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ドラッグストア昔話 廿六


「ここの芋は、すべて貰う。」



と、お殿様が言うと、爺や甚四郎たち大人は、驚いた顔を見せました。だって、いままでのお殿様の雰囲気とまったく違う発言ですもの。そういう発言が許される立場とは言え、将棋の本を20両で買い取るお殿様が、“すべて貰う”と言えば、そりゃ驚きます。わたくしも、あの時そばで見ていたので、とても驚きました。

けれども、みちはしばらく考えてから、そりゃ当然、というような顔で言ったのです。

「山のもんは、山のもんだ。みちのもんでねえ、別にいやとは言わんぞな」そして続けて、両手をすりすりと擦り合わせながら「けんども、芋をもうすこしもろうてもええかの?」と言いました。そんな仕草どこで覚えたんでしょうね。わたくしの予想だと、杢次郎の真似をしているように思いますけど。

お殿様は、みちのその言葉に笑って頷き、「もちろんだ、お主は持てるだけ持って行くがよい」と言って、次は皆に向かって言いました。

「これより、数名、山を降り、村から鋤や鍬、車や牛を借りて参れ。総員で、この芋を城へと運ぶ。甚四郎たちも、手伝いを頼む、わしも爺も、皆でやろう。みちもな。」

すると爺が慌てた様子で訊きました。

「殿、なにをなさるおつもりですか、突然、芋掘りなどと…」

お殿様は、照れ臭そうに、観念したような面立ちで、そばにあった倒木に腰掛け、言いました。


「…昨日な、お主たちが戦っておる時に、みちにの、お殿様はなんで戦わぬのだ?と、お殿様は、どんな仕事をしているんだ?と。そのように尋ねられたのだ。

そしての、わしはの、その答えがわからんかった。しばらく考えて、城に戻ってからも、考えた。わしは、一体、なにをしておるのかと。皆に殿と呼ばれ、藩主として馬に乗っておるが、一体わしは、なにをしているのだろう、とな。

幼き頃より、この藩の主になるのは決まっておった。
言われるがまま、恥ずかしくないように、立派な藩主となるように、勉学、武道に励み、お家存続のため、こんにちまでやって参った。

けれどもな、昨日、お主らに守られながら思ったのじゃ。藩主として、ただ座っておる。自ら勝ち取った地位ではなく、親から受け継いだ場所にただ、座っておる。わしではない誰かが、この藩の藩主をしても、この藩は続くだろう。じゃあ、わしは何者ぞ、とな。」

すると、爺が、声をあげました。

「先代より城を、藩を受け継ぎ、藩主をお勤めになる。それは充分に、いえ、十二分に尊いことにございます、その双肩の重み、この爺には重くとても支えられるものではありませぬ、それを殿は若き頃より成し遂げておいでになる。それは、だれにでもできることなどとは到底思えませぬ」

お殿様は優しく爺に笑いながら言いました。

「けれどもな、先代と同じようなことをして、城を、藩を守るなら、それならば誰でも構わんのだ。わしでなくともよい。わしに兄がおれば、兄がなったやもしれぬ、父上に息子が生まれなんだら、どこぞから誰かが養子にきて、城主を務めたまでのことだ。

そしてな、思うのだ、おそらくな、老婆が未来の東京で知り得た情報の中に、この藩の飢饉のこともあったのであろう。このような広大な森を老婆が拓くのは並大抵のことではなかったであろうに、このような森を長い時間をかけて作った。この森の大きさはすなわち、飢饉が大きく、人が飢えて苦しむ規模を表しておるように思う。

そして、おそらく、わしは飢饉で民を守れず、たくさん死なせたのであろう。なにが藩主だ。城主だ。わしが守れなんだから、老婆はこの森を作り、せめて、みちだけでも、と行李に銭と地図を託したのであろう。

