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ドラッグストア昔話 廿四




「もうイナベ村へは着いたのかの?」

「へい、あの民家のあたりから、イナベ村にございます」


お殿様が杢次郎に尋ねると、杢次郎はすぐに答えました。




お殿様、爺が馬に乗り、護衛の30名ほどの侍たちが歩いております。侍たちの数はすこし増えてますね。
そして、甚四郎、杢次郎、喜助が先頭を歩き、共に、みちも歩いています。

昨日の天気とはうってかわり、この朝は雲ひとつない青空。夏から秋へ変わる気持ちのよい風が吹いております。

昨日、みちの家の囲炉裏を囲みながら地図について話しているうちに、明日、地図の場所へ行ってみようということになりました。

けれどもみちの両親は、翌日は村の共同の水路の補強を行うために、一緒について行くことはできないということで、みちだけ城下の甚四郎の屋敷に泊まり、翌朝出発することになりました。

みちは、畳も行灯も風呂も、立派な晩御飯も、一度も見たことがなかったので、なにか新しいものを知るたび、騒ぎ通しでした。お風呂のなかでは、女中に体を洗ってもらいながら、腹ぺこ子狸の歌を歌って、女中を笑わせ、風呂上がりには、甚四郎が子供の頃に着ていた浴衣を着て、ふかふかの布団で横になり、甚四郎の妻の語る昔話を聞きながら、ころんと眠りにつきました。本当にいろんなことがあった1日でしたからね。さぞ疲れたでしょう。

そして翌朝、お殿様一行と共に、地図に記されているイナベ村へと出発したのです。




イナベ村に差し掛かると、甚四郎が杢次郎に尋ねました。杢次郎は、この村の担当なのです。

「稲が実ってはおるが、なにやら隙間が多いの、稲の病気か?」

「いえ、ここ数年、稲の育ちが悪いというのは村の者たちより聞いちょりました。年貢に影響するほどのことではなかったがですが、この様子じゃと、今年はちと、心配ですな」

甚四郎はそれを聞いて無言でうなずき、田畑を見渡しました。
ところどころ枯れたような稲があり、ぼこぼこと凹凸のある田は、黄金色というには乏しい色合いで、貧相な印象でした。



年寄りの村人がいましたので、杢次郎が道を尋ねます。

「お、ちょうどよか、おい、お主は、山の中腹にある、イナリ様というのは知っておるか?」

すると村人が答えます。

「あ、庄屋さま、こりゃどうも、イナリ様ですか?うーん、だいぶ昔はお祀りして里のものらも、山登ってイナリ様へ参っておったようですけんども、今は森が深くなってしもうておるけ、山に登るものは、あんまり聞いたことねですの、そうやけ、もう、詳しい場所を知るもんは、うちの村にはおらんように思いますけんどもな」

杢次郎は年寄りに礼を言いました。

「甚四郎さま、その地図がどこまんで正しいかわからんけんども、その印を頼りに進むほかねえみてですの」

おばあさんのいた時代から100年です。道も景色も、人も、たくさん変わっているでしょうね。




一行は里を抜け、山にさしかかりました。
やはり、山に入る者はいないようで、倒木や暗い竹林が目立ちます。
竹林の間の細い道を抜けていると、古い朽ち果てた民家があることに、みちが気づきました。

雑草の生えた屋根は半分落ち、障子はすべて破れ、かまどはところどころわれ煎餅のようにひびが入っています。


「誰か住んでおるんかの?」

みちが誰にともなく尋ねると、喜助が腕を組みながら言いました。

「あの家に住めるのは、獣か、もののけかって、とこだろうなあ」

みちはその言葉を聞きながら、ぼんやりとその家を見つめて、やがてまた歩きはじめました。



じつは、この家は、100年以上前におじいさんとおばあさんが住んでいたあの家なのです。この家には、庄屋さんが夜泣きの薬を買いにきましたし、いろんな人が怪我や薬のために訪れました。

