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【都市伝説】幻の津軽王朝ともののけ姫の奇妙な繋がり

かつて日本は西の大和王朝と東北の津軽王朝で分断されており、東北の古代史は西側の権力で抹消された。

そんな知られざる東北古代王朝の歴史が残された幻の古文書『和田家文書』ともののけ姫の世界観には奇妙な共通点があった!


先日の陸くんとの都市伝説トークライブ「あの話し祭り」で僕が話をした「失われた津軽王朝と和田家文書の謎」ですが、泣く泣く時間の都合でカットにした内容を今回noteでまとめました。

※【"あの話"祭り】久樂 陸とPE-の都市伝説トークライブ_36の感想とダイジェストCMはこちら↓↓

■長髄彦(ナガスネヒコ)とは

日本の知られざる真実の歴史があるという内容の和田家文書には長髄彦という人物が登場します。

彼は日本神話で登場する大和(現在の奈良県)の豪族で、日向国(現在でいう宮崎県)から来た神武天皇(天照大神の子孫で最初の天皇とされる人物)と大和の地をかけて2度戦い、1度は勝利をするも2度目の戦いで敗れて死に、神武天皇は大和王朝を建国したとされます。

長髄彦(ながすねひこ)は、日本神話に登場する伝承上の人物。神武天皇に抵抗した大和の指導者の一人。神武天皇との戦い(神武東征)に敗れた。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

■ 2度目の戦いで敗れた長髄彦のその後と抹消された津軽王朝について


2度目の戦いで敗れた長髄彦は死んだと日本神話に書かれていますが、先日の都市伝説ライブで話をした「和田家文書」、通称「東日流外三郡誌(ツガルソトサングウシ)」には異なる「その後」が以下のように書かれています。

●神武天皇との戦いに負けた長髄彦は生存しており、義理の兄である安日彦(アビヒコ※日本書記、古事記には登場しない)ともに安日彦の故郷津軽に逃亡。

●一方そのころの津軽は「アソベ族」という優しく穏やかな民族が生息していたが、東の大陸から来た攻撃的な「ツボケ族」によって支配されていた。

●長髄彦と安日彦は津軽に到着すると、ツボケ族とアソベ族を和解させ、長髄彦と安日彦も含めて「荒吐(アラハバキ)族」として名乗り、津軽で新しい王朝を建国。 

●そして大和を奪い返し、長髄彦が第8代の天皇に。 

●彼らの末裔は「安倍一族」と呼ばれ、一族の宗家だった安藤氏が安藤水軍を組織してインドや諸外国と貿易を開始。

●その後1321年に大津波が東北で発生(歴史上は存在しない)し、安藤水軍は壊滅。

●荒吐族の末裔である「安倍一族」は次第に力を失い、ついには東日流王朝の歴史も大和側(天照派)の権力者により抹消されてしまった。


つまり、日本はかつて西の大和と東北の津軽に分かれており、東北の津軽側が大和を奪還し長髄彦が第8代天皇になったが、その事実は歴史的に抹消された。

和田家文書にはそんな日本の知られざる真実が記録されていた!

上記のように東北ロマンあふれる和田家文書。

現在では歴史的矛盾、盗作などから発見者である和田喜八郎が創作した偽書であるとされています。

たしかに、矛盾や盗作疑惑、和田喜八郎氏のとんでも空想壁など、ちょっとニヤニヤしてしまう「やらかし、しぐじり」が多数あります。

嘘か本当かは専門家ではないので判断できませんが、都市伝説テラーとしては個人的にこれらのやらかし話もひっくるめて大好きな古代史の都市伝説です。

■もののけ姫との類似点?

さて、そんな和田家文書「東日流外三郡誌」にはあの名作アニメ「もののけ姫」と類似した点があります。

もののけ姫のアシタカは物語冒頭で村人から「アシタカヒコ」と呼ばれますが、その名前の由来が長髄彦であるという以下の都市伝説があります。

ナガスネ→長い脛(足のすね)→足の脛が長い→足が高い→アシタカ(あくまで都市伝説です)

さらにアラハバキとはもともと神の名で製鉄の「たたらの神」と言われてます。

アシタカは「西」から来た祟り神によって呪われ、西に祟り神の元凶を探しに行き、その道中タタラ場という製鉄の村でサンと出会います。

映画もののけ姫でアシタカたちが住んでいる地域はエニシの国という設定で、そのモデルは蝦夷=東国です。

アシタカは大和の王朝との戦いに敗れ、北の地の果てに隠れ住むエミシ一族の数少ない若者であり、一族の長となるべき少年。王家の血を受け継ぐ気品と狩りで鍛えた秀でた技の持ち主。

ロマンアルバム もののけ姫(徳間書店)

蝦夷(えみし、えびす、えぞ)は、大和朝廷から続く歴代の中央政権から見て、日本列島東国(現在の関東地方東北地方)や、北方(現在の北海道樺太)などに住む人々の呼称である[1]

大きく、「エミシ(蝦夷)」と「エゾ(蝦夷)」という2つの呼称に大別される。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

つまりアシタカは東国(東北地方)で暮らしており、西へ祟り神の元凶を探しに行き、西に向かう道中タタラ場でサンと出会います。

そして、物語の最後は村に戻らず、西のタタラ場で暮らすと決意します。

一方、和田家文書での長髄彦は神武天皇との戦いに敗れ東北の津軽で王朝を建国。
その後、大和(西)を神武天皇から奪還し、西の国大和で第8代天皇となります。

このように、和田家文書「東日流外三郡誌」ともののけ姫はどことなく類似しています。

宮崎監督は色々な歴史学、本、情報から物語を組み立てるそうなので(岡田斗司夫さんが詳しく解説されているかもしれません)
東日流外三郡誌がもののけ姫の元になったのかはハッキリと分かりませんが、このような事を知ってもののけ姫や和田家文書「東日流外三郡誌」を調べてみると、もっと深く楽しめると思います。

※あくまでも全て都市伝説ですので、ご理解の程お願いします。

あの話し祭りは購入後6/9までご覧になれますので期間内でしたら是非。

https://twitcasting.tv/rikukudara/shopcart/234351


最後まで読んで頂きありがとうございました!!

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