HIPHOPファンが【レペゼン母】を読み、どう感じたか。
8月10日、「レペゼン母」という小説が発売された。
第16回小説現代長編新人賞を受賞した作品だ。
【あらすじ】
山間の町で穏やかに暮らす深見明子。
女手一つで育て上げた一人息子の雄大は、二度の離婚に借金まみれ。
そんな時、偶然にも雄大がラップバトルの大会に出場することを知った明子。
「きっとこれが、人生最後のチャンスだ」
明子はマイクを握り立ち上がる――!
HIPHOP、その中でも特にラップにスポットを当てた本作をHIPHOPファンである私が読んでどう感じたのか、現代日本におけるHIPHOPの立ち位置等の話も踏まえつつ語っていきたいと思う。
HIPHOPファンだからこそ読むべきなのか、読まないべきなのか
きっかけは何気なく見ていた「王様のブランチ」だった。
小説コーナーの中で本書が紹介されており、第一印象としてまず「レペゼン母」というタイトルに強い抵抗感を覚えた。
HIPHOPという文化はここ10年間のフリースタイルバトルブームの波に乗り若者を中心にその認知度を高めてきている一方で、文化そのものがもともと持つ"ガラの悪さ"や"閉鎖性の高さ"によって、理解のない人間がその気になればイジったり馬鹿にしたりする余白がいくらでも見つけられるという特性を持つ。
それにより、大多数の人のHIPHOPに対するイメージは未だに「ニューエラのベースボールキャップを被ってブカブカのNBAレプリカジャージを身に纏い、首にはギラギラした金のネックレス、腰履きしたジーンズの裾からはティンバーランドもしくはナイキのエアフォースワンを覗かせ、薄暗いライブハウスでチェケラッチョと叫んでいる」という最もイジりやすい・馬鹿にしやすい所で止まったままになっている。
私もかれこれ25年程はHIPHOPファンとして生きてきた。
始めのうちは友人に自分の好きな曲やアーティストを勧めたりもしていたが、「どうせヤンキーが聴く音楽でしょ?」や「そもそもあれって音楽と言えるの?」といった疑問を解消していく事に疲れ、次第に人に勧める事はおろかHIPHOPファンだと公言する事すらもなくなっていった。
その後creepy nutsのブレイクやフリースタイルダンジョンブームが訪れ、かつて勧められた際には鼻で笑っていたような連中が掌を返し、やれ「R指定が〜」「パンチラインが〜」などと語り出した事は私を更に絶望させた。
そういった背景もあり、いつしか私は「理解やリスペクトが無いくせにやたら声だけがデカいファンなんか必要ない」と考えるようになった。
その頃からだろうか。私の耳にはHIPHOPセンサーが搭載されるようになり、日常会話においても「ディスる」や「チル」といった言葉を感知しては「こいつには関わるな」と警報を鳴らすようになった。
面倒臭い古参ファンの誕生だ。
そして私のHIPHOPセンサーは、今回小説タイトルに含まれる「レペゼン」にも見事反応したというわけだ。
作者である宇野碧はインタビューでラップを題材に選んだ理由について下記のように述べている。
ラップバトルの番組で女性ラッパーが男性の対戦相手から差別的なディスを受けたというニュースをネットで見て、どんな女性だったら勝てるのか考えて、オカンなら勝てるかなって思った。みんな偉そうなことを言っても全員母親から生まれてきたわけじゃないですか。
ここで触れられている、ネットニュースにまでなった男性vs女性のラップバトルとはラップバトル番組「フリースタイルダンジョン」内での呂布カルマvs椿の試合と見てまず間違いないだろう。
試合中の呂布カルマの発言が女性蔑視に当たるとして、SNS上で切り抜き動画や書き起こしが出回るなど当時のHIPHOP界隈にしては大きな炎上騒ぎとなった事件だ。
しかしこの時拡散されたのは主に呂布カルマ側つまり男性側の発言ばかりで、椿(女性側)がまず始めに男性蔑視と取れる発言で相手を攻撃している件については巧妙にスルーされていた。
ラップバトルは「主張に筋が通っているか」や「会場の空気感」といった要素も確かに審査に影響はするが、根底にある審査基準は言うまでもなく「ラップの上手さ」だ。ここを正確に理解せず「呂布カルマの差別的発言及び思想に対し、会場にいる男たちの大半が同調したから椿が負けたに違いない」と考えてしまうからおかしくなる。
宇野碧の発言からは、あのバトルにおいての呂布カルマ(=男性側)を一方的に悪であると定義し、その上で「ラップ未経験」というある意味最も安全な立場からその"男性"性をボコボコに言い負かす事こそが正義であり、痛快だと信じているように感じた。
対戦前後の文脈や、その後の炎上騒ぎを受けてDJ松永が「マツコ会議」内で涙ながらに語った「HIPHOPと日本の倫理観」についての話なども全て度外視し、ただ単純に「おかんは最強だから、口喧嘩で男には負けません」という小説版スカッとJAPANの為に私の大好きなラップが利用されているのならば到底看過できないと思い、発売日に本書を購入し今日読み終えた。
書いたキッカケについては全く納得できないが、結果的には「面白かった」と思える作品ではあった。