けれども今は喜助の言う通り、獣か、もののけか、という雰囲気です。みちは、おばあさんを知らないはずなのに、なにか感じたんでしょうかね。

小さな小川を抜け、大きな岩の脇を通りすぎ、地図の示した印のあたりにたどり着きました。あたりには人が入った形跡はまるでなく、複数の獣道が森に広がっています。馬に乗っていては前に進めないので、お殿様と爺も馬を降りて歩いています。


すると、お殿様の警護の侍の一人が声をあげました。

「痛ってえ!」

一同、昨日のことがあるので、敵襲かと、騒然とします。
その侍は、一同が自分に注目しているので、気まずくなりながら説明をしました。

「あ、そ、その申し訳ございませぬ、このタラの木のトゲが額に当たったので、その、つい、も、申し訳ございませぬ」

止まっている木を避けられぬでは、太刀を受けることも出来ぬではないか、と誰かが軽口を言うと、侍たちが、どっと笑いました。


そのタラの木を触りながら、みちが言いました。

「こんだらでけえトゲがあったらば、動物たちもここには近づけねえの、ほいで、このタラの木の奥は、ありゃかぶれる木でねえか?気いつけなならんばの」

大人たちは、みちが言うように奥の木を見ました。すると確かに、タラの木の奥には、さわるとかぶれる漆があり、そして漆の奥には竹林が広がっていました。よくよくタラの木の並びをみてみると、タラ、漆、竹の順番に木が生えており、まるで柵のようになっておりました。

甚四郎がその林を見ながら、なにやら思案しております。

「人や動物を寄せ付けぬような森だの。まるで、人が敢えてそのようにして植えたような、そんな森だ。この向こうになにかあるのやもしれぬ、杢、喜助」
そうして甚四郎は、杢次郎と喜助に、この森がどこで終わるのかを、左右に手分けをして探させました。



すると、かなり時間が経ってから、二人が一緒の方向から戻ってきました。

「どうであった。この森の様子は」

杢次郎が答えます。

「丸き形の林のようでして、たどってゆくと喜助と出くわしましたわい。やはりどこも同じように、タラと漆と竹の並びになっておるよでごぜます。反対側に、この林の中心部へと入れそうな入り口を見つけましたで」


甚四郎がお殿様へその旨を報告し、一行はその小さな入り口へとむかって歩いてゆきました。



「甚四郎さま」と、みちが甚四郎に声をかけました。

「なんだ、どうした」

「昨日はの、晩のご飯を食わしてもろうて、まっことうまかたの」

「ほう、うまかったか、そうか、よかった。あの飯を作ったものはの、うちで数年前から女中をしておる15の娘じゃが、物覚えが良くての、料理の腕もあるようじゃ」

「ほうか、あん姉様の料理うんまかったのぅ、あ、あとはの、風呂にもいれてもろうたけんどもな、風呂はな、初めてじゃった!」

「そうか、どうであった、風呂は」

「姉さんにの、歌っての、楽しかったの」

「ほう、どういうとこが楽しかったのだ」

「声がの、響いての、神楽堂みたいにの、響いての、なんぞわっちは誇らしかったど」

「そうか、みちは声がよく通るから、女中もさぞ楽しかったろうな」

甚四郎が言うと、みちはすこし照れたような顔をしながらも、嬉しそうにしております。

風呂に入ったので、肌や髪はつややかで、輝いています。6歳という幼い年齢ですが、美しい娘になる、というのが一目でわかる顔立ちと髪と肌のつやです。みなさまにも、見えておりますか?

「みち、足は疲れておらんか?」

甚四郎がみちを気遣い、声をかけます。

みちは首をかしげます。
「まだなあんもしとらんでの」

なにもしとらんと、みちは言いますが、城下から4時間ほどの場所です。それほど歩いてもなんともない顔をしているので、毎日の百姓の仕事を、甚四郎は否が応でも実感しました。みちにとっては、数時間歩き続けることなど、“なにもしていない”に等しいのです。

その様子を、お殿様もぼんやりと眺めております。
お殿様は馬に揺られていただけでも疲れているというのに、6歳の娘は、まだなにもしてない、と言うのです。そして、風呂にも初めて入ったというのです。身分の差とは言え、複雑な気持ちになりました。難しい顔をして、なにやら考え事をしています。


「入り口は、ここにあるがです」

杢次郎が甚四郎に言いました。

人一人が通れるほどの狭い隙間があり、足元には石が敷き詰めてあるようでした。神社の参道のように見えなくもありません。杢次郎と喜助が鉈を抜いて、枝葉を切り落としながら前へ進んで行きます。

「なんぞ、隠里のようじゃの、だれかこの森のなかに隠れ住んでおるような、そんな森じゃの」

「忍びが住む場所はこういう場所なんかの」

杢次郎と喜助が話しながら歩いていくと、竹林が途切れ、雰囲気が変わりました。木々の背丈が低く、あたりが明るくなったのです。

みちが、森の真ん中にある祠に気づき、「あっ!なんかあるど」と声をあげます。
みちの身長ほどの大きさの石の祠と、朽ちかけた小さな赤い鳥居がありました。


一行は祠の前に立ちました。

「さて、ここに来い、ということであったが、稲荷大明神の祠か。他にはなにかあるのかのう、この森に」

お殿様が、開けた森を見渡しながら、甚四郎に言うと、

「ここに来い、だけですので、何があるのかまではわかりませぬな」甚四郎はそう答えました。

「よし、手分けをし、老婆が何を託そうとしておったのかを探そうぞ」

と、お殿様が全員に指示を出しました。

40人ほどの大人たちが、広い森に散らばって、上をみたり、下を見たりして“なにか”を探し始めました。

さて、みちは、というと、ひとりで黙々となにか拾って遊んでいるように見えますね。


大人たちはしばらく森のなかを探しましたが、とうとうなにも見つけることはできませんでした。

「どうであった、なにかあったかの」

お殿様が皆を集め、質問しました。

大人たちは、渋い顔をしながら、収穫なしという雰囲気です。

けれども、みちは違いました。喜助の持っていた手ぬぐいを借り、そのの中に何やらたくさん詰め込んでいます。

お殿様がみちの様子を見ながら、尋ねました。

「みち、何を包んでおるのじゃ」

みちは手ぬぐいを手際よく包みながら答えました。

「おっかあたちへのみやげじゃ」

「土産?ちと、中を開いて見せてみよ、一体何を土産に持ち帰るのじゃ」

お殿様が言うと、みちは手拭いを解いて開き、大人たちは、手拭いのなかを覗き込みました。



みちが手拭いを開いている、まったく同じ場所。
およそ100年前、おばあさんとおじいさんがそこで話をしています。
まだ、稲荷さまの周りは森ではなく、竹林に覆われていた頃のお話です。


「おじいさんや、こうやって立って見上げとるとな、竹の葉がさらさらと落ちてきてな、風が吹いてな、美しい音がするんだど」

おばあさんが稲荷さまのそばでそう言い、おじいさんは笑顔で頷きながらおばあさんの話を聴きます。

「おんなじじゃ、わしもの、おじいさんもの、葉っぱと同じようにの、やがて地の上で眠るんじゃ。みいんなそうやって生きてきたんじゃなあ、くるくるくるくる回っての」

「そうじゃなあ、人も土も変わらんなあ」

「あのな、わしはな、あのな、みちちゃんをの、娘みたいに思うとるがじゃ、わしが土になった時にの、みちちゃんにな、届くように、なにか残してあげときたいがじゃ、100年後、生まれてくるみちちゃんにの、渡したいがよ」

そうして、おばあさんは、おじいさんに向き直って言いました。

「おじいさん、手伝ってくれんかいの、わしのわがままにつき合うてくれんかいの?」

おじいさんは、ゆっくりとうなずいて、笑顔で言いました。

「ええよ、なにしたらええ?」

おばあさんは竹林を見上げます。

「この林を、拓いて、森にするんよ」




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