ただ立つことって、なんか難しいよね。

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首 という字がある。

首という字の一番上のちょんちょんは、髪の毛を表しているらしい。


憂 という字がある。

憂うという字の上の部分も首に相当する。けれども、ちょんちょんがない。どうやら、憂うという字は、髪の毛を隠しているヒトを表しているらしい。

なんで隠しているのか。

古代中国の葬式では、被り物をして喪に服したという文化があり、それが漢字に投影されたようだ。

喪に服し、心に蓋をして、足の間に棒が挟まっている、あるいは、後ろを振り返っている足の形。

それが、 憂 の字の語源らしい。

憂うひとのそばに、誰かを立たせてみる。

すると、こういう漢字が出来上がる。

すぐれていて
やさしくて
まさっている

憂うひとのそばに、ただ立つことは、とてもむずかしい。アドバイスや、説教や、勇気づけや、慰めや、気分転換をさせてしまう。

ただ立つことは、とてもむずかしい。

最近ふと気づくと、話を聞いているようで、ただ僕が喋っているだけのことが多いと思った。どうにもこうにも、様々なインプット多めに設計されているので、アウトプット多めになる。どうにもこうにもだらだらと喋ってしまう。

知り合いのお坊さんが、

「ヒトの話を聞くときは、観るように、聞くようにしています。」

と言っていた。映画を観るような感覚だろうか。

今、エヴァンゲリオンが放映されている。見に行きたい。その映画を観ている最中に僕がだらだら喋り始めたら、そりゃもう迷惑きわまりない行為だと思う。

でも、相手の話を聞きながら、結局自分語りをしてしまう僕は、映画館で、ぺちゃくちゃりぺちゃくちゃぺちゃくちゃぺちゃくちゃりと話しているやつと同じなのだ。優しくありたいぜ。

ということで、手始めにエヴァンゲリオンまじめに観てくるっ!



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