わしは、貧しき老婆に、問われておるように思う。
お殿様は何しなさるんかね?どうしなさるんかね?と、この森を通じて問われておるように思うのだ。

だからの、わしは決めたのじゃ。昨日のお主らが、我や、みちらを守ってくれたように、わしも、お主らを、民を守りたいと、そう思う。

よって、この芋を、藩で管理しようとおもう。
世迷いの、芋藩主と笑われるかもしれぬ。
言い伝えを信じた呆け城主と呼ばれるかもしれぬ。
けれども、みちと老婆の、時間を越えた不思議な巡り合わせを、わしはこの目で見てしまった。信じぬというほうが、わしには難しい。

わしは、飢饉が起こる、という老婆の言葉を信じ、老婆が植えたこの芋で、我が藩を、民を守りたい」

一同、お殿様の演説を黙って聞いております。
セキレイが遠くの小川のそばで鳴いているのが聞こえました。
大粒のイガグリが、落ち葉のなかに、ぼぶさりっと落ち、森をゆっくりと風がすり抜けていきます。

「城に戻ってまた改めて城の者全員に話をしようと思うが、まずは、お前たちに先に話そう」

お殿様は立ち上がり、みちの手拭いの中の芋を拾い上げます。

「まずは、我らがこの芋を50倍に増やす。この芋の葉勢の様子じゃと、秋と春に収穫できそうじゃ、来年までに、芋を増やし、その増やした芋を種芋とし、武家、町民、百姓に分配し、それぞれ庭や畑で育てさせる。天明という年号がいつやってくるのか、わからぬ。もしかすると明日かもしれぬ。だからこそ、本日たった今から、我らはできることを、やる」

そう言って、お殿様は、刀を鞘ごと抜いて、近くの木にたてかけました。

「土を耕すのに、刀は要らぬ。お主らも、お主らの父君や母君や、先祖から受け継いだこの国の土地を、そしてお主らの血を誇りに思っておろう。しからばそれらを守るため、お主らも刀を置き、土を耕せ。侍だの百姓だのと言ってはおれぬ。国をあげて、この国を守るぞ。」

爺が、ゆっくりと刀を、近くにあった木にたてかけて、お殿様に跪きました。他の侍たちもそれにならい、刀を置いて跪きました。

甚四郎たちは正座をし、お殿様に向かって頭を垂れています。杢次郎が、頭を下げていないみちに気づき、彼女の頭を優しく支え、お殿様に向かって頭をさげさせました。

みちは、おとなしく頭を下げながら、拾ったクルミで手遊びをしています。



その後、村から大八車と鋤と鍬と野菜籠などを借りてきて、皆で芋を掘り返し、収穫をしました。茎や葉の部分も苗に使えるということで、水をかけ、むしろにくるまれて、車に積まれました。

一日がかりで掘り出し、泥だらけになった一同の前には、たくさんの芋が大八車にのせられています。その量はなんと、車3台分の収穫量でした。その芋を城内へ持ち帰ると、お殿様はそのたくさんの芋を半分に切りらせました。侍たちは刀を置き、城内のあちこちを掘り返し、耕して、半分に切った芋の苗や、種芋を植えました。そうして、城の中には中庭に至るまで、足の踏み場がなくなりました。この不思議な出来事は、安永7年の出来事として、藩史にも記されております。



そして安永8年。
西暦1779年のこと。
何日も続いた地震の末、薩摩、桜島が大噴火しました。
この噴火は何年も続き、溶岩が地上や海底で噴出し、津波や火砕流などが起こりました。

この火山活動は数年にわたり続き、広い地域の農作物が日照量の低下や火山灰などで影響を受け、日本全体で徐々に収穫量が低下してゆきます。

そして安永10年。
1781年。
年号が改元されました。

新しい年号は、天明。

天明に入ってから、夏は寒く、冬は暖かく、雨は降らず、という不思議な日々が続き、農作物はさらに被害を受けていきます。

そして、天明3年。
弘前、岩木山が噴火。
長野、浅間山が噴火。

安永から続く不作に追い討ちをかけるように、火山が相次いで噴火し、飢饉が始まりました。


さて、桜島の噴火が起こった、安永8年へと戻り、昔話の続きをお伝えしてまいります。








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