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海のはなし

海を見ると今でもテンションが上がるのは、埼玉で育ったからだと思っている。

埼玉。県境に海が面していない県。他の県に行かないと海が見られない県だ。

私はそこで生まれた。私にとってそんなに好きなところがない県だ。昔も今もそこは変わらない。いいところは、藤店うどんがあるところ。


小さな頃は、父親がアウトドア好きだったからか、毎年家族で海に行っていた。だいたい行き先は新潟の海水浴場で、早く起きて父親の運転する車に荷物を積み、午前中に到着して早速遊ぶ。日が出ている間は海水浴場で遊んで、民宿に泊まって、次の日も海で遊ぶときもあれば、ちょっと観光したりすることもある。だいたい一泊二日の夏休みの出来事の一つだ。

私たちがよく行く海水浴場は、砂浜と岩でできた磯がどちらもあるところなので、砂浜で体を埋めたりして遊ぶこともできれば、磯の生き物を観察することもできた。あまり海で泳ぐのは好きではない。こわいから。

磯に行くといつも見られない生き物が見られる。小さなカニや小さな貝たち、ウミウシ、イソギンチャク、ときには大きなアメフラシを見ることもできた。図鑑で見られるものと違って鮮やかさに欠けるものがたくさんだったが楽しかった。青いウミウシを見たときは感動した。図鑑とおんなじだったから。

イソギンチャクに指を入れるとヒュッと体を縮ませる動作が私は本当に嫌いだった。縮ませて少し埋まった指の先が何者かに噛まれて痛いんじゃないかと思っていた。


海水浴に行くと私が楽しみにしていたのは、コンビニ弁当だった。

私の家の近くには何故かコンビニエンスストアがなく、徒歩10分圏内にできたのは私が高校生になってから。それまでは自転車で10分くらい走らないとなかった。それに母親はあまりコンビニが好きではなかったようだ。たぶん高いから。

コンビニ弁当といっても私は決まったもの以外食べたくないというプチ偏食が(今も)あるので、当時はざるそばかざるうどんしか食べなかった。妹たちはコンビニに行っていろんなものの中から選びたがっていたけど、私は砂浜に置いた荷物のところで父親と待つことが多かった。


思い返すと小さい頃から、ファミレスでも、親戚で集まると行くお高めの料理屋さんでも、私は決まってざるそばばっかり食べていた。今も大好きだけど、お腹が冷えるので夏しか食べない。

外食で出会うざるそばは他のメニューと比べて安い。小学校3年生でサンタクロースの存在を親に暴露されてから、なんか変な気を使うようになってしまい、値段を見てざるそばと決めていた。それまでもずっとざるそばだったのだけど。

ざるそばは本当にどこに行ってもだいたい味が一緒なのですごく安心する。ときどき緑色をした茶そばがあると、それのほうがなんか美味しい気がするからあるとだいたいそれを選ぶ。


コンビニ弁当が砂浜に揃うと、みんなでお昼ご飯を食べた。

レジャーシートの下にパラソルを立て、パラソルが倒れないように荷物を置く。その周りのシートのところにおしりを置いて食べる。入りきらなかったら熱い砂浜の上であぐらをかく。

私が思いつかなかったのかなんなのか、途中まではざるそばの平たいプラスチック容器ごと持って食べていた。もしかしたら私が食べ始めた当時はまだ漬けつゆのところとざるそばのそば部分が分離しない容器だったのではないだろうか?食べづらいなあと思いながら食べていた記憶がある。

でも分離させて食べていた記憶もちゃんとあるから、自分が離れることを見つけられていなかったからか、容器が分離していなかったからかのどちらかだ。

容器を分離させて食べていても、そばのほうの置き場にとても困った。砂の上に直に置くと、なにかの拍子に砂が混ざってしまうかもしれないし、かといってあぐらをかいた膝の上じゃ安定しなくてぶちまけそうだ。こんなところでぶちまけたら3秒ルール内でもじゃりじゃりしてアウトだろう。

あと当時はほぐし水がなんの役割を果たすのか全くわからなかった。ほぐし水の意味をわかって使ったのはきっと大学でコンビニ弁当を買うようになってからだろう。昔よりも今のほうがほぐし水の量が増えた気がする。


