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児玉真美氏が言う「滑り坂」の嘘

児玉氏は下記のように「滑り坂」が起こっているとの主張を繰り返しているが、これは彼女の主観で塗り固められた嘘と言っても過言ではない。

「安楽死や自殺幇助が合法化された国々で起こっていること」児玉真美 https://synodos.jp/society/1070

この文章についても、筆者の主観で「起こっていること」イコール「悪いこと」と見せる書き方について以前から修正すべきであると感じていた。

以下順に取りあげて訂正する。

>アシュリー事件

児玉氏の十八番のようだが安楽死させた事件ではない。

>米国オレゴン州では、がん患者に対して「抗がん剤治療の公的保険給付は認められないが自殺幇助なら給付を認める↓

これはMedicaidの話。抑も米国では基本的に公的保険制度はなく、民間の保険に加入できない低所得者にMedicaidという公的保険制度が適用される。民間の保険会社が自殺幇助に保険金を支払うことはあり得ない。しかし州が自殺幇助を公的な制度として許可した以上低所得者がお金がないので自殺幇助制度を利用できないというのは矛盾している。故に自殺幇助をMedicaidでカバーするのは当然のこと。また、癌治療に関してはMedicaid利用者以外の、多くの民間保険に加入していない一般大衆が癌治療の給付金を貰えないのにMedicaid利用者だけが貰えるのは不公平であるとの見地があったのだ。因みに児玉が述べていた頃と違い今はMedicaidでも癌治療費給付の線引きが緩和された。延命は含まれないが緩和ケアは含まれている。結果的に、自殺幇助があるからこそ癌の治療も本人の希望を反映するという話になったのだ。低所得者であっても。
http://alexschadenberg.blogspot.com/2018/04/oregon-health-plan-medicaid-rationing.html?m=1

>うつ病で「死にたい」と言ってきた人に対して、治療する方向に対応するのではなく「ああ、そうですか。

そんな例は公的に認められた安楽死・自殺幇助の制度としてどこにもありません。あったら出して下さい。また万が一あったら訴訟問題でしょう。疑わしい例は訴追案件となりますが、今の所医師側が敗訴した案件はありません。

>オランダには25歳以上の重症脳損傷患者を治療するための専門医療機関が存在しない

重症脳損傷は死亡と障がいの主要因となり、個人的な苦痛と共に大きな社会的負担にもつながっている。オランダでは2010-2012に年代別に重症脳損傷の発生率と治療コストを調査し、25歳以上の患者の発生率が低く、治療にかかる費用負担が大きいという結果を得た。発生リスクを分析し、予防に力点を移した。
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/25343447/

>認知症が進行した高齢の女性に積極的安楽死が行われている

何がいけないのでしょうか?オランダ在住の後藤猛さんによる経緯をこちらに。患者は認知症発症に怯え、長期的に繰り返し安楽死を医師に依頼しており、その後アルツハイマーの診断が下り、絶望で自殺寸前の中、複数医師の判断の元安楽死が執行され、事後安楽死検証委員会で合法違法の評価が下される、という流れです。相談を受ける医師側も、法の下、医師生命をかけて安楽死を行っているのです。

>スイスのヴォー市...不治の病または怪我を負っていることと、自己決定できるだけの知的能力があることの2点。この条件がどれだけ幅広い病状や障害像の人を対象に含んでしまうかを考えると、暗澹とする。また、これでは劣悪なケアの施設や病院ほど死にたいと希望する患者・入所者が増えてベッドの回転率が上がることになり、医療やケアの質を担保・向上させるインセンティブは、もはや働かないのではないだろうか。

https://synodos.jp/international/22435
スイス在住穂鷹知美氏による2019年時点での情報:
-老人ホームや介護施設(以後は、これらを合わせて「ホーム」と表記します)でも、居住者が自殺ほう助の会員になることは、実際に実行するためというより、むしろこれでなにかあったら頼めばいい、という安心感を得るための一種の「保険」のようなものとなっているようだ、という意見を聞きます。-
つまり2012年時点での児玉氏の妄想でした。

※参考:SwissinfoのVaud市の記事
https://www.swissinfo.ch/eng/right-to-die_vaud-to-get-first-swiss-assisted-suicide-law/32920490

>安楽死宅配便

名付け方からして嫌味ですね。「畳の上で死にたい」という方への在宅での看取りと同じ形ですが。

>囚人の安楽死

拷問は廃止されたが死刑は廃止されていない。これは何を意味するのか?
生きたまま苦しむより、苦しまずに死ぬほうがまだまし、ということに他なりません。
児玉さんたちも肉を食べているでしょう。その肉は動物を殺して取った肉です。動物達はできるだけ苦しませないように殺されています。一部の野蛮な国や地域を除いては。
ここで児玉氏が言及している臓器提供については文末に。

>自殺ツーリズム

自国で自殺幇助が許されないから病床からわざわざスイスに行かなくてはならない。そんなことをせずとも自国で自殺幇助できるよう、Erika Preisig医師も主張しています。

>病院やナーシング・ホームでも自殺幇助の希望があれば専門職はその希望を尊重すべきだと決めた...これでは劣悪なケアの施設や病院ほど死にたいと希望する患者・入所者が増えてベッドの回転率が上がることになり、医療やケアの質を担保・向上させるインセンティブは、もはや働かないのではないだろうか。↓

https://synodos.jp/international/22435
スイス在住穂鷹知美氏による2019年時点での情報:
-2014年 認知症の患者の自殺幇助は全体の0.8%に留まる。
-老人ホームや介護施設(以後は、これらを合わせて「ホーム」と表記します)でも、居住者が自殺ほう助の会員になることは、実際に実行するためというより、むしろこれでなにかあったら頼めばいい、という安心感を得るための一種の「保険」のようなものとなっているようだ、という意見を聞きます。-

これも児玉氏の妄想でした。

>ルドウィッグ・ミネリは、死にたいと希望する人には無条件に「死の自己決定権」が認められるべきだと

無条件?いいえ、明確な判断力がある場合の自己決定に基づくものに限られます。当然利他精神で仰ってます。
https://www.pbs.org/wgbh/pages/frontline/suicidetourist/etc/minelli.html

>くぐりぬける力

治癒せぬ病の患者を苦痛に耐え続けさせろという、それは拷問です。そうしたい人はすればよいが、そうでない人に押し付けるのは児玉氏の傲慢です。

>介護され介護する関係性の豊かさの隣には、家庭という密室空間の中で支配し支配される恐ろしい関係性も潜んでいる。慈悲殺や自殺幇助の問題を考える時、家族の中に潜む、この恐ろしい関係性から目をそむけてはならない、と思う。

介護される本人が望むなら、選択肢として苦しまない手段での自殺幇助や安楽死があれば、残忍に介護殺人されるよりもずっと良いですがね。

>デビーパーディ

自殺幇助を勝ち取る為、自ら国を相手取って闘っていた。完全なる自己決定。
https://www.bbc.com/news/uk-england-leeds-25741005

>リン・ギルダーデール

本人意思に基いた自殺幇助。スイスでなら合法な行為。しかし林優里さんと同じように本人がスイスに行く力がないパターン。これを罪と見做す一方的な姿勢はいい加減やめませんか?
http://www.imet.ie/imet_documents/Lynn_Gilderdale.pdf

>臓器提供と安楽死

安楽死希望の方々へ。

「安楽死の法制化を求めるなら、臓器提供については切り離すべき」

というのは、このように反対派が悪い方向に結び付けるからです。

そもそも臓器提供は安楽死ありきの話ではありませんし、期待される筋合いもありません。

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