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No.950 生きるということ、この世界へ生まれたということ…

生きるってどういうことだろう、人生をどのように生きたいのだろう、私たちはそんなことを考える時間なんてほんの少ししか持たないように思う。

そして、私たちが生まれてきたこと自体がよくわからないことのようでもある。

このことを突き詰めたとしても明確な答えは出てこない。

私たちはいつの間にかこの世に生を受けた存在だ。

何かの意味を持ってこの世に生まれてきたものではない。

後づけとしては生まれたことについて、様々な意味を持つことができる。

私が私という存在に気づいたのは恐らく、2歳頃ではないだろうか。

どんな意味を持って生まれたかなんて思わない。

今でさえ、生まれた意味なんて答えようとしても答えはない。
いつの間にかこの世界が私の前に現れ、私はこの世界の一員として生を重ねていた、ということだろう。

私たちにはいつしか死ぬという場面が訪れる。
早かれ遅かれ、これは誰にでも起こることであり、私たちの多くは死を恐怖として捉える。

しかしだ

考えてみれば、私たちは無の状態からいつの間にかこの世界へと生まれ出た存在である。

いつしか無の状態へと戻るだけのことなのだが恐怖という感情が沸き起こってくる。

不思議だ

しかし、どうして恐怖を感じるのか、死ぬとどうなるのかという体験がないからに他ならない。

誰かが死んで、その後の世界を教えてくれるのであれば恐怖以外の感情が生まれてくるだろう。
しかし、それは現実的には不可能である。

ただ、私たちはこんなことを毎日のように考えながらは生きていない。

死ということよりも生ということを考えながら生きているのだ。

それならば、生きるということをもう少し真剣に考えながら生きても良いのではないか。

死はいつか訪れる、しかし、その死ということを毎日考えなくとも良く、どのように生きていくのかということを毎日考えることが大切ではないか。

のほほんと、ボーッと生きることも必要である。ただ、毎日がそんなだと身体が生きたいと言ってくるような気がする。

そして、いつの間にか生まれてきた世界ではあろうが、

この世界で、後づけである私たちの生まれてきた意味を考え、私の人生をどのように生きるのかという、出るのか出ないのかわからない、この難問について考える時間を今よりもあと少し持つことはどうだろうか。

意味を持たずに生まれてきたのなら、意味を持たないかもしれないこの難問について考えてみる時間を持つのも一計であろう。

58歳である私自身、この人生をどのように生きたいのか、生きるのかというこの難問についてはまだ明確な答えは出せていない。

どうしてこの世界が存在するのだろうかとたまに思うのがある。ただ、考えても答えは出ない。
マトリックスの世界があるのならその答えは明確であるのだが…

一つだけ言えるのは、今を生きている人間として言えるのは、目の前にある現実というものを生きるしかないということだ。

それを受け入れて生きていくしかないということだ。

私たち人間に備わっている思考や感情、感覚と言った全てを持って、今の現実というものを信じて生きていくしかないということである。

そして、その中に生きる意味は横たわっているのかもしれない。

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