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No.954 変わりたい変わりたいと思っているだけでは変われない…気づきが起こることで変化は訪れる、そして気づきは意識しなければ起こらない


そろそろ、梅雨入りなんだろうなという雰囲気が漂います。
コロナは落ち着いています、そして、早く海外渡航を解禁してもらいたいものです。

私たちは、今の自分から変わりたいと思うことが多々あります。
そして、今の自分から変わることはできるのか、この問いには2つの答えがあります。

変わることができると変わることはできないです。

とても矛盾することを言っているわけですが、実際、私自身がこの20年近くゲシュタルト療法という心理療法を学び、日常で実践してきている中で思うことです。

ゲシュタルト療法を学び始めた頃はワークを受けるたびに変化する自分を体感します。

そして、少しずつ自分が変わっているという実感を得たのは事実です。

そういう意味では、変わることはできると言えるでしょう。

恐らく、10年ほど前までは変わることができると自信を持って断言したと思います。

そして、学びを深め、その学びを実践する中で、私の癖は今も昔もほとんど変わっていないことに気づきます。

例えば、特定のある人と話をすると何かわからないが不快であるとか、以前と同じように今も体の緊張は同じところにあったりとか…

他にも変わっていないところは多々あります。

そういう意味で変わることはできないと言えます。

しかし、恐らく他者から見た以前と今の私は確実に変わっていると感じられるはずです。

それはなぜなのでしょう。

それはとても簡単なことです。

私自身が私自身のそういう癖に気づいたからです。

ここが重要なのですが、”気づく”ということで私自身の心の在り様が変わります。

気づかないということはどういうことでしょうか。

簡単に言えば、無意識に(意識せずに)やっているということです。

私たちの癖のすべては、これまで私たちが生きてきた体験の中から派生しています。

何故なら、癖が勝手に私たちの気持ちや感覚、体に、ある時突然出現することはあり得ず、何かの要因となる体験があります。

その体験が私たちの身体に染み着きます。
それは大抵が子供の頃の体験なので、私たちはその要因を理解することはできません。

そして、次第に大人へと成長していく過程の中で、その子供の頃の体験は記憶から消えてしまいます。

これが無意識にやっていることに繋がります。
だから、どうしてこんな癖があるのだろうという意識自体が存在しませんし、それが癖だと思っていないかもしれません。

私たちの中では当たり前のことをやっていると思っているかもしれません。

例えば、子供の頃に、男の子は泣いちゃいけないんだよ、と親から学んだ子供は大人になってもそれが当たり前なのだと感じるでしょう。

そんな子供が次第に大人になっていくと、悲しい場面でも泣かないという癖が無意識に表れます。

そして、泣いている男がいるなら、何て弱いやつなんだ、このくらいで泣くなんて、と思うかもしれません。

私の年代以上の男性にはそんな傾向が強いように思います。

しかし、泣けない理由は分かりません。もちろん感情として涙は出ようとします。しかし、その途端、無意識に出ようとする涙を止めてしまいます。

私たちの身体というのはとても良くできていて、簡単に出ようとする涙を止める術を知っています。

この方法も子供の頃から長年身につけてきた得意技です。

これが無意識にやっている、気づかないと言うことです。

そして、その癖に気づくとはどう言うことでしょうか。

この例で説明すると、
まず、男でも悲しい時は泣いてもいいんだと言うことに気づくことが一つです。

これに気づくには、子供の頃の出来事が原因となり泣いてはいけないという価値観が染みついたことを身体全体で理解することが必要です。

そのアプローチ方法については長くなりますから省略しますが、このことに気づけるだけでも大きな変化が期待できます。

また、そのアプローチの中でどのようにして無意識に涙を止めているのかについても気づくことができます。

このことによって、どうして大人になった今でも悲しい場面で泣けないのかを身体を通して理解します。

すると、日常の中でそう言う場面が現れたとき、これまで無意識にやっていたその行為(癖)が無意識ではなくなります。

私のやっているこの癖は、子供の時のあのことがあったからなんだと理解できます。

これによって、涙を止めようとしていた身体の緊張(癖)を意識的に緩めることができるようになります。

そして、日常の中で涙を止めようとする場面が現れるたびに、このことを意識して繰り返し行うことで次第にこの癖に対応できるようになります。

涙を止めていることに気づく
➡︎どのように涙を止めているのかに気づく
➡︎身体を意識的に緩めることができる
➡︎身体が次第に正常な機能を取り戻す

このようなサイクルでしょうか。

気づくということは、自分の意識で身体をチューニングすることができます。

そして、私が子供の頃から持っていた価値観(男は泣いてはいけない)が間違いであったことに気づきます。

癖は変わらないかもしれません、しかし、私のそのことに対する認識がこれまでとは大きく違ってくることで、私の生き方が楽になったり、ほっとしたりするでしょう。

そのことが私の変化として表れ、他者との関わりが、大きく変わることは容易に想像できます。

そして、他者から見た私は以前の私とは違って見えるはずです。
このことが気づきの力であり、気づきをベースとしているゲシュタルト療法の根幹をなす考え方です。

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