現代日本での「搾取」は許容されるか

まえがき

近年、特に21世紀に入ってから、資本主義を採用する国の共通の問題として格差の拡大が叫ばれている。これは資本家と労働者間での格差拡大を念頭に置いたものであるが、資本主義である以上当然の結果であるとされる。しかし、このような社会は公正な社会と言えるのだろうか。

問題意識

資本家が富を蓄えて肥大化させることを正当化する論理として「『相応のリスク』を負って起業した」ことが一般に言われている。

しかし、①それを労働者からの搾取を正当化する理由として良いのか。②はたまた、これ程までの搾取を正当化するだけの「相応のリスク」を本当に負っていると言えるのか。

考察

まず、前段①について私の思うところを記述する。

確かに、相応のリスクを背負って成功した者には相応の報酬が与えられるべきである。なぜなら、国全体の経済の発展や生活水準の向上には、新規事業の創造が必要不可欠であり、その創造を掻き立てるインセンティブとして相応の報酬は合理的なものであるからだ。これは、当初は純粋な社会主義国に近かった中国が、資本主義的な発想を取り入れたことによってあれ程の急成長を遂げたことからも納得できる。

次に②について。

問題はこちらである。現代の起業(少なくとも日本において)はそれ程のリスクを負っていないのではないか、という提言である。先程の中国の例とはちょうど逆のケースで、我が国は資本主義をベースとして成立した後、社会主義的な発想を取り入れている。例えば、医療保険制度や年金制度などである。社会保障額が年々増加していることからもこのことは明らかである。巻末リンク参照。

つまり、現代日本においては仮に起業に失敗したとしても、株式会社の制度、自己破産や生活保護等の仕組みが存在している限りにおいては、狭い意味での「路頭に迷う」といった事態は生じにくい、と考える。また、「相応」とは「比較衡量」「バランス」の問題であり、負ったリスクが大きい程、得るべき報酬も大きくなるべきである。とすると、現代日本における起業のリスクの小ささを鑑みれば、起業に成功したとしても、年収ベースで数億レベルを得ることを正当化することは難しいと言わざるを得ない。ここ数年のベンチャー・スタートアップに対する国からの支援の態様を考慮すれば更にこの傾向は強まっていると言えるだろう。

どのような構造にするべきか

この論理が認められるとしても、結局のところ、現行法において報酬については決定権を持つのは、経営者、取締役、大口株主等の資本家階級の人間である。この文章を読んで頂いた方の中で、もし、これから資本家になろうとする方がいればこのことを頭の片隅に置き、節度を持った企業環境を整備していただきたい。労働者階級の方々も現状の搾取を正当化して諦めるのではなく、これを機に自分の頭で考えて必要に応じて行動を起こす態度でいて欲しい。私自身は行政の立場からそういったほんとうの意味で公正な社会づくりをサポートする環境を作りたい。

また、私自身の考えをブラッシュアップするためにも、色々な方からの意見を頂きたい。率直なご意見など、コメントしてくれると非常に嬉しい。


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