民宿に帰るとき、ある程度の砂を落としてから向かうのだけど、なかなか砂が取れないのが厄介で嫌だった。民宿の建物の横にあるホースのついた水道で流しても、何度やってもどこかしらから砂が出てくるのが嫌いだった。砂浜にべたりと座って遊んでいると、水着の中にも入ってくるし、水着の股の部分から大量の砂がどさっと出てくるのもすごく嫌だった。

民宿では夕飯と朝ごはんを食べた。どのごはんも磯の香りがいっぱいのメニューで、量も多いし、当時はあんまり好きじゃなくて残していた気がする。上の妹は頑張って食べていた印象で、下の妹だけエビフライとかケチャップライスに旗が刺さってプリンがついてるみたいなお子様メニューが出てきたような気がする。それをずっと羨ましがっていた。

今考えると民宿の夕飯朝ごはん、めちゃくちゃ食べたい。大人になった財力でいつか食べにいきたい、絶対。海はあんまり入りたくないけど。



大学生になったら、大学が小田急沿線だということもあり、海にチャリで行けますという友達が何人かできた。車を運転できる友達もいたし、江ノ島にも電車で気軽に行けてしまうので、大学生になってから何度も海に行った。だけど何度行っても海を見つけるとテンションが上がるし、海に近づくと必ず海水を舐める。海水を舐めると本当にしょっぱいので、ああ本当に海だ、真水と違うんだ、って気持ちになって感動する。

横浜のあんまり綺麗じゃない海も見ると嬉しくなる。舐めないほうがいいだろうなとは思うけど確認したくなる。ディズニーシーの真ん中にあるあの湖みたいなまあるい海の水はどうにかしていつか舐めたいと思っている。



うたを歌い始めて気づいた。自分には歌詞や想像力の引き出しに海の情景がほぼない。

それは私がドラムを叩くバンドのボーカルでもあり、その曲たちの作曲者でもあるシンガーソングライターの生形拓人さんの曲を聴いてから気づいたことだ。

生形さんの書く歌詞の世界観には、どこか片隅に海がある感じがして、私にとって新鮮な風景が浮かんでくる。なのに懐かしい情景だから、海の近くで小さな日常を重ねた人は私にはないものを持っていていいなって思う。たとえば「14歳」という曲の歌詞。

防波堤にぶつかった波しぶき冷たいね 顔にかかってちょっと目が覚めた

防波堤って言われたらアレのことだろうってわかるんだけど、イラストであれ出されても防波堤って言葉出てこないし、それらが起こすものを想像することも私はできないだろうな。

私がもし海のうたを書こう!となったら、たぶん大学時代にみた景色が織り込まれたりするから、懐かしさとかはあんまり感じられないのかなって思ったりした。


それから井上陽水の「ジェラシー」を初めて聴いたときも驚いた。このうたは以下のような歌詞がある。

はまゆりが咲いているところをみると どうやら僕等は 海に来ているらしい

これ聴いた瞬間「そうなんですか?!」って思った。

はまゆりってなんですか???海辺ってゆりが咲くんですか?????

当時花屋を辞めたばかりで、花についての勉強意欲はすごくあったので速攻ググった。オレンジのゆりだ。

そのあと海辺(砂浜とかそれに延長してあるなんか草っぱらみたいなとこ)に行く機会があったときに一生懸命ゆりを探したら、確かにぽつんと立ち尽くしていた…オレンジのゆりが…

私は小さい頃から花壇や植木の植物を見るのが好きで、植物は季節感や情景を描くことができるのを知っていたのだけど、まさか植物でエリアを限定できるなんて?!って驚いた。

それから気づいたのだけど、確かに海辺は針葉樹林が多いんですね。松とか、あと…他にいま思い浮かばないけど…。地理の先生が言ってたこと、本当だったんだ!世界規模の話じゃなかった!!!とびっくりした。



たぶん人類にとって、海はまだまだ未知なことがたくさんあるんだろうなと思うけど、こんなに海のことを知らない人間も世の中にはいるのだ。

あの頃より少しは大人になったから、大人の力を使ってもう少し海と仲良くなりたい。新しい想像力がつくくらいには。




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最後まで読んでいただきありがとうございました!

本文にも出てきた、14歳という曲のライブ映像をYouTubeにて見ることができます!生形拓人さんと一緒にやっているバンド「towel(タオル)」の、ライブ映像です。概要欄に歌詞もあります。


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