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【旅】ミャンマーそろり旅4/戦いが終わる町

アジアを歩くと、ときに秩序の無さが快適だったりする。
ヤンゴンもそんな町だった。

車が猛然と走る幹線道路には信号などなく、
人々は車の流れの何手も先を読んで、アクロバティックに横断する。

高層のビルやアパートがひしめく中心地に入ると、
今度は車のクラクションの応酬が始まる。
しかしそれも殺気立ったものではなく、日常のあいさつのような響きだ。

部屋の窓からは円いアンテナが規則正しく空を見上げている。
このような町には熱帯ジャングルにも似た冒険が詰まっているから、
歩くのをやめられない。

ミャンマーでは露天の茶屋が路上の風景に欠かせない。
ままごとのようなテーブルと、おしりの半分しか乗らないような
小さな椅子が、路肩にセッティングされていれば営業中だ。

魚のだし汁を麺にぶっかけたモヒンガーなどの軽食麺類は、
朝の出勤前に食する人が多く、そんな露店は夜明けと同時に営業している。

スモッグが飛び散るような町は、中国人が得意とするところで、
世界中に散らばった彼らは、その先々で寄り合いを築く。
横浜や神戸、サンフランシスコのように有名でなくても、
たとえば以前旅した南アフリカ共和国のケープタウンにも
中華食材なら何でも手に入るという触れ込みのスーパーが存在した。

ヤンゴンの中国人街は夕暮れ時から膨張し始める。
見物に出かけると、夏休みの縁日のようなにぎわいだ。
熱気と喧騒が衝突している。

けれど、町の電力事情が貧弱なため、街灯は機能していない。
よく目をこらさないと、雑貨屋やカットフルーツの屋台、
七輪で焼くトウモロコシ、豚の肝の串焼き屋などが、
突然足元から浮かび上がってきたりして驚くことになる。

けれど、どうしてだろう、嫌悪感が湧いてこない。

それはきっと、ニンジンだけのシチューより、牛肉やジャガイモが入っていたほうがおいしいことと似ているのかもしれない。

「ヤンゴン」とは「戦いの終わり」を意味する。

この街では、公然たる怒りは恥とされる。
車のクラクションが弾む町で、人々は語らい、
パゴダを参詣して、平和の祈りをささげる。

雑然とした町のエネルギーが押す力なら、質実な人々は引く力。
この均衡が、無秩序の中にある快適さのゆえんなのだろう。

/つづきます。

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