「レペゼン母」を読み終えて。
「確かに面白かったが、ラップパートのクオリティは決して高くない。」というのが全体を通しての率直な感想だ。
ラップパート以外の部分に関しては、情景描写やキャラクターの感情の揺らぎに至るまでが非常に繊細に表現されており、終盤の回想シーンなんかは涙ぐみながら読み進めた。
特に比喩表現には独特なユーモアセンスがあり、それによって作品全体に軽やかなテンポが生まれていた。
本作は視点が終始主人公である明子から外れない。
その為読者である我々も明子の主観でしか物事を見る事ができず、登場人物の意外な一面や「あの時、実はこう思っていた」などの事実が明かされる度、明子と同じように驚く事ができる。
この、明子に振り回されるライド感こそが本作一番の魅力であったように思う。
そしてここからがラップパートに関する話となるが、正直この部分はラップに詳しい人ほど小恥ずかしい思いをする事になるだろう。
ただ、物語におけるクライマックスの試合に関してはスキルとは全く別の部分が重視されるバトルの為「ラップに詳しい人にはお勧めできない」というような作りにはなっていないとここで強調しておく。
問題となるのはあくまで序盤〜中盤のラップパート及びバトルパートだ。
特に明子のデビュー戦となるvs鬼道楽戦については、前述した宇野碧が作品テーマを決めるきっかけとなった試合をモデルにしている分、展開が歪なものになってしまっているように感じた。
モデルとなっている以上【鬼道楽=呂布カルマ】という事になるわけだが、この鬼道楽は、怒りでボルテージの上がった明子の飛び入りに動揺し、ほとんど何もできないまま敗北しその後一切登場しないと言う作中最も不遇なキャラクターだ。
鬼道楽の扱いを見ていると、「あぁ、きっと作者の宇野碧さんはこれで満足したんだろうな」とつくづく思う。
作中で鬼道楽は、
①明子の義理の娘(ラッパー)を過去の対戦で下した際、女性を蔑視する発言をしたという事
②にも関わらず今でも平然とステージに立っている事
③傷ついた娘に「おあいこ」だと言って痛みを我慢するように強いた事
以上3点を理由に明子からターゲット認定されたらしい。
①は分かる。だが、②と③は完全なとばっちりだ。
しかも①に関しては結局明子も鬼道楽に対して「ゴリラ」など明らかに見た目を蔑視するようなディスを使って勝利しており、一体どういった感情で読んだら良いのかが分からなかった。
もし「先に言ったのは鬼道楽なので明子は悪くない」と主張するなら、そもそも題材となった呂布カルマvs椿戦も「先に仕掛けた椿(女性側)が悪い」となってしまうわけだが。
公衆の面前で素人に完敗した鬼道楽はもうラッパーとしては生きていけないかもしれない。彼を倒した後もステージに立ち続け、鬼道楽をフォローしようともしない明子は②も③もやってしまっている事になる。
鬼道楽の母親が出てきて明子にラップバトルを挑むような展開を期待したが当然そんな話運びにはならず、彼はただ物語を円滑に進める為の"記号"として物分かりよく退場していく。
ここに関しては明らかにラッパーへの愛や理解が薄いと感じた。
こう言ってしまっては本末転倒なのかもしれないが「ラップを始めたばかりのおばちゃんでも本業の人たちに勝てちゃう。」という物語があっさり受け入れられてしまうあたり、やっぱりラップやHIPHOPはまだまだナメられているんだなと感じる。
例えばマシンガントークをするおじちゃんおばちゃんに対して「漫才みたい」と形容したり「芸人になればいいのに」と内輪で話している分にはいい。
ただ、そのおじちゃんおばちゃんが本当に漫才師になったとして観客を笑わせる事はできるだろうか。
ましてやいきなりM-1グランプリのような"勝負の場"に現れて1回戦を突破する事ができるだろうか。
この「素人」と「プロ」の技術的な差が、ラッパーでは他の職業よりも少なく見積もられているという不満はある。
とは言え、264ページある本書の中でラップパートは恐らく20ページ程度。
トータルでは面白かったし、ラップに詳しい人でもちゃんと楽しめる内容にはなっていると思う。
特に登場するラッパー達なんかは全員明らかに実在のモデルがおり、「このラッパーは◯◯の事だな」などと考えながら読めるという点はむしろHIPHOP知識がある人にこそお勧めできるポイントだろう。
始めは批判するつもりで手に取った「レペゼン母」だったが、そういった先入観を持つ事の危険性に気づかされたという意味では心から「読んでよかった」と言える。
最後に、恐らく作者は知らないだろうが、この小説のキッカケとなったラップバトルの当事者でもある呂布カルマは、日頃から「ラップをした事のないおじさん、おばさんこそラップをするべき」と唱えており、奇しくもレペゼン母の題材とリンクしている。
だからというわけではないが、宇野碧には男性ラッパーをもう少し先入観を持たずに見る目を持って欲しいと切に願う。
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