれない。

「なんかとかんとかって感じですけど、なんか、はい、頑張ってます。」

「そうか、ええやん。俺も東京の大学行ってたから、わかんで。まだ地元帰りたいとか思わへんの?俺はめちゃくちゃやばかったで、病んでたわ。部屋で大阪の町のなんか、食べ歩きみたいなおっさん出てる番組のyoutube見ながら泣いてたからな。やばない?そんななってへん?高田純次の番組で東京見て涙ぐんでへんの?」

「いや、ないっすね。」

「そこは、ある、でええねん。おれ、めちゃめちゃ痛いやん。どんなキャラ設定に落とし入れてくんねん、ほんまに。」

おまちどうさまでぇす。と、先程の女性が串カツとどて煮を持ってきた。堀さんはビールをまた注文する。遠慮せんで食べや、つまようじ、いくらでもあんで?と僕の前につまようじ入れを堀さんは出してきた。つまようじで刺して食べるのかといろいろ考えていたけれど、つまようじ自体を食べなさいというフリなんだと気づいた。あ、なにか言わなきゃ。

「いや、いまのなしな。なんかパワハラみたいやったわ。ごめん。しかも、フリとしても雑過ぎたわ。トータルでごめん。」

堀さんは、バイト先の居酒屋の社員さんで、今日は二人とも早めに上がったので、堀さんが飲みに誘ってくれた。バイト先でも、いつも冗談とかむちゃブリをしている人なので、なんとなく慣れてはきたけれど、もしかすると、とてつもなくめんどくさい人なのかもしれない、とは思っている。でもこうやって、ただの大学生バイトを飲みに誘ってくれるのはありがたい。社員さんが未成年者に酒を飲ませる時点でもうアウトだとは思うけど。

さっきとは違う店員さんが、ぷるぷる震える手でジョッキを持ってきた。そのジョッキを僕のそばに置く。いや、ビールはこちらの方です、と言おうとしたら、ジョッキを半分割り箸の上に置いてしまったらしく、盛大にビールが僕のズボンにかかった。というかジョッキ大の全量を、僕のズボンが飲んだ。

堀さんが笑いながら、自分めちゃめちゃ飲むやん!ペースめっちゃ早いやん!と笑ったけれど、ビールをかけてしまった女の子は耳を真っ赤にして、半泣きになって僕に謝っている。ちらりと名札を見ると、「幸」と書いてある。どうせバイトの時に着る汚れてもいいズボンだったので、べつになんてことはないんだけど、とにかくめちゃくちゃ冷たい。他のバイトの人や店長さんがいれかわり立ち代わりやってきて、タオルとかで拭いてくれたり、謝ったりしていたけれど、僕のズボンよりも、なんども謝ったり、先輩に注意されたりしているその女の子に、なぜだか申し訳なかった。

ユキは、大丈夫だろうかって、突然思った。この子みたいに、なにか気まずい思いとか、辛い思いとかしてないかな、と、本当に突然思った。忘れてやると思ってた。七年後も、絶対に行かないって決めてる。

でも、なぜだか突然ユキを思った。

あの日、新宿のカフェで取り残されて、となりのOLのうるさい話をBGMにいろいろ考えた。本当にいろいろと考えた。考えても意味や理由はわからないから、すぐにユキに電話をかけた。もう一度説明して、ってラインも送った。でも、ユキは返事しなかった。いままで、いろんなことを言い合ってきたはずなのに、こんな適当な感じで一方的に終わってしまう。七年後とかっていう訳のわからない待ち合わせの約束だけ残して、消えてしまう。

もしかすると、北海道にすでに男がいて、別れるために獣医だのなんだのって言っただけなのかもしれない、とも思った。もしかしたら、遠距離からなにから全部がめんどくさくなってしまったのかもしれないとも思った。僕よりも、輝かしい大学生生活をとったのだと思った。

わからないし、教えてくれないから、たくさんの可能性を無駄に考えさせられた。泣いたし、疲れた。だから、もう携帯からは全部消した。写真も、電話番号も、すべて。

彼女のことを思い出したくなかった。嫌な女だと思った。最低だと思った。嫌いだ、と思った。でもなぜか、ユキは大丈夫かな、と思ってしまった。

店長らしきひげ面の男性が、先程の女の子を従えて、改めて謝りにきた。制服のズボンらしい、クリーニングの袋に包まれてるズボンを差し出して、バイトの制服でなんですけど、濡れてしまってるので、よろしければ、と僕に言った。堀さんはそれをさえぎって、

「あぁ、そんなんいいですよ。こいつも毎回うちの店でビールこぼしまくってますし、店ではスプリンクラー言われてますから。しかもここだけの話、半分小便垂れたような大学生なんで、正直ビールか小便かわかりませんもん。大丈夫ですよ。な、シュウ。」

と言った。

「あ、はい、大丈夫です。あ、でもスプリンクラーとか小便の下りはまったく嘘なんで。堀さんほんとやめてくださいよぉ。」

ちらりと女の子を見ると、ほんの少し笑ってくれていた。店長は、それではお代は結構ですので、ごゆっくりしてってください、と言ったけれど、堀さんはそのあと飲み食いをして、ちゃんと、全額払って店を出た。

店を出たあとに、しばらく歩いたユニクロの前で、堀さんは五千円札を渡してきた。意味がわからなくて顔を見ると、ズボン買うてきや、と顎で店を指した。いやいいですって、と言ったけど、俺が誘ったからシュウのちんこ濡れてもうたんやんか。ええやん、俺がええって言うてんねんから。と、また顎で店を指した。

「ありがとうございます。なんか、すいません。」

「ええねん、おれが誘ったんやから。ほな、おれ、これで帰るわ。」

「え、あ、そうなんですか、すいません、ごちかれさまです。」

噛んだ。

「ごちそうさまでしたと、おつかれさまでしたは別々に言えよ、なんで混ぜんねん。チャンプルー文化かお前。琉球王朝か。」

「いや、はい、おつかれさまです、ごちそうさまでした。」

僕は笑いながら頭を下げた。

「シュウ、お前いいやつやわ。さっきの子のこと、かばってたやろ。ほな、おやすみー。」

堀さんを見送った。めんどくさいけど、いい人なのかもしれない。


店に入り一番安いズボンを買う。試着室で穿いて店を出た。

すると、店の前を、うなだれて歩く女の子が見えた。尋常じゃない落ち込み方をしている。体調でも悪いのかと思って、少し顔を見てみると、さっきの串カツ屋の女の子だった。なんて読むのかはわからないけれど、幸という名前だったはず。その子も僕に気づいて、はっとした。


もしサポートして頂けた暁には、 幸せな酒を買ってあなたの幸せを願って幸せに酒を飲みます。