No.948 夢を持つ、夢を追う、夢を想像する、夢を見る、夢は私たちをワクワクさせてくれる…
いつの間にか北京オリンピックが始まっていた。
東京オリンピックがついこの前だったからか、コロナの影響なのか、あまり興味が湧かない。
それでも結果は気になる。
スピードスケート女子3,000メートル、スキージャンプ女子のノーマルヒル。
平昌大会に続き、髙木、高梨選手が出場、欲しくもメダルには届かなかったがよく頑張ったと思う。
オリンピックへと照準を定めてピークに持っていくことは至難の業なのだと思う。
ましてやこの2年以上のコロナとの戦いの中では相当に厳しい調整だったと想像する。
もしこの結果を批判する人がいるなら、それはお門違いだろう。
もちろん、オリンピックだけが大会ではないが、最高の目標としてオリンピックを目指すことは全てのアスリートにとって夢であり、しかし、ごく一部の人にしかこの夢さえも見ることはできない。
私も高校までは野球部に所属し、甲子園を目指していた。
もちろん、そんなに強い高校ではなかったが、甲子園という夢を追い続けることがとても大きな目標となっていたのは間違いない。
夢は夢であり実現しないのだという人々もいる。それも的を得ていると思う。
そして、一方でその夢があるから生きていける人々もいるのも確かだ。
よく私たちは宝くじを買った時、当たったらどうしようかとその夢に思いを巡らせる。
もちろん、当たらないだろうと心の片隅には思っているのに、当たったらこれを買いたい、あれをしたいとその時の心模様はウキウキとした感覚だ。
また、私は以前競馬にハマっていた。毎土日にレースあるのだが、その時は1週間がとても充実していた。1週間に費やす費用は2,000円程度。
2,000円で一週間がワクワクしているのならとても安い買い物だと思う。
私はその一瞬の夢見る感覚も大切であると思う。
ワクワクする夢という点では、組織におけるビジョンというものがある。将来のその組織の目指すべき姿、こうありたいという思いである。
しかし、残念ながら今の日本企業においてワクワクするようなビジョンを掲げようとすれば止められることが多い。
企画時点でつまらない、堅いものへと形を変えさせられる。
日本企業は日本という国の縛りからかリスク管理へと大きな比重を置いている感が否めない。
すると企業トップはそのリスクを回避するために面白くもない、つまらない夢を掲げ、それに基づいたつまらない施策たちを作り出していく。
一番タチの悪いのは、口では素晴らしいお経を唱えながら、他の人がそのお経を実践しようとするなら、どうしてこんなしょうもないお経を創ろうとするのかという人たちである。
そんな人たちは周りに五万といる。
話が少し逸れたが、夢を創るということは大切なことである。
夢を語る時の人々の表情を見ているとそれがわかる。とても生き生きとして夢を語り出す。
そして、他者の夢を聞いている時もとても興味関心を持ちながらその話に入り込むことができる。
夢には今の現実では到底無理なことが出てくるだろう。
例えばそのことが法律に抵触するとか、組織のルールに抵触するとか…
しかしだ、
企業のルールだって、法律だって変えることはできる。
企業のルールなんていうのはあってないようなものである。変えようと思えば変えられる。
夢を現実にすることができる組織が生き残れる組織であるのだろう。
企業において今、副業解禁を打ち出している企業が増えている。
どうして日本ではこれまで企業は副業を制限していたのか。
私たちは憲法第22条1項において職業選択の自由が保障されている。そして、副業を制限していた理由として、本職に支障きたすことや本職と競合する副業により、本職の利益が阻害されること等が挙げられる。
それは法律ではなく企業における独自のルールで制限していたに過ぎない。
もしかしたら副業でやりたいと思う仕事はその人の夢であったかもしれない。その夢を叶えながら、組織で働くのならやり甲斐や働きがい、生きがいも大きく違うはずである。
夢を持つ、夢を追う、夢を見る、夢を想像するというのはとても大切なことである。
そこは私たちの沸きあがるエネルギーの源であり、私たちがまだ知らない自分自身を生みだしてくれる、浮かび上がらせてくれる深淵な源である。
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