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輝き。

中学生の時、職業体験ってあったと思います。

中学生が地域のスーパーや、ガソリンスタンドや、本屋などに行って仕事を体験するというものです。

僕の中学校にはそれとは別に、地域の大人たちが中学校へやってきて、「自分達の仕事」について話すという選択授業がありました。

僕はもともと授業全般に興味がなかったので、そこから一番かけ離れているであろう「バイク屋」の授業を選択しました。

忘れもしない、中学二年生の冬。僕と鉛色の空との間には、結露と冷たい窓がありました。


教室には、やんちゃなやつらや、僕と同じように、難しい話がなさそうだから、という理由でバイク屋の授業を選んだだけのやる気のないやつら。教室にはだらけた雰囲気が漂っていました。

その教室に、目付きの悪い、つなぎを着た若者が入ってくるのです。

先生がその若者の名前を紹介し、授業が始まります。するとその若者は、目付きの悪いまま、言い放ちました。


父親が、PTAの会長ばしとるけん、息子の俺が呼ばれました。俺は別にお前らに話したいこともないけん、なんか質問あったら、しろ。

先生が若者を二度見します。だらっとした雰囲気の教室の雰囲気が一瞬で鮫の泳ぐプールの雰囲気になりました。つなぎの若者は、黒板に背を預け、僕たちを見たり、窓の外を見たりします。誰も質問なんてありません。できません。沈黙の艦隊。

先生が、助け船を出します。

お前たちなんかないのかぁ?ほらあ、せっかく来て頂いてるんだから、なんかあるだろ?いつからお仕事してるんですかとか、大変なときってどんなときですか、とか、な?あるだろー?

教室の真ん中の方の生徒が、恐る恐る、なんでバイクの仕事ばしようと思ったんですか?と質問しました。鮫のプールの中に落ちた鍵を取って来いと言われた時の中学生のような面持ち。

するとその若者は、答えます。


親がバイク屋しとったけんたい。


プールが赤く染まりました。

僕たち子供は悟りました。僕たちが質問を矢継ぎ早に放たない限り、この沈黙は増幅され、とんでもない雰囲気の沈黙の時間が流れるだろう。全員で腹を括りました。

次の質問が誰かから放たれます。

小さいときからバイクがそばにあったんですか?

今言ったやろうが。



何歳ぐらいの時に一人でバイクにのりましたか?

十二才ぐらいで、親父に黙って乗っとった。まぁ、親父は気づいとったらしいばってん。

生徒たちが、スゲーーと、小声で口々に言う。(そして先生が苦笑いをする)

好きなバイクとかありますか?

そりゃあるやろ。いまここで言ってもだれも知らんやろうばってん。あるよ。

様々な質問が次々に出てきます。ただの間つなぎの質問や、中学生がしそうな質問がほとんどでした。

やがて、その若者にスイッチをいれる質問が出現するのです。

僕、暴走族のバイクが好きっちゃけど、そういう改造とかもするんですか?

若者の声と目がまったく変わりました。

こっちも仕事で、修理とかカスタマイズとかしとるけん、そういう依頼があればせんことないよ。ばってん、俺は、暴走族は、クズと思っとうけんくさ、俺がおるときに来たら断っとる。

な、なんでですか?

バイクはくさ、バイクが好きな大人達が、開発ばしよる人たちが、ああでもないこうでもない言ってから出来た知識とセンスの結晶なんよ。バランスやら乗り手の安全ば考えて、早く安定して走れるように作られとる芸術作品たい。そればくさ、なんか目立ちたいか、ストレス解消か知らんばってん、邪魔にしかならんようなわっけわからんかっこわるいシート付けたりくさ、ハンドル曲げてわざわざ持ちにくくしたりしてくさ、もう、あれば見よったらおれは腹が立ってしょうがなか。あげな改造はバイクがかわいそうばい。かわいそう、あんな乗り手に乗られるバイクは。愛がなか。しょーもなか。

全員が、なぜか、彼の話に引き込まれました。さっきまで、質問があったら勝手にしろ、(おれはなんもしゃべることない)という雰囲気だった彼が、感情を込めて熱弁をしたのです。そばで腕を組んで話を聞いていた先生も、身をのりだしました。そして先生が質問をするのです。

あの、すみません、バイク屋をされているなかで、一番気を付けていることってなんですか?

一番気を付けてることですか?うーん。親父からよく言われていたのは、バイク屋がバイクから目を離したらいかんっていうことですかね。バイクは自転車と違って、簡単に人が殺せるし、乗っている本人も、事故に遭ったら死ぬ確率が高い乗り物です。実際、親父の友達も、うちのお客さんも、バイクの事故で亡くなってます。昨日まで元気だった人が、事故で簡単に死ぬんです。事故はどこかで必ず起こるので、防ぎようはないんですけど、ブレーキが効かんとか、ガソリンが漏れるとか、そういうことで起こる事故は防げます。だからこそ、バイクのプロとして気づけることは小さなことでも目を配るようにしてます。ボルトの緩みなんかもそうですし、タイヤの傷、フレームの歪み、ブレーキパット、配線の劣化、俺はバイクは生き物と思ってますから、医者みたいな感じでバイクの中も見るようにしてます。バイクの小さな病気が、人の命ば奪うこともあるかもしれんけん、そんな気持ちで見てます。

教室の誰も、バイクの運転も、バイクの修理も、販売もしたことはありません。けれど、なんだか同じ景色を見ている、同じ時間を過ごしている仲間のような連帯感が生まれていました。

そのあと、その若者は、バイクがいかに素晴らしい芸術作品であるか、そして雄壮で繊細な乗り物であるかを、中学生の僕たちに語りだしました。最初の、ぶっきらぼうな若者ではなく、好きなことを仕事にしている、瞳の輝く大人として。



実は僕も現在、地元の中学生たちに、自分の仕事の授業をする事があります。


あの若者が自分の仕事を熱く語った話が、今もこうやって僕の心を震わせているように、もしかすると僕が話すことが彼らの心に残る話になるかもしれない。だから、大人が死んだ目で自分の仕事を語ってはいけない。

子供たちよりも輝く目で、自分の仕事を、語りたいと、僕はそう思っています。

ばってん、難しか。
働くって難しかよ。

もしサポートして頂けた暁には、 幸せな酒を買ってあなたの幸せを願って幸せに酒を飲